スイス出身の指揮者群像
(1)巨匠たち |
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1919年にザンクトガレンに生まれたペーター・マークはバーゼルとチューリッヒで神学と哲学をまず修めたそうです。後年、禅などに傾倒した素地はこのころに育まれたので有りましょうか。 ピアノをコルトーに、指揮をアンセルメとフルトヴェングラーに師事し、ビール・ゾロトルン歌劇場、デュッセルドルフ歌劇場の助手を皮切りに1956年からドイツのボン歌劇場の首席指揮者をつとめ、仏教寺院でも研鑽の後1962年、ウィーンのフォルクスオパーの首席指揮者となる。中でもモーツァルト指揮者としての名声は極めて高く、1972年にメトロポリタン歌劇場に「ドンジョバンニ」でデビューしたそうです。1974年にはトリノのテアトロ・レッジョの音楽監督に就任し、1984年にはベルン交響楽団に迎えられました。 しかし晩年に建てた音楽学校とパドヴァのオーケストラの育成に努めたこと。そしてそこからベートーヴェンの交響曲全集やモーツァルトの名演の数々、さらにマルコ・ポーロ・レーベルにマリピエロ(ムッソリーニ崇拝者であった為、戦後随分ソンをした作曲家)の管弦楽曲なんかも録音しています。 フェニーチェ歌劇場(最近来日しましたね。あの火災でなくなってしまった歌劇場です)の指揮者も努めていて、「カルメン」のなかなか面白い演奏も残しています。 若き日のデッカ時代の録音の数々も忘れられないものがありますが、やはり1970年代以降の円熟した演奏、例えばベルン交響楽団とのダンディ、サンサーンス、メンデルスゾーンといった録音。またスペインのオケとのメンデルスゾーン全集、また前にあげたベートーヴェンの全集やモーツァルトの交響曲の数々に私は心を惹かれます。 ペーター・マークがチューリッヒあたりの音楽監督となって、モーツァルト、ベートーヴェンの全集や、1970年代にアンダとのモーツァルトのピアノ協奏曲全集なんて作ってくれていたら・・・。無いものねだりもいいとこですが、想像するだけでも。 1932年ルツェルン生まれのアルミン・ジョルダンは、ローザンヌとジュネーヴで音楽を学び、ビール・ゾロトルン歌劇場のアシスタントとしてキャリアを開始。(へーター・マークと似ていますね)1961年に同歌劇場の首席指揮者に昇進。1963年にはチューリッヒ歌劇場の第一指揮者になり、1971年からはバーゼル歌劇場の音楽監督に就任しています。そして1985年にスイス・ロマンド管の音楽監督となったのです。 その簡潔にして古典的な格調を持つ演奏は、ドビュッシーよりもラベル、ベートーヴェンよりもハイドン、モーツァルトにその適性を示したのですが、他にシューベルトやシューマンの宗教大作などにも名演を残しています。まだ老け込む年ではないと思われますが、最近その活躍が聞かれないのは残念です。 そのジョルダンの同世代の指揮者として忘れてはならないのはシャルル・デュトワです。 1936年にローザンヌで生まれ、ローザンヌ音楽院、ジュネーヴ音楽院で学んだ後、アメリカにわたりタングルウッドでミュンシュに師事した彼は、ローザンヌ響でキャリアを開始しましたが、その後エーテボリ響の常任指揮者からカナダのモントリオール響の音楽監督につくことで巨匠の仲間入りを果たし、フランス国立管や我が国のN響の音楽監督も兼務して、超多忙な指揮者として今日に至っていますが、残念なことにスイス・ロマンド管やベルン響、チューリッヒ・トーンハレ管、バーゼル響といったスイスの四大オーケストラ(と私が勝手に言っているだけだが)のポストに就いてはいないのです。 彼だけがアンセルメ時代のスイス・ロマンドを復活させることができる資質を持っていたのに、実に残念なことであります。 次にあまり知られることのなかったスイス名指揮者シルヴィオ・ヴァルヴィーゾについてはどのくらいの人がその演奏を思いだすでしょうか。彼は1924年生まれですから年代は少し上でマークのちょっと年下です。チューリッヒで声楽家を父に生まれ、生まれながら歌劇と結びついていた指揮者のように思えます。