津別町その1(相生編)





昭和60年4月1日廃止になった相生線北見相生駅





津別町は網走支庁の主要都市北見市から峠をひとつ越え20km程行った所にある人口約7,000人の山間の小さな町です。林業が盛んな町でかつては人口も10,000人を超えていました。今でも津別市街には材木が山積みにされている場所が幾つもあり、林業が主要な産業であることが分かります。代表企業としては丸玉産業があり津別の産業の根幹を支えています。この一企業への依存度が非常に高いのも事実で、それを克服するため企業誘致など必死の努力がなされていますが、誘致を予定した企業がそれを取りやめたり誘致した企業が撤退したりとなかなか成果は実りません。優遇策を提示して中小企業を新規に誘致することは過疎市町村において最も一般的に行われていたことですが、産業のグローバル化の中で中国などへの進出と比較すると利点が全くなくなってきているのが現状でこれからはその市町村の特徴に即した産業を一から地道に創りあげる時代に来ているのかもしれません。

津別町の市街は津別に中心があり網走川がそこから放射状に分かれる谷ごとに小集落を形成しています。その中でのメインルートはやはり主要河川である網走川沿いになり、本岐、相生の津別第二第三の集落があります。本岐には大正時代に元芝居小屋で後に映画館になった本岐座があったことからも当時の賑わいを感じることができます。この建物は昭和36年まで使用されたたもので最近まで残っていたのですが平成12年6月に残念なことに取り壊されました。



津別にはかつて国鉄相生線が美幌-相生間を結んでいました。大正14年に全通し木材輸送に活躍しましたが第一次特定地方交通線指定され昭和60年に廃止されました。末期は当然のことながら学生、通院主体の輸送でしたがその頃には美幌-津別-相生のルートよりも北見-津別-相生のルートに人の移動も変化していたため、それに即して転換バスも設定されました。




北見相生駅は全体が保存され相生鉄道公園になっています。駅舎も保存されバスの待合室としても利用されています。写真左は本岐駅で使用されていた発車時刻表。写真右は町営バス時刻表。今でも全体の整備は行き届いていて相生の人々の鉄道への暖かい心を表しているかのように感じました。



構内に配置された旧型客車と気動車(キハ22-69)。



北見相生駅舎より駅前通りを写したもの。かつては最も賑わったと思われる場所ですが現在営業している商店は全くありません。日用品を購入する商店位はないものかと思いましたが北見の商圏に入るこの地域ではなかなか難しいものがあるのでしょう。この点では大都市までも距離がある道北の方が個人の商店が小さな市街に残っていることが多い気がします。



写真は駅前通りの平成18年11月。前掲の平成15年8月の写真と比較すると正面の家が消失しています。



写真は相生市街の幹線道路。ここにも確認できる個人商店は全くありませんでした。



相生には国道沿いに平成13年にあいおい物産館がオープンしました。



飲食コーナーでは十割り蕎麦、豆腐が味わえます。後者のものはかつて相生市街にあった新井豆腐店の味を再現したものだということで相生独自の商品を生み出そうという心意気を感じます。揚げは午前中一回のみの入荷でシーズンは大人気、豆腐は日に数回入荷でまだ入手の可能性高しといった雰囲気。また相生周辺の農産物を販売するコーナーもあります。相生を通る国道は北見と釧路を結ぶ幹線道路でありかつ途中に阿寒という大観光地を持ち交通量も比較的多いという恵まれた条件はあるにせよ、このような取り組みは成果を上げていて、これからの過疎集落における商店のあり方を示している気がしてなりませんでした。平成15年にあいおい物産館は道の駅として新たに指定も受けました。



また隣接してある石窯パン工房アエプは爆発的人気のお店です。10時に開店しなくなるまで営業。写真はあん入りのごはんパン。



写真は相生小学校。近年改築されたもので床暖房も入った立派なもの。かつてこの地域には相生小中学校があったのですが中学校は先に統合され小学校のみが残されました。津別町では本岐小中学校も中学校のみ平成13年3月に閉校し津別中学校に統合されました。そしてその後改築工事により津別小学校は平成13年12月に新校舎が落成しました。津別町の方針として小学校教育は地域に密着したものを目指し、中学校教育は多人数のものを目指していることがわかります。その中でどうしても難しいのが山間地の小学校の運営です。相生小学校では山村留学により都会から数人の留学生が来ています。相生小は相生出身の生徒も少なく留学生や官庁関係の一時的な住民のがかなりの割合を占めているのが現状なのです。上里小学校も同様な形で山村留学生を受け入れていてなかなか厳しい状況です。山村留学というものがどのような形で行われているのかわかりませんが訪れた生徒が地元の生徒と交流する中でいいものが生まれかつ小学校が地元と末永く共存していくことができればすばらしいことでしょう。また相反することですが逆に都会の小学校が山村留学をさせてみようと思う要因があるのなら、それを取り除いていくことを考えることも私としては必要だと思います。



写真は相生市街の東側にある喫茶店おいでやす。この相生市街でも東の一角には新住民が数世帯暮らします。津別市街への国道とは別ルートで行くことができる道道や木禽岳への林道がありますが後者は普通車では厳しくかつ入口に通常ではチェーンがされている模様。上里まで冬場はスノーモービルで30分で行くことができるのだとか。



相生市街の最も阿寒寄りにあるのがこのシゲチャンランド。ここより先に民家はなく電気が来ているのもここまでです。大西さんの私設美術館で一見の価値があるのですがこの大西さん自身ももとは相生出身なのです。相生は静かでいいところだと話す言葉に重みを感じました。施設はかつての農家を改造したもので写真を見ても分かるように奇想天外でかなり奇抜です。

津別町では津別市街だけでなく山間の集落をいかにして魅力あるものにするかの努力が随所に払われています。町の機能として物産館を相生、温泉は上里に配置し、学校も残す努力をする、そして都会からの新住民を受け入れ共生していく。その考え方は決して人口減少にはわずかな歯止めにしかならなくても今後の町が過疎の中でも光る町になっていく要因になる気がしてなりません。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
津別町その1(相生編)