新得町トムラウシ周辺




新得町は狩勝峠を十勝へ下ってきた最初の町というイメージが強いのですが、さらにその遥か北の十勝川の最上流までが町域です。そして十勝川に沿ってわずかに集落が点在している風景は目指さなければ出会うことができない、北海道でもなかなか訪れることのない場所です。



屈足市街から道道718号線を北上し、畑作地帯を抜け十勝川沿いを少し行った先に岩松小学校はあります。岩松地区は明治43年から開拓され、大正2年仮校舎が建てられました。大正3年屈足尋常小学校特別教授場、そして大正8年巖松尋常小学校となりました。昭和14年に岩松ダム、発電所の工事着手により昭和16年には急激に増加した児童数128名となり、日本発送電の協力により仮校舎も増設。その後工事竣工後は児童数を減らすものの、地域は林業及び電力施設に支えられ存続し、昭和30年にこの校舎が完成しました。そして昭和51年児童数6名となり廃校になりました。
近隣には店舗跡のような建物もありました。また十勝川を楽しむアウトドア施設もあり、多くの人が訪れている様でした。



岩松ダムの貯水池の岩松湖の脇に十勝上川森林鉄道のトンネルが残っています。十勝上川森林鉄道は昭和25年から昭和28年に幹線が完成し、昭和39年までに571,039m3の原木が搬出されました。このトンネルは昭和28年完成、長さ76m。岩場が突き出た場所にあり、今の道道も張り出した桟橋を抜けていく場所でここだけはトンネルにせざるおえず、帯広営林署管内では唯一のトンネルでした。



岩松ダムのさらに上流には昭和48年着工し、昭和59年に完成したロックフィルダムの十勝ダムと東大雪湖があります。ダムの完成によりキナウシ、二ペソツの7戸と畑地108haが湖底に沈みました。ダム湖の左岸には念仏峠という難所がありましたがダム工事により道路は右岸に付替られました。また下富村牛小学校も湖底に沈んでいます。


十勝川を渡る森林鉄道跡に残る橋脚。



大正7年十勝日々新聞社長、道議の菅野光民がこの地でヒグマの犠牲になりました。昭和60年菅野光民殉難の碑が建立されています。本格的な開拓が始まる前にこの奥地まで調査がされていた歴史に感銘を受けました。



二ペソツ市街には山村留学も可能なへき地5級の富村牛小中学校があります。平成20年に校舎は改築されています。



二ペソツ市街の先の小さな谷を越えていた森林鉄道の橋脚。道道の脇にあり、春なら容易にその姿を見ることができます。



昭和28年ペンケベツに富村牛小中学校上富村牛分校開校、昭和31年に上富村牛小中学校として独立、昭和51年に廃校になりました。今も屋根がドーム状の体育館が残っています。



上富村牛小中学校入口に昭和40年に造られた大原始林開拓苦闘碑。この碑のさらに北には今も3戸の酪農家があります。新得市街から約50km。


参考文献 昭和62年 角川日本地名大辞典 角川書店
平成24年 十勝の森林鉄道 小林寶 森林舎



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
新得町トムラウシ周辺