平成四年度指定

那珂遺跡

福岡市博多区那珂六丁目316番 福岡大同青果株式会社

 那珂遺跡は福岡平野の中央部に位置し、那珂川と御笠川に挟まれた洪積世台地上に立地する旧石器時代から中世におよぶ複合遺跡です。台地上の最高所は標高9〜10mで、周辺の沖積地とは2〜3mの比高差があります。那珂遺跡の考古学的調査は、昭和46年の九州大学考古学研究室による発掘に始まり、これまで(平成4年)に36次におよんでいます。これらの調査の結果、各時期の集落、墳墓の変遷が次第に明らかにされてきました。縄文時代晩期に台地端部の数カ所に集落が形成され始め、弥生時代前期以降、次第に集落の規模を拡大し、弥生時代中期には福岡平野の拠点集落の一つに成長し、古墳時代にも大規模な集落が存在しました。古墳時代初頭には台地中央部に、福岡平野で最初の大形前方後円墳、那珂八幡古墳が造られます。また、本遺跡の北側の比恵遺跡において古墳時代後期から奈良時代にかけての大形建物群や瓦類などが多数出土し、「那津官家」の推定候補地となっています。また、周辺の著名な遺跡としては南東側約1.5kmに板付遺跡、南側約3.0届に須玖岡本遺跡などがあります。

 調査で検出した遺構は溝2条、掘立柱建物1棟、土壙1基、柱穴50数個などです。溝以外は主に弥生時代中期のものです。
 二条の溝は、北側にはり出すゆるい弧状をなしておおよそ東西方向に約5mの間隔で並行にのびています。北側の1号溝は幅5〜4m、深さ約1.8〜1.5m、断面V字型で、長さ25m。溝の上部から弥生時代中期の土器類が出土し、中〜下部から少量の夜臼式土器類が出土しました。南側の2号溝は幅2.0〜1.5m前後、深さ約1.0〜0.6m、断面逆台形で、長さ38m。溝の下部を中心に夜臼式土器類が多く出土しました。二条の溝は企画、出土遺物から同時期に掘削されたと考えられますが、1号溝の最終的な埋没は弥生時代中期まで下ります。
 2号溝の下部から出土した遺物には土器、石器、土製品などがあります。土器は夜臼式土器の甕、壷、鉢、高杯などであり、夜臼式土器単純期の組成です。壷は大小あり、小形のものは丸底と平底が主体です。石器には柱状片刃石斧、石鏃などがあり、土製品には紡錘車があります。二条の溝は那珂台地上に掘削された環濠の一部とみられます。推定復元すれば長径で160m前後、短径で140m前後の規模の二重環濠と推定されます。環濠内部は今回の調査地点では保存状態が悪く、集落関連遺構の検出は出来ませんでした。

 環濠集落は日本列島では弥生時代に水稲耕作と共に出現する新たな集落形態です。これまで確認されている最初期の確実な環濠は福岡市板付遺跡や有田遺跡などであり、その時期は夜臼式一板付I式土器共伴期でした。今回那珂遺跡で発見した環濠はこれを一時期遡り、現時点では国内最古に位置づけられます。また、その規模は前二者を上回る極めて大規模なものであったことも重要です。なお、多重の環濠はこれまで中国地方以西、近畿地方を中心に多く知られており、近畿地方で独自に発達したものとみられていました。しかし、今回はその祖形ともいうべき例を福岡平野の中心地に発見し、従来の見解に対して再考を迫るものです。