拓きし路・上ペーパンと養蚕農家


旭川市の上ペーパン地区の開拓は明治31年の福島団体の団体入植がその始まりです。明治39年の開拓成功検査を経て、澱粉、色豆、除虫菊、ハッカ等で賑わい、昭和12年に字名は米原、瑞穂と変わりました。昭和20年さらに奥地に戦後開拓の手が入りましたが瑞穂の奥にはペーパンダム、21世紀の森が完成しています。



平成18年閉校の旭川市東旭川町豊田の旭川第四小学校。



旭川市東旭川町米原の平成19年閉校の旭川第一中学校。この地域では俵マップに匹敵する地域案内板ペーパンふるさとマップがフェンスに掲げられていました。閉校後、旧旭川第一中学校跡利用プロジェクトとして米飯屋が校舎を利用していましたが平成24年3月末に活動を終了しています。



明治32年開拓当初の上米飯簡易教育所がその起源の旭川第一小学校は現役校で平成25年は生徒数8人。



100年記念会館。



福島団体の郷里の福島県大田村(現南相馬市)の相馬太田神社から分祀された太田神社。福島を立ったのが5月3日で、この日を記念して春祭が行われます。その準備のため旗が掲げられていました。また秋には境内でペーパン祭りも開催されています。



旭川市東旭川町瑞穂にある養蚕農家。福島県から入植した松浦繁松が昭和42年に建てたものです。旭川市開基100年を記念して平成2・3年に解体復元工事が行われ現在の姿となりました。その後全国的な養蚕業の隆盛の流れの中で、米飯地区に野桑が繁茂していることから団長菊池熊の之助が養蚕を奨励したことにより、米飯地区は屈指の養蚕地になったのです。



居住スペースの茶の間から中の間、座敷を見渡す。茶の間にはいろりがありました。



茶の間から土間を見渡す。蚕棚もありました。



神棚と屋根。



さらに奥地にある昭和62年閉校の旭川第六小学校。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
拓きし路・上ペーパンと養蚕農家