バイロイト音楽祭での「タンホイザー」の録音が代表盤でありましょうか。ザンクトガレン市立歌劇場での「魔笛」でデビューした後、1950年から1962年の間、バーゼル市立歌劇場の音楽監督等を勤め、その後はスイスを出てストックホルム王立歌劇場の首席指揮者として活躍。1969年から1974年にバイロイト音楽祭の指揮陣に加わり1980年にはパリ・オペラ座の音楽監督となりました。 スウェーデンのグスタフロアドルフ国王から宮廷指揮者の称号を1971年に与えられているそうで、ストックホルムで腰を落ち着けてとてもいい仕事をしていたようです。しかし、政争渦巻くパリでのポストは彼には合わなかったようで、このパリ・オペラ座のポストを一年で放り出した後は、その実力に比してこれといったポストにつかないままに最近は、その活躍を聞くこともなくなってしまったのは、残念です。「タンホイザー」を聞いてみると、ノーブルなバランスの整った演奏で、強烈な個性というものはありませんが、もっと聞かれてもいいのではないかと思われます。 あとベルガンサなどを主役に迎えたロッシーニの「セピリアの理髪師」や「アルジェのイタリア女」などは素晴らしい出来で、その生き生きとした弾むようなリズム感は本当に見事なものでありました。デッカにプロコフィエフなどのバレエ音楽をいれたものもちょっと変わったところでありましたが、なかなかソロ?もいい指揮者でした。 独特のキャリアを築いているスイスの指揮者は、ミシェル・コルボでありましょう。 1934年にマルセンスに生まれ、フリブールの音楽学校で学び、19歳でローザンヌのノートルダム・ド・ヴァランタン教会の合唱長に迎えられたコルボは、合唱王国スイスの最も伝統的な音楽家であるのかも知れません。1961年に創設したローザンヌ声楽アンサンブルを育て、同時にローザンヌ器楽アンサンブルという古楽器アンサンブルも創設しバロック以前の音楽、特にモンテヴェルディを中心とした演奏で一世を風靡したのです。しかし、彼の代表盤は更に古楽の影響を内部に秘めたフォーレのレクイエムの演奏でありましょう。 彼は、1980年前後の古楽器アンサンブルへの傾倒を通して大いに演奏スタイルを変えています。フォーレの新盤やモンテヴェルディのオルフェオの新盤など、旧録音に親しんでいた人たちにとっては、若干面食らうところも無きしもあらずですが、キャリアを積んでも常に向上すべく努力しているコルボのパワーに驚かされます。 最近の録音では、なつかしのリスボンのグルベンキアン財団のオーケストラとコーラスを振ったシューベルトの変イ長調のミサ曲を聞きました。1996年の録音ですからちょっと前になりますが、スイスの新興のレーベルDINEMEC CLASSICSからのこの演奏は、最近のコルボの演奏の傾向をよく示しています。しかしオケのピッチがちょっと不揃いなところや独唱の非力さ(特に女声陣)が残念です。合唱も意外なほど低調なのはどうしたことでしょう。あまり活躍を聞かなくなったコルボももう年なんでしょうか。まだ67才。老け込むことはないと思うのですが。トーンハレ管やベルン響とローザンヌの手兵と入れたらどうなっていたかなぁ。 さて、あと二人、コルボと同様にスイスの伝統である合唱音楽指揮者として、バーゼル・マドリガリステンの指揮者フリッツ・ネフをます取り上げたいと考えます。 更に、生年不祥ですが、多分もうベテランに位置すると思われるレート・チップという指揮者を紹介いたしましょう。チューリッヒでスイスで最も権威あるネーゲリ・メダルを受賞したということがCDの経歴のところに誇らしげに書かれていますが、カメラータ・チューリッヒの指揮者として1957年より行って来た演奏活動が認められてのもののようです。1975年からはチューリッヒ混声合唱団の指揮もしています。更に1976年から1988年までの間、ドイツのカールスルーエ音楽院で指揮を教えてもいました。 |
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