依田勉三の足跡を追う(伊豆松崎町編)



伊豆西海岸に位置する松崎町は十勝開拓の祖とも言われる依田勉三の出身地です。松崎町の旧大沢村に依田家の生家はありました。旧生家は那賀川に沿った場所にあります。那賀川はかなり以前から河口に水門を造る計画がありますが実現していません。



旧生家は今は大沢温泉ホテル依田之庄になっています。



今回は絹屋の棟に泊まりました。客室名は甲斐絹。依田家が製糸業で名を馳せたことから絹の名前が命名の起源になっています。宿泊施設としては最初に建てられた棟なので若干古め雰囲気でした。新館として屋上に満天の湯がある竹取の棟もあります。加えて江戸時代の建物を利用した客室があるのも魅力です。



夕食には名物の桶寿司がつきます。依田家は武田家の重臣として仕えていましたが武田征伐の天目山の戦いにて敗退し、松崎へ来ました。往時を偲び食したのがこの桶寿司とのことでした。



毎夜、土間では餅つきが行われます。



蔵が立ち並ぶ様は江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気でした。



蔵の中には小さな資料館もあります。明治時代の旧家の写真、製糸関係の資料などがあり、その中に依田勉三の写真もありました。

依田家は松崎町では名家であり依田勉三の血筋をひく依田敬一氏が昭和50年から62年まで町長を務めています。依田家に仕えていた方と話を何度かすることがありましたが那賀川の対岸の山を眺めながら「勉三さんは何でそんなにまでして北海道に渡ったのかねえ。」と言われていたのが印象的でした。



道の駅花の三聖苑伊豆松崎が松崎市街から大沢に着く手前にあります。三聖とは松崎の郷土の偉人の漢学者の土屋三余、明治時代の実業家の依田佐二平、そして依田勉三のことです。



明治16年開拓にあたって乞食に扮して決意を示した依田勉三と移民団一行の横浜滞在中の写真。



「開拓のはじめは豚とひとつ鍋」ということで当時の鍋や旅行鞄も展示されていました。



帰一寺は依田勉三をモデルにした映画「新しい風」で依田家の菩提寺として使われました。



旧賀茂村にある黄金崎クリスタルパーク。毛綱毅曠の作品がここにあることが不思議です。



北海道旅情報巻頭  9.アラカルトレポート
依田勉三の足跡を追う(伊豆松崎町編)