穂別町長和と北海道横断自動車道





解体中の長和小中学校






穂別町の最奥に位置するのがこの長和の集落です。この地まで明治時代から開拓の手が入ったことは正直なところ驚きに値すると思うのですが、その時代においては道北の最奥地よりもまだ恵まれているという意識があったのかもしれません。今では長和の南部は穂別ダムにより沈み、北部もわずかに農家が数軒残るに過ぎません。ほんの数年前まで国道274からの道路さえも舗装されていませんでしたが現在ではこの長和に高速道路が通過することになり簡易舗装が施され、随所に高速道路建設の痕跡も見ることができます。






穂別川に昭和59年に完成した穂別ダム。この一帯は化石の産地としても知られ、ダム建設に伴ってもかなりの化石が発掘されました。穂別ダム東岸の道路に進入してくる車の一部はこの化石を目的としたものと思われます。



国道274沿いにあった道東道の看板。夕張IC-十勝清水ICのかなりの部分が着工しまだ先の話ですが開通が現実味を帯びてきました。



道道274から穂別ダム東側の道路を遡っていきます。その途中には農家の廃屋が点在します。写真は完全に崩れ材木が山になったもの。



今でも途中に数軒の農家があり、牧草地がわずかに広がります。



長和部落、長和小学校開拓七十周年記念碑。割れながらも柱に立てかけられ、脇にあった長和部落沿革にはこの地の歴史が刻み込まれていました。



日本道路公団発注の北海道横断自動車道穂別川工事工事看板。工事名から判断するに工事用道路ではなく本線の一部分の工事ではないかと思われます。滝川市の田端建設が施工しています。



その工事の一環として行われていた旧長和小中学校の解体。私が訪問した平成16年4月29日には半分が消え去っていました。正直なところ羊の牧舎として使われているとのことだったこの建物を見るのが目的のひとつだったため呆然と立ち尽くしてしまいました。高速道路完成の折にはこの付近の景観は一変してしまっていることでしょう。昭和51年廃校。



小中学校の脇の神社。



さらに先に行くと高速道路本線の土盛が見えてきました。



道の脇にあった廃屋。農家建築ではなく何の建物か疑問に思っています。シンプルながらも均整の整った美しいもの。



さらに進むと本線道路標識がありその手前に断熱材を用いた凍上対策試験施工の実験地がありました。路盤にポリスチレン層を設け土中に霜柱ができることを抑制する工法。



そして石勝線の東オサワ信号場に達します。この信号場至近に最終民家があります。当初は駅の計画もありましたが石勝線開通時には駅予定地周辺人口は激減し、結局はその夢は実現しませんでした。現在最も近い親夕張駅まで30km以上あります。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
穂別町長和と北海道横断自動車道