スイスの作曲家オネゲル

 アルチュール・オネゲルと聞いて、あれ?あの人はフランス人でなかったっけというあなた、間違ってはいませんが、間違いでもあるという複雑な関係がここにはあることを説明しておかないといけません。

 オネゲルはフランスのルアーブルに一八九二年三月十日に生まれました。この点でやっぱりフランス人じゃないかと言うのは早合点。両親共にスイス人で、父はコーヒーの輸入業者だったそうです。彼自身の言葉によると、ここでの音楽環境は実に貧しいものであったそうですがね。
 音楽の才能を幼くして示した彼は、父の反対もあって独学でスタートを切り、更に許されてヴァイオリンを習うようになりました。両親から息子の将来を尋ねられたチューリッヒ音楽院の学長の薦めでチューリッヒ音楽院に進学。そこで二年間学んでいます。
 その後パリ音楽院に行ってカペーにヴァイオリンを、ダンディにフーガを、そしてジェダルジュに対位法を学び、同窓だったミヨー達と組んで作曲活動を始めたのでした。
 したがってその出発点がフランスで、そしてコクトーらの提唱する反ロマン反印象主義の枠からフランス六人組などと言われていたのですが、彼はワーグナーに心酔してそれを隠そうともしなかったと言います。
 それは、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を嫌いだと言った友人に対して「じゃあ、あなたは恋愛をした経験がないのだ」という逸話も残されていて、かなりの筋金入りだったようですね。
 オネゲルは二十世紀の作曲家としては極めて古典的な枠組みを守った、保守的な作風で知られています。それは対位法を大切にし、明確な形式美を追求するといった作曲の姿勢に強く表れています。
 この点、彼はマルタンと大変近い音楽傾向を示していると言えます。マルタン同様、声楽を伴った大規模な作品に多く傑作を残したという点でも、その傾向は理解できそうですが、そういった外面的なことだけではなく、彼の拠って立つプロテスタンティズムもまた共通していることも見逃してはなりません。
 晩年の彼が陥った悲観的、終末思想に言及しないまでも、ゲルマン的な悲劇主義とでも言うのでしょうか、明らかに音楽としては重い思想的な世界に彼は居続けたと言えるでしょう。
 代表作というか、有名な作品は「機関車パシフィック231」、交響曲第2番、4番の三曲はバーゼル室内管弦楽団とザッヒャーによって初演された名作。交響曲第3番もまた、二十世紀を代表する名作の一つ。絶望の音楽、交響曲第5番は1950年に作られ、病に倒れ、打ちひしがれた者の音楽です。交響的詩篇「ダビデ王」はスイスの詩人でローザンヌに住んでいた、ルネ・モラの台本に音楽をつけた作品。なかなかCDは手に入らないかも知れないけれども、これは最も彼らしい代表作。
 他に「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は先年サイトウキネンでも取り上げられたのでよく知られるようになった名作です。
 更に、オネゲルは多数の映画音楽も書いていて、香港のマルコポーロからCDが出ていて容易に聞くことが出来ます。室内楽や協奏曲、ピアノ曲(ピアノは上手ではなかったそうで、なんだかワーグナーに似てますね)など多数の作品を残しました。

 で、国籍の話ですが、彼はスイスにそれもチューリッヒ近くだったと思いますが、その辺りに根っこがあることを常に意識していたそうですが、結局フランスに帰化してしまいました。

 そして一九五五年十一月二十七日にパリで亡くなりました。