スイスに関する本の紹介 その十四

 しばらく前より、話題となっていたハイッリッヒ・ハラーの新編「白い蜘蛛」(長谷見敏訳、山と渓谷社刊)を読み終えました。
 自身がアイガー北壁の初登攀のメンバーであり、チベットのダライ・ラマの教師であり、現存する最後の探検家の一人であるハラーのこの本は、アイガーとグリンデルワルドを愛する人にとっても必読の書と言っても過言ではないと確信します。 この本を読む前に同じパーティーで共にアイガー北壁の初登攀を行ったヘックマイヤーの「アルプスの三つの北壁」を読んでいたので、ヘックマイヤーから見た登攀とハラーから見た登攀(二人は別々のパーティーで登り、途中で一つのパーティーとなったのです)という、少々視点を変えてのアイガー北壁初登攀の状況が見えて来てとても面白かったことは、私にとって幸運でした。古本屋さんの検索サイトで運良く引っ掛かって手に入れたのですが、結構古本で出ているアイテムのようですから、よろしければ皆さんもこの本と合わせて読んで見られたらいかがでしょう。
 彼らの登ったヒンターシュトイサー・トラヴァースから燕の巣、第一雪田から第二雪田、死のビヴァークからランぺを経て神々のトラヴァース、そしてこの書のタイトルともなった白い蜘蛛を経て脱出のリスと呼ばれる岩の割れ目をたどって頂上氷田から山頂に抜けるコースは、トニー・ヒーベラーの冬期初登攀時にも採用されたルートでもあります。
 そしてこのノーマル・ルートにはヘックマイヤー・ルートという名前までついているのだそうです。

 しかし、この本はアイガー北壁の初登攀の物語として書かれたのではありません。初登攀の前のいくつかの試みを紹介し、自らも関わった初登攀から、その後の北壁を巡る数多くのドラマを、極めて簡潔にして詳細に語っている点が秀逸であります。
 例のコルチらイタリア人たちの登攀がもたらした問題についても、事実をよく述べていますし、その問題点もよく書かれていると思います。
 アイガー北壁からの多くの救出劇について、このコルチの救出がワイヤーを使っての初めての救出で、初めての救出の裏での多くの葛藤が淡々と語られているのも素晴らしい点です。
 そしてヘリコプターでの救出の時代。
 とは言っても、アイガーの北壁のオーバーハングした壁でどうするのでしょうかねぇ。

 更にジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ(JECC)の直登ルートによる登攀についても・・・。

 ハラーはJECC等の物量作戦に対してやや軽く見ているように思えます。エベレストなどの登攀に使われるベース・キャンプを設営しての大量の物資の荷揚げ、物量作戦による登攀についてはあまり快く思っていないようです。
 その意味で、ハラーもまた旧世代の登山家となっていると思います。
 それは、前世紀のウィンパー達の初登攀時代、そしてほとんどの山登り尽くされてしまった後に出てきた、より困難なルートによる登攀の時代へ。
 それは、アルプスのガイドたちと共に登って来たイギリス人たちの伝統から、ガイドを雇わないで登るスタイルに変化していったのです。
 登山技術もピッケル、氷斧の時代から、新しい登山技術と登山用具の時代となっていったのです。
 その時代の申し子たちが、グランド・ジョラス、マッターホルン、アイガーのアルプスの三大北壁を目指したのは間違いありません。
 いわゆるバリエーション・ルートの時代です。
 そして、それも一段落する頃、ヒマラヤの高峰での登攀技術の応用をアルプスの困難な壁でより困難な直登ルートへと向かったのも無理ありません。逆に単独登攀などに挑む者も出てきたことも当然でしょう。
 そして、アイガーはその縮図となっていったことがこの本によってよくわかります。

 おそらく上記の三大北壁よりも困難な壁はあったと思われますが、これらの山は観光地から近く、よく知られていたことも原因となっているのでしょう。事実、グリンデルワルドから見る、アイガーは圧倒的でさえあります。

  この書の訳者の後書きで知ったのですが、ハラー氏のグリンデルワルドでの定宿は教会に面した外れに近いホテル・グレッチャーガルテンなのだそうです。
 93年の八月、私と家内は初めてグリンデルワルドを訪れ、ここに宿をとったのです。広い二階のベランダからは東山陵が望め、朝焼けに染まる山の美しさは筆舌に尽くせません。スイスのナショナル・デーで広場までの行進がこのホテルの前から始まるので、後をゾロゾロついて行ったのも懐かしい思い出です。

 スイスとグリンデルワルドを愛する全ての人に大推薦の一冊です。