チューリッヒのシチェルバコフ

 ソ連崩壊によって、多くの旧ソ連の知識人たちが世界中に進出してきています。それはオーケストラの団員からあらゆるソリスト、作曲家にいたる音楽家たちも例外ではありません。それは、状況は全く異なりますが、第二次世界大戦でナチから逃れて、新大陸に渡った多くのユダヤ人音楽家たちのことを思い起こさせます。
 ソ連崩壊は経済的な破綻によって旧ソ連内で活動をしていくことが困難になったことによっているのですが、優秀な人材の多くが西側に出、例えばイスラエルのオケではその大半がロシア系のユダヤ人であるなど、イスラエル・フィルというより、イスラエルにあるロシア交響楽団のようになっているのは、面白いことだと思います。。
 そうそうアンサンブル金沢のコンマスも確かロシア人ではなかったかな?

 例えばモスクワ音楽院の教授が日本で教えていたりと、その頭脳流出は色んなところに現れていますが、今回ここでとりあげるシチェルバコフもそんな頭脳流出組の一人であります。

 シチェルバコフは、シベリアのノボシビルスク近郊のバルナウルという小都市に、同地のオーケストラのホルン奏者を父に生まれました。
 五歳でピアノをはじめ、十一歳の時、父親の在籍していた町のオーケストラとベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番を演奏しています。その時、ポケットスコアしか無かったため、シチェルバコフの父親が手書きでピアノの譜面を作ったと、レコ芸のインタビューで本人が語っています。
 その後、モスクワ音楽院に進み名教師レフ・ナウモフ(ネイガウスの弟子)に師事し、一九八三年のモスクワで行われたラフマニノフ・コンクールに優賞しています。
 卒業後もモスクワ音楽院でナウモフの助手として残っていたのですが、時はゴルバチョフの時代。ペレストロイカで更に経済も困難を極めてきた頃、モントリオール国際コンクールに、イタリア、スイス各地でリサイタルを開催し、チューリッヒのゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクールに二位入賞し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の演奏に対してその優れた解釈に特別賞が与えられたのです。
 これを期に、シチェルバコフはモスクワでの地位を捨て、活動の拠点をスイスに移し、ヴィンタートゥーア音楽院の教授として活動しながら、その素晴らしい演奏を世界中で披露しているのです。
 プロコフィエフのピアノ・ソナタの全曲演奏会や、ラフマニノフの全曲演奏会といった離れ業をやってのけたりする、大変なテクニックと強靱な精神の持ち主であるシチェルバコフの演奏は、今やメジャーとなった廉価盤の巨大レーベル、ナクソスに多くの録音をし始めています。
 スクリアービンのピアノ協奏曲とプロメテウス、小品などをおさめた一枚は、水際だったテクニックを堪能させてくれますし、ピアノ協奏曲の美しい叙情も良く表現していると考えます。(NAXOS/8.550818)
 また、全曲演奏会を開いたこともあるラフマニノフのピアノ・ソナタ第二番他も、とてつもない難曲を豊かな情感を込めてさらりと聞かせるあたりは、このピアニストが並みの奏者ではないことを明らかにしています。初期の美しい「エレジーOp.3-1」を聞くと、決してこれ見よがしなテクニックのお化けのようなピアニストではなく、やや硬質ではありますが、伸びやかで美しい音を持ったピアニストであることは自明のことと思われます。もちろん有名な「鐘」をモティーフにした嬰ハ短調の前奏曲も入っています。このCDはチューリッヒの放送局で録音されています。(NAXOS/8.554669)
 更にもう一枚、シチェルバコフのCDで推薦するとしたら、ロシアの今世紀に活躍したメットネルというピアニスト兼作曲家のピアノ協奏曲第二番とピアノ五重奏曲はいかがでしょうか?
 ラフマニノフのようなテイストの彼の作品は、ラフマニノフのようなむせ返るようなロマンティシズムあふれるメロディーには及びませんが、なかなか良く書けている作品であります。優しい情感にあふれる協奏曲の二楽章や幅の広いゆったりとした主題によるピアノ五重奏曲など、独特の世界があることもまた事実で、かつて熱烈な愛好家がいたことも理解できます。
 遅れて来たロマン派の作曲家として片づけるのは簡単ですが、捨てがたい味わいのある音楽であることも事実です。
 シチェルバコフはこれらの作品を実に良く演奏しています。テンポの取り方が絶妙で下手をするとロマンチックでもたれ気味の演奏となり勝ちなこれらの作品をよく引き締めています。共演のオケ、弦楽器奏者たちは過不足のない出来に留まっていますが。(NAXOS/8.553390)
 ロシア革命で多くの音楽家がスイスに来ましたが、このメットネルも一時スイスに滞在しています。そして共産主義の壁が崩壊した後、また多くの音楽家がスイスにやって来ていることでしょうが、シチェルバコフはその中でも、将来に向かって大変有望な演奏家の一人であると言えると思います。