『おくのほそ道』アルバム(テキスト編) −其の1− (室の八島〜須賀川)

『おくのほそ道』(本文) 曽良随行日記 関連事項
[室の八島]
 室の八島に詣す。同行曽良がいはく、「この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。無戸室に入りて焼きたまふ、誓ひの御中に、火々出見の尊生まれ給ひしより、室の八島と申す。また煙をよみならはしはべるも、このいはれなり」。はた、このしろといふ魚を禁ず。縁起の旨、世に伝ふこともはべりし。」
一 飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、川原(小クラ川)ヲ通リ川ヲ越、ソウ シヤガシト云船ツキノ上ヘカゝリ(乾ノ方五町バカリ、毛武と云村アリ。)、室ノ八嶋ヘ行ク、ス グニ壬生ヘ出ル。此間三リトイヘドモ、弐里余。
[日光]
 三十日、日光山の麓に泊まる。(中略)二十余町山を登つて、あり。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝へはべるなり。
  しばらくは滝にこもるや夏の初め
一 同二日 天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ滝(一リ程西北)・ガンマンガ淵見巡、漸ク 及午、鉢石ヲ立、奈須太田原ヘ趣。 含満ヶ淵、百体地蔵
[那須野]
 小さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。ひとりは小姫にて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
  かさねとは八重撫子の名なるべし  曽良
一 同三日 快晴。辰上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。 ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。 「かさねとは」句碑(翠桃邸跡付近)
[黒羽]
 黒羽の館代浄坊寺某のかたにおとづる。思ひかけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、その弟桃翠などいふが、朝夕勤め訪ひ、自らの家にも伴ひて、親族のかたにも招かれ、日を経るままに、一日郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原を分けて、玉藻の前の古墳を訪ふ。それより八幡宮に詣づ。与市扇の的を射し時、「別してはわが国の氏神正八幡」と誓ひしも、この神社にてはべると聞けば、感応殊にしきりにおぼえらる。暮るれば桃翠宅に帰る。修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。
  夏山に足駄を拝む首途かな
一 四日 浄坊寺図書ヘ被招。
一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。
一 六日ヨリ九日迄、雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ五ツ過迄ニシテ 帰ル。
一 十日 雨止。日久シテ照。
一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
一 十二日 雨止。図書被見廻、篠原被誘引。
一 十三日 天気吉。津久井氏被見廻而、八幡ヘ参詣被誘引。
一 十四日 雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。
一 十五日 雨止。昼過、翁ト鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束 之故也。予ハ少〃持病気故不参。
浄坊寺図書高勝(桃雪)墓所 「大雄寺」・山門

本堂


黒羽藩主大関増恒墓

「夏山に」句碑(光明寺跡)
[殺生石]
 これより殺生石に行く。館代より馬にて送らる。この口付きの男「短冊得させよ」と乞ふ。やさしきことを望みはべるものかなと、
  野を横に馬引き向けよほととぎす
一 十六日 天気能。翁、舘ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬を立。及 昼、図書・弾庫ヨリ馬人ニ而被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里 余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間壱里半余。宿角左衛門、図書 ヨリ状被添。

一 十九日 快晴。予、鉢ニ出ル。朝飯後、図書家来角左衛門ヲ黒羽ヘ戻ス。午ノ上尅、湯泉ヘ参詣。神主越中出合、宝物ヲ拝。与一扇ノ的躬残ノカブラ壱本・征矢十本・蟇目ノカブラ壱本・檜扇子壱本、金ノ絵也。正一位ノ宣旨・縁起等拝ム。(中略)温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、雨神一方ニ拝レさせ玉フヲ、
  湯をむすぶ誓も同じ石清水  翁
「野を横に」句碑(常念寺境内)
[遊行柳]
 また、清水流るるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。この所の郡守戸部某の「この柳見せばや」など、をりをりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひおりしを、今日この柳の陰にこそ立ち寄りはべりつれ。
  田一枚植ゑて立ち去る柳かな
一 芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶や松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切れレ(十町程過テ左ノ方ニ鏡山有。)、八幡ノ大門通リ之内、左ノ方ニ遊行柳有。其西ノ四五丁之ニ内愛岩有。 「道のべに」西行歌碑
[白河の関]
 心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便り求めしもことわりなり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあはれなり。卯の花の白妙に、茨の花の咲き添ひて、雪にも越えゆる心地ぞする。古人冠を正し意匠を改めしことなど、清輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。
  卯の花をかざしに関の晴れ着かな  曽良
一 関明神、関東ノ方ニ一社奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶や有。小坂也。これより白坂ヘ十町程有。古関を尋て白坂ノ町ノ入口より右ヘ切レテ籏宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前より小雨降ル。(以下、略)

一 廿一日 霧雨降ル。辰上尅止、宿ヲ出ル。町より西ノ方ニ住吉・玉嶋ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣。ソレヨリ戻リテ関山ヘ参詣。行棊菩薩ノ開棊。聖武天皇ノ御願寺、正観音ノ由、成就山満願寺ト云。籏ノ宿より峯迄一里半、麓ヨリ峯迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行碁菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。真言宗也。本堂参詣ノ比、少雨降ル。暫時止。コレヨリ白河ヘ壱里半余。(以下、略)

 ○白河ノ古関ノ跡、籏ノ宿ノ下里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由、相楽乍憚ノ伝也。是ヨリ丸ノ分同ジ。(以下、略)
 ○うたゝねの森、白河ノ近所、鹿嶋の社ノ近所。今ハ木一二本有。(八雲ニ有由)かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通ハざりけり
白河領の碑

「白河古関」碑

白河神社

満願寺での出会い(NHK手話ニュースでおなじみの丸山さんと)
[須賀川]
 須賀川の駅に等窮といふ者を尋ねて、四五日とどめらる。まづ「白河の関いかに越えつるや」と問ふ。「長途の苦しみ、身心疲れ、かつは風景に魂奪はれ、懐旧に腸を断ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。
  風流の初めや奥の田植歌
むげに越えんもさすがに」と語れば、脇・第三と続けて、三巻となしぬ。
 この宿のかたはらに、大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧あり。橡拾ふ太山もかくやと閧ゥにおぼえられて、ものに書き付けはべる、その詞、
  栗といふ文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。
   世の人の見付けぬ花や軒の栗
一 廿二日 須か川、乍単斎宿、俳有。
   廿三日 同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡を拝。
一 廿四日 主ノ田植。昼過より可伸庵ニ而会有。会席、そば切、祐碩賞之。雷雨、暮方止。


一 廿九日 快晴。巳中尅、発足。石河滝見ニ行。(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡。)須か川より辰巳ノ方壱里半計有、滝より十余丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ、滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハゞ百二三十間も有之。滝ハ筋かへニ百五六十間も可有。高サ二丈、壱丈五六尺、所ニより壱丈斗ノ所も有之。それより川ヲ左ニナシ、壱里斗下リテ小作田村と云馬次有。ソレより二里下リ、守山宿と云馬次有。(以下、略) 
「乙字が滝(石河滝)」芭蕉句碑


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