チューリッヒ生まれの指揮者ヴァルヴィーゾ

 シルヴィオ・ヴァルヴィーゾという名前は、バイロイト音楽祭とつながって多くの音楽愛好家に記憶されているのではないでしょうか?
 一九六九年から一九七四年にかけて、バイロイト音楽祭に登場した彼は、そのイタリア風の名前から、私はてっきりイタリア人だとばかり思いこんでいました。でもれっきとしたスイス人で、それもドイツ語圏のチューリッヒの生まれです。
 一九二四年にチューリッヒで生まれ、同地の音楽院で学んだ後、ウィーンに行ってクレメンス・クラウスにも師事しています。
 デビューは詳しいことは資料が少なく不明ですが、手持ちのCDの解説には一九四六年から一九五〇年にかけてザンクトガレンの歌劇場の指揮者として活躍したとありますから、戦後まもなくのデビューと見て良いのでしょう。
 その後、バーゼル歌劇場の指揮者となり、一九五六年からは音楽監督を勤めたとありますから、歌劇場を中心に着実にキャリアを積み上げていった、昔ながらの指揮者の出世街道を歩いていたと言えるようです。

 一九五八年にはベルリン市立歌劇場に客演し、メジャーにデビュー。翌一九五九年にはサンフランシスコ歌劇場、一九六一年にはメトロポリタン歌劇場にデビューを果たし、着実にオペラ指揮者としてのキャリアをのばしてきているのがわかります。

 一九六五年には北欧の名門、ストックホルム王立歌劇場の音楽監督に就任し、一九七〇年には王室楽長も兼務しています。

 一九七二年にはシュトゥットガルトのヴェルテンベルク国立歌劇場の音楽監督、一九七八年にはパリ・オペラ座の音楽監督と、重要なポストを歴任しており、その中で一九六九年から一九七四年にかけてのバイロイト音楽祭の登場だったのです。

 どこかのオーケストラの音楽監督や常任指揮者といった、いわゆるコンサート指揮者とは全く違う彼のような指揮者は、日本やアメリカでは理解されにくいようで、ヨーロッパでの名声のわりには、日本での扱いは小さいもので、CDなども滅多に出てきません。
 唯一のオーケストラ作品のCDが最近ロンドン・レーベルから再発され、その素晴らしい統率力に鮮やかな印象を受けました。
 のこりは全て歌劇(それもベルカント・オペラ)の全曲盤ばかりですが、ロッシーニの「セビリアの理髪師」や「アルジェのイタリア女」あたりは、スペインの名花、テレサ・ベルガンサらの歌手の出来も最高で、これらの作品の決定盤といってもいい出来となっています。また、ベルリーニの「ノルマ」では、ソプラノとしては短い活動に終わりましたが、カラス以来のドラマティコのスリオティスの唯一の「ノルマ」として記憶に残る演奏であります。
 あとは、ヴェルディの歌劇の中の合唱曲のアルバムがありますが、これなどを聞くにつれ、全曲盤を聞きたいと、心から思わせる出来であります。

 懐かしい、バイロイトの実況録音は楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲盤をこのほど手に入れて聴いてみました。一九七四年のバイロイト音楽祭のライブでザックスはリーダープッシュ(あの小沢の第九での見事な独唱を思い出しました。この頃が全盛期だったのですね)が歌っています。
 が、しかし、他の全曲盤のようにスター歌手がこれでもかというように並ぶ公演というよりは、堅実なアンサンブルにより重点を置き、スターを並べるだけで満足している公演ではない為、逆に地味な印象となってしまい、あまり売れない為、そうあちこちで見かけない録音となってしまったのは、気の毒です。
 聴いてみた印象は、素晴らしい合唱も特筆大書したい出来でありますが、更に個性的な歌や声で特徴を出す公演ではなく、ワーグナーの音楽を丁寧に磨き上げ、一つのプロダクションを仕上げて来た良い意味での職人の技を聴くといった録音であると思います。
 クナッパーツブッシュのようなスケール感や、フルトヴェングラーのような高揚感を期待している人は、それらを聴けば良いでしょう。
 しかしヴァルヴィーゾの演奏はそれらでは得られない丁寧な仕事(決して曲が本来要求しているスケール感に欠けるわけではないのですが)に感動させられます。
 昔、この演奏は聴いているはずなのですが、全く憶えていないのは、その頃から私自身の音楽の聴き方が変わったことと、多少音楽についての知識(これがジャマすることも多いのですが)によるところもあるのかも知れません。
 当然、イタリア人がバイロイトでワーグナーを振っている程度に考えていたのでしょうが、ヴァルヴィーゾはスイス人で始めてバイロイトの指揮台に立った指揮者となったのです。そして、以後まだバイロイトで指揮台に立ったスイス人はいません。
 この「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲盤はその大変貴重な録音のひとつであり、更にヴァルヴィーゾのバイロイトの三年間の最後の年として、集大成の公演であったことは疑いありません。
 機会があればぜひ皆さんも一度聴いてみてください。私はバークシャーのアウトレット物をインターネットで検索をかけてこのCDと巡り会えました。よろしければ皆さんもどうぞ・・・。