スイスに移住してきた指揮者たち
(2)スイスで活躍しなかった指揮者 |
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ナチ協力の疑惑から楽壇追放となった音楽家(コルトー、フルヴェン、スイスには来ていなかったけれどベーム、カラヤン等がそうでした)のなかでは、オランダの名指揮者ウィレム・メンゲルベルクがいました。ナチへの協力が災いして戦後楽壇を追放された後の晩年をエンガディンで過ごし、1951年3月22日にツォーツで楽壇に復帰することなく、失意の内に亡くなりました。 彼だけ結局楽壇に復帰することなくなくなったのですが、多くの音楽家がレマン湖畔にいたのに対して、彼だけエンガディンという東の端に住んでいたというのは、孤独への志向が余程強かったのではないでしょうか。 彼の追放については、誤りであったのではないかと多くの人が指摘していますが、確かにフルトヴェングラーの裁判等を見ても、ちょっと戦争犯罪というものに対する当時の考え方は大いに誤ったものであったと思います。メンゲルベルクがそれに当たるかどうかは私には分かりませんが・・・。 ブルーノ・ワルターは休暇中の死であったためとはいえ、家族とともにイタリア語圏スイスの大都市ルガーノの近郊、モンタニョーラの聖アボンディオ教会の墓地に文豪、ヘッセの近くに眠っています。もともとここで永遠の眠りにつくべく戦前に権利を取得していたとどこかで読んだ気がしていますが、さて定かでは…。 そのワルターはスイスではほとんど活動していません。ルガーノで、モンタニョーラの村で、ワルターの墓はどこだと聞いて回っても、だれも知らなかったのは、スイスの人にとってワルターは1客人に過ぎなかったのでありましょう。その意味で、今も未亡人が住んでおられるクラランにいたフルトヴェングラーは別格かもしれません。彼はここで第二交響曲の仕上げをし、第三交響曲を書いていたのです(未完ですが…)。 スイスではほとんど指揮していませんが、ラファエル・クーベリックもスイス国籍を取得していたようです。彼はルツェルンで亡くなったのでしたね。 ザルツブルクにスイスから向かう列車の中に捨ててあった新聞で彼の死を知ったことを、そして意外にもルツェルンの病院であったことを私はそれで初めてしったのでした。 まぁついでにですが、シャーンドル・ヴェーグやギュンター・ヴァントもまたスイスに住んでいます(いました)。国籍はヴェーグが確かフランスでしたし、ヴァントは・・・すいませんわかりません。かつての名ピアニストのイエルク・デムズも最近スイスに引っ越したそうですね。 |
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