陸別町小利別周辺(日宗編)





日宗の丘の廃屋









陸別町開拓の祖関寛斎が陸別トマム原野に入植したのが明治35年、それから池北線が明治44年に全通し同時に小利別駅が開業する中、小利別南西一帯の日宗に開拓の手は入りました。この開拓は福岡及び山梨からの団体入植で佐野前励と広瀬啓宣が率いたもので北海道法華村をこの地に造るという精神の下のものでした。当初は澱粉工場の建設など積極的に開拓が推し進められるも厳しい自然環境の中で開拓は困難を極め、今では日宗の地は牧草地は広がるもののほとんど人家は存在しない無人地帯となってしまいました。小利別にある開拓指導者の名前を取った前啓寺は今は森の中に消えています。




小利別の国道242号から農家の軒先を入っていき日宗の丘に向かうダートがありこれが道道620号苫務小利別停車場線です。



そして丘に上る途中に佐野前励日菅上人頌徳碑があります。平成7年に建立されたもので立派です。




案内板はその時同時に製作されましたが木製のものが平成16年の雪により破損し石製のものが新たに造られました。



さらに道は標高を上げていきます。周りは人家こそないものの牧草地がわずかに広がります。



そして日宗を見渡す峠に到達します。この先道は牧草地に突入し消えてしまいます。この峠にはかつては神社もあったとのことですが痕跡さえ見つけることはできませんでした。ただ日宗のかつての開拓地は漠々と牧草地が広がっていて無人地帯となりながらも開拓された地としての存在意義を示しているかのように感じました。



峠から小利別方向を見渡しました。上ってくる途中には農家の廃屋が一軒ありました。



小利別市街から国道242号を2.5km程南下すると日宗川沿いに西進する道路があります。道は人口希薄地帯に不似合いな二車線道路です。そしてその道路は日宗川をさらに遡る道路と峠を越え勲祢別川の谷へと下る道路の二つに分かれる三叉路に到達します。三叉路には写真右の農家の廃屋が存在します。



日宗川を遡る道路。途中人家が一軒だけぽつんとあります。道路の両脇は牧草地であった大半に植林がされ開拓地は再び森に還ろうとしていました。この道路は実は道道620号で先述したダートがここに繋がるはずなのですが今はとても普通車が通れるような状態ではなく今後整備される可能性もないのでしょう。



先程峠から見た風景を日宗川沿いから望みます。



勲祢別川へ行くルートも道道620号で切り盛りを大胆に行ったハイグレードな道路です。周りには牧草地は広がるものの人家は一切なく正直この道路には違和感を覚えました。そして勲祢別川沿いの林道に突きあたり道道は一旦途切れます。この道道はポントマムへと向かうことが当初の計画ではあるのですが実現することは多分ないのではないでしょうか。勲祢別川沿いの林道は鹿除けのゲートが国道242号へ向かう途中に一ヶ所ありかつ悪路ですので注意が必要です。




北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
陸別町小利別周辺(日宗編)