スイスのオケの音楽監督となった外国人指揮者
 バーゼル響で指揮をしていたモーシェ・アツモンは憶えておいででしょうか。
 ハンガリーで生まれ、イスラエルに移住。テル・アヴィブとロンドンで学んだ彼は、始めはホルン奏者としてスタートしています。
 モーツァルトの序曲全集がBGM傘下のオイロディスクに残されていますが、その颯爽とした演奏は、個性的とは言えないにしても、素晴らしいアンサンブルで実に見事な出来でありました。ハンガリー生まれの指揮者で1944年にイスラエルに移住。ホルン奏者からはじめて後に指揮者に転向。ミトロプロス指揮者コンクールに優勝後、1969年にシドニー響、1972年にハンブルクの北ドイツ放送響の音楽監督に就いた後、1977年よりバーゼル響の音楽監督に就任したですが、最近は北欧のオケの指揮で時折名前を見かけます。

 彼の前任にはハンガリーの
ジョルジ・レヘルがいたことを知っている人は少ないでしょうね。1926年2月10日ハンガリーのブダペスト生まれのこのベテラン指揮者がバーゼル在任中の演奏は今はほとんど聞くことはできませんが、テューダー・レーベル等に少し残されています。
 レヘルは、ハンガリーの指揮者ということで、何だかエネルギッシュな感じをイメージとして持っている人も多いかも知れませんが、とても繊細で、デリケートな表現が出来る指揮者であると思います。
 彼はハンガリー放送響の初代の首席指揮者で、オーケストラ・トレーナーとしても超一流でありました。1986年のその地位を退いていますから、バーゼルの地位は兼務の形でやっていたのだと思いますが、その時代の録音が残されているのは、喜ばしいことであります。

  バーゼルに居を構えて活動した
ワルター・ウェラーは病の為か、最近はその活躍を聞くことも少なくなっていますが、1994年にはバーゼル歌劇場の音楽監督に就任し、Tuderレーベル等にいくつかの良い録音を残しています。元ウィーン・フィルのコンマス出身の指揮者というキャリアを持つウェラーだけにオペレッタなどの録音がバーゼルで残されていたなら…。

 このバーゼルのオーケストラは1997年にバーゼル放送管弦楽団と、バーゼル交響楽団が合併して新たにバーゼル交響楽団として活動をはじめていますが、現在スイス人指揮者のマリオ・ヴェンツァーゴと共に指揮をしているのは
ユリア・ジョーンズというイギリスの女流指揮者です。マンチェスターでピアノとクラリネットを学んだ後ブリストルで更に作曲、指揮、チェンバロ等を学んだそうで、その後歌劇場で修業をして実績を積み、バーゼルでは市立歌劇場での公演の指揮を主に担当しているようです。

 また、新生バーゼル室内管は、
クリストファー・ホグウッドがやって来て、バーゼル室内管ゆかりの作品(かつてザッヒャーに捧げられた、あるいは初演をした作品)をドイツのアルテ・ノヴァ・レーベルに録音しています。
 ホグウッドはエンシェント室内管の創設者として、あるいはチェンバロ奏者として知らない人はいないでしょう。1941年9月10日生まれで、サーストン・ダートやグスタフ・レオンハルトに師事した古楽界の人でありました。モーツァルトの交響曲全集やベートーベンの交響曲全集から、最近は近代の音楽までレパートリーを拡げている指揮者であります。

 バーゼルの次にチューリッヒ・トーンハレ管に目を移してみましょう。

 ケンペが亡くなった後、チューリッヒ・トーンハレ管では、若杉弘氏やクリストフ・エッシェンバッハが音楽監督・首席指揮者を勤めたのですが、1995年にデイヴィッド・ジンマンがアメリカのボルティモア響からチューリッヒへ来てから、目覚ましい成果をあげつつあると申せましょう。
 短い間に、アルテ・ノヴァからベートーヴェンの交響曲全集やシュトラウスの管弦楽曲集を出し、更にデッカからはオネゲル管弦楽曲集を出し、活発な活動を印象づけることに成功しました。ジンマンは優秀なオーケストラ・ビルダーであると思いますが、それ以上にコンセプトを明確にした演奏に特徴があると思います。べーレンライター版がまだ全部出版される前に取り寄せて独自の解釈を入れながら録音したのは、見事でした。多くの人がその演奏を受け入れ、最も現代的なベートーヴェンとして認めているのは彼らの音楽的な水準の高さをも証明してみせていると考えます。
 シュトラウスの録音も快調で、その全てが必聴盤となっていくことでしょう。「イタリアから」や「英雄の生涯」を聞きましたが颯爽とした演奏で清々しい印象を受けたことを報告しておきます

