白糠町茶路川流域





茶路川は白糠町の中心を流れる河川です。白糠町はの釧路から40km程東にある太平洋に面する町で太平洋岸の白糠町役場のある一帯に人口は集中し、それ以外では大きく分けて茶路川流域、庶路川流域、恋隠川流域、太平洋岸の4地域に集落が点在します。かつて白糠は炭田地帯で町内に茶路、庶路などの小炭鉱を抱えていましたが炭質も良くないため昭和40年代中期にすべての炭鉱が閉山となりました。



茶路川流域には国鉄の白糠線が二股(北進)の集落まで通じていました。そしてその路線は国鉄再生法下で第一次特定地方交通線に選定されそのトップを切って廃止になりました。白糠-上茶路間が昭和39年開業、上茶路-北進間が昭和47年開業した路線で昭和58年に短い歴史を閉じました。白糠線の廃止が早かったのは路線がひとつの町内で完結し意思決定が白糠町だけで行われたことが大きく全国的にも最初ということで注目されマスコミが殺到しました。その時にはバスになって国鉄時代の3往復から運行本数が増えたことやバス停留所が各個人の家の前にできたことがすばらしいことのように報道されたものですがバスの運行本数は平成15年現在で3往復(休日運休)と以前とほぼ同じ状態を取り戻し、それ以上に沿線人口は激減をしています。

写真左は平成5年時点での上茶路駅。駅自体を小さな遊びのスペースとして活用しようとしたため小さなトロッコなどもありましたが訪れる人の少なさからすぐに錆び付き雑草に囲まれてしまいました。現在ではこの駅舎自体も撤去されています。

写真右は平成5年時点での上茶路の神社から上茶路市街を写したもので炭鉱住宅もしくは国鉄住宅と思われる住宅が幾つか並んでいることがわかります。




写真左は同じく平成5年に上茶路で撮影したもの。建物の形状から判断するに上茶路小中学校の跡かもしれません。

写真右も同じ時に撮った写真で集合住宅近影。



写真左は平成15年時点の上茶路青少年旅行村。青少年旅行村は運輸省の補助事業の一つで昭和46年に始まったものです。青少年旅行村はその当時青少年の健全な旅行の推進と過疎地域の振興に貢献するものとしてキヤンプなどを整備するもので上茶路には閉山後の昭和51年に建設されました。しかしながらその青少年旅行村の制度自体が過去のものになりつつあるという事実と施設の老朽化、周辺に観光名所がないなどの状況から考えるに利用がどのくらいあるのかは疑問を感じざるおえません。

写真右は上茶路にあるガソリンスタンド。釧路近郊に位置する白糠ではどうしても買い物は白糠市街もしくは釧路近郊のショッピングセンターに行くことが多いと考えられます。そのため日用品などを販売している商店はほとんどこの茶路川流域では消滅しています。最も利用価値のあるものとして考えられるのはガソリンスタンド。価格競争は激しいながらも自宅近くにはどうしても欲しい存在です。このガソリンスタンドが唯一の上茶路の商店なのです。最初この看板を見たとき営業しているか疑問だったのですが雰囲気から判断するに地元の人のみがわずかに利用している施設として生きている印象を受けました。



白糠線の廃線跡は道路からいくらでも見つけることができます。これは建設時期が昭和後期と遅く、建設規格がいいのでしょう。PC(プレストレストコンクリート)の長大橋が多いのも特徴ですが写真は鋼桁式のもの。



写真は二股の集落です。ここには国道沿い、国道奥に20軒程の住宅が立ち並びますがそのほとんどが廃屋と化しています。残っている民家は数軒に過ぎないと思われます。白糠線の終着駅は北進という鉄道延伸を願った名前でこの集落の東側にありました。茶路川でも最奥に位置する二股は林業が主体の集落であり地形図からは貯木場も確認できます。しかし林業の衰退により人口が減少し、その人口基盤の上に成り立っていた商店も多くが閉鎖に至ったのです。



茶路川の流域にはかつて茶路小中学校、縫別小中学校、上茶路小中学校、北進小中学校の4校がありました。上茶路小中学校は炭鉱の閉山と前後して廃校になり、次に縫別小中学校が近接して茶路小中学校があったことから必要性が低下し平成3年に廃校になりました。現在も校舎は現存し縫別自然の家という宿泊施設として使用されています。そして平成13年に最も奥にあった北進小中学校が廃校となり茶路川流域には茶路小中学校のみとなったのです。北進小中学校から茶路小中学校に移った生徒はわずか4人でした。

茶路小中学校は本質的には白糠市街の学校と統合しても問題ないようにも思えますが茶路川流域を代表する学校として存立し平成14年に改築され新校舎となりました。この学校は毛綱毅曠という釧路出身の建築家によるものです。毛綱毅曠はこの建物が完成する直前、平成13年9月2日に亡くなりこの建物が最後の作品となってしまいました。釧路には毛綱毅曠の手による建物がMoo、生涯学習センター、湿原展望台などたくさんあります。そんな建築家がこの茶路小中学校を手がけたとき何を想い設計をしたのか私には気がかりでなりません。そして国道沿いの高台に茶路小中学校は鎮座しているのです。

写真は北進小中学校の閉校記念碑。



写真は北進小中学校の校舎。平屋ながら規模は大きく二股の集落の繁栄が偲ばれます。林業は労働集約産業的な性格があり集落人口もかなり多かったのでしょう。



二股から奥には少しだけ農地があり左股、右股の二つの集落があります。しかしその集落もわずかに農家があるのみで写真のように廃屋が国道沿いに目立ちます。

茶路川流域を改めてみてみると中茶路までの一帯は茶路川の形成した平地が広く農地としても利用価値が高いと思われます。そしてその奥では限られた場所にしか広い農地として利用できる場所はありません。農業の大規模化が進む中でわずかばかりの農地が点在するに過ぎない中茶路より奥は放棄された農地が目立つのが実情でまとまった農地が見られるのは高台、縫別、曲り沢など数箇所にしかありません。そんな幾つかの農業適地以外は最終的に放棄される可能性が高いと思われます。そしてそこに農家が残り続けるかもしくは通い耕作的な場所になるのかはまだ現状ではわかりません。他の産業が期待できない上茶路、二股などの茶路川でも奥地にある集落は経済基盤が全くなく存続は今後かなり危ぶまれるでしょう。しかしながらその中で中茶路までの一帯を中心とした空間は今後も緩やかな人口減少を続けながらも存立していく可能性を感じました。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
白糠町茶路川流域