 1959年のチューリッヒ歌劇場デビューで大成功をおさめた後、同歌劇場のイタリア物の全てに対しての最高責任者となったイタリアの名指揮者
ネロ・サンティは、チューリッヒを中心としながら、メトやミラノへ精力的に客演をつづけています。中でもジュネーヴ歌劇場での1983年の故アンダーソンを主役に迎えたドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」のDVDが発売されていて、ベルカント・オペラに対する認識を一新するほどの緊迫した指揮ぶりに、私も遅ればせながら、サンティという指揮者の凄さを実感したところです。(読響への客演もCD化されていますが、これは未聴です)
 このチューリッヒ歌劇場は、ヨーロッパの中でもミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ロンドンのコヴェントガーデンとパリのオペラ座と並ぶ由緒ある大歌劇場であると言われています。
 チューリッヒ歌劇場の質的な高さは、もちろん付属の養成所から、一貫したそのシステムにありますが、更に、歴代の名指揮者たちに拠るところ大であるといえましょう。

 特に1969年から1979年まで音楽監督をつとめた
フェルディナント・ライトナーによる上演の数々は、この歌劇場に対する高い評価をもたらしました。
 彼は名指揮者のハイティンクの師でもありましたが、ベルリンに生まれ、作曲をあのシュレーカーについて修めた人で、スイスとも縁の深かったクーレンカンブの伴奏等を長く勤めていました。1930年にイギリスのグライドボーン音楽祭でブッシュの助手を勤め、その後ベルリンのノレンドルフ・プラッツ歌劇場でキャリアをスタートさせた指揮者で、オルフの「専制王アイディプス」「プロメテウス」の世界初演の指揮を勤めたのも彼でありました。

 更に名演出家の故ポネルと
ニコラス・アーノンクールのコンビでのモンテヴェルディ、モーツァルトの歌劇のシリーズは、1970年代のヨーロッパの最高水準を維持していたと言っても過言ではありません。そのいくつかがCD化され、また魔笛などがビデオ化されています。特に昨年(2000年)のバルトリ達、名歌手をそろえた「コシ・ファン・トゥッテ」のDVDは新演出で見事な舞台を見せてくれています。アーノンクールの指揮は今も尚切れば血がでるような生き生きとしたリズムにあふれ、この歌劇場の水準は今もヨーロッパの最高レベルであることを印象づけたのであります。

 チューリッヒ室内管のエドモン・ド・シュトルツの後任として1997年のシーズンからイギリスのハワード・グリフィスが活躍していることは御存知でしょうか。モーツァルトの交響曲などのスタンダードなレパートリーで清々しい演奏を瑞西ノヴァリスにいくつも録音していますし、あとジュネーヴで活躍したガスパール・フリッツの交響曲やヴァイオリン協奏曲等を録音してくれていることは有り難いですね。なにしろバロック期のスイスの作曲家については、話ばかりでほとんど音で聞くことができないのが現状ですので。
 彼は、ロンドンのロイヤル・アカデミーを修了した後、チューリッヒでエーリッヒ・シュミットに師事。その関係からか、スイスとイギリスでキャリアを重ねていて、イギリス室内管などともに活発なレコーディングを行っています。

 スイス・ロマンド管では、アンセルメ亡き後、クレツキが短い期間で健康上の問題で辞任後、ドイツ人指揮者にゆだねられました。1970年にはN響の指揮でもおなじみとなった
ウォルフガング・サヴァリッシュが首席指揮者に就任。1979年のシーズンまで、約十年にわたって率いたのでありますが、ほとんど成果をあげることなく終わり、更にホルスト・シュタインが1980年に音楽監督に就任し、ワーグナーやシベリウスなどの録音を残していますが、これまた、パッとしなかったのてあります。
 故福永陽一郎氏の著作によれば、この二人の指揮者がアンセルメの遺産を破壊したということですが、彼らとアンセルメを比べることが無いものねだりもいいところだったのでしょう。
 そしてヴィクトリア・ホールというアンセルメ時代のほとんどの録音がなされたホールが失火によって消失して、永遠にアンセルメの響きは失われたのであります。
 
 また、ローザンヌ室内管は、ヴィクトル・デザルザンが1942年に創設しその基礎を築いた後、ジョルダンが音楽監督に就任して更に実力をつけ、その後をうけた
ローレンス・フォスターが幅広いレパートリーをもって率いていました。彼は得意のエネスコ等のいくつかの録音をローザンヌで残しました。

 しかし、1990年から音楽監督に就任したスペインの指揮者ヘスス・ロペス=コボスの業績は、極めて質の高いものであると言えましょう。彼らによるデンオンレーベルへのハイドンのシリーズもノーブルでなかなか良いものがあったのですが、やはりファリャのベルガンサを迎えての「三角帽子」やマルタンの「コルネット(旗手)」といった声楽入りの録音が素晴らしい名演でありました。スペイン物にとどまらないのは当たり前でありますが、当然スペイン物も素晴らしい出来であることは言うまでもありません。
 彼らの録音としては、我が国のデンオン・レーベルにハイドンの交響曲を何枚か録音していますし、フォーレの「ドリー」やラヴェルの「マ・メール・ロワ」などを入れた子供の為の管弦楽曲集が印象に残っています。
 またバージン・レーベルにリヒャルト・シュトラウスの「変容」等の室内管弦楽作品とオネゲルの交響曲第2番、第4番、「夏の牧歌」を入れたものも印象に残りますが、この録音はこのコンビの美点と欠点を如実に表した1枚でありましょう。
 深い情念の世界は明らかにこのコンビには不向きなのです。あっさりとしすぎているように私には思えます。もっと深い心の深淵をのぞくような部分がほしいのに、美しく整えられてしまう不満を感じてしまいました。このロペス=コボスの指揮は、スペイン物を情熱的に演奏するというタイプとは正反対の資質を持っていると私は思います。バランスをよく整えた見通しの良いサウンドと、過度な思い入れを排した禁欲的な演奏態度にその特徴があると思います。したがって分厚いスコアからすっきりとしたサウンドを引きだすのは見事ですし、適度にロマンの香り、歌謡性にも欠けていないので、歌の伴奏などは信頼感があります。
 おそらく、いろんなレーベルにバラバラ録音しているため、ロペス=コボスとローザンヌ室内管の統一したイメージを打ち出せていないのが、その実力に比してポピュラーな名前になつていない一因であると思われ、ちょっと気の毒ではあります。

 さて、最近離任が決定した
ファビオ・ルイジのスイス・ロマンド管の時代は私はそれなりに実り豊かな時代であったと考えています。(あと1年、2002年まででしたっけ)しかし、行政からの援助が打ちきられ、財政的に厳しい状況に追い込まれたスイス・ロマンド管のかじ取りというのは、極めて難しいことであるようです。
 イタリアのジェノヴァに1959年4月26日に生まれ、名指揮者ミラン・ホルヴァートに師事。1984年にオーストリアのグラーツ歌劇場にポストを得るが、1988年以降はフリーランスとしてウィーン国立歌劇場をはじめバイエルン、ベルリン等に客演を続け、1991年にベルリン州立オペラでの「蝶々夫人」でのセンセーショナルな成功をおさめ、歌劇場を中心にキャリアを築きました。
 1995年にウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者に就任し、更に1997年にスイス・ロマンド管の音楽監督に就任。こういったキャリアの彼が、ウィーン等での録音の数々もリリースしていたのですが、ルイジとスイス・ロマンド管のCDとしてはオネゲルの交響曲全集がつい先頃発売。
 これは彼らが一流の成果をあげていることの証として、21世紀最初のオネゲルの名盤として長く聞き込んでいきたいCDであります。