秋は「浄夜」で・・・
ツェートマイヤーとカメラータ・ベルン

(輸)ECM / NEW SERIES 1714 465 778-2

 ツェートマイヤーというドイツのヴァイオリニストがそのリーダーの地位についた、カメラータ・ベルンの新譜がでました。ECMというあのマンフレッド・アイヒャーのプロデュースするレーベルです。キース・ジャレットのケルン・コンサートなどのジャズの名盤から、ホリガーたちのバロックのアンサンブル、そして更にホリガーの自作自演に、ルツェルンのホフ教会のオルガンを使ってのメシアンまでという、非常に特色のあるレーベルであります。そのレーベルから発売されたということは、ツェートマイヤーとカメラータ・ベルンの面々の最近の活動の水準の高さを表しているように思います。

 実際、このCDは弦楽アンサンブルとは言え、かなり小さな編成で行われているようで、原作の弦楽六重奏バージョンを少し豊かにしたような感じです。録音についてはそう大したオーディオで聞いているわけではないので、なんとも言えませんが、あのECMですから悪かろうはずがないでしょう。
 演奏の見事さは、ああなんと言ってよいのでしょうか。ディナーミックの幅を大きくとるあまり、冒頭の低弦の2分音符が聞こえにくかったりするような、おっかなびっくりの演奏になりやすいのですが、このツェートマイヤーが率いるカメラータ・ベルンの演奏は、「浄夜」を後期ロマン派の爛熟した世界をすっきりと聞かせてくれる、おおらかさがあるように思いました。
 複雑に入り組んだ対位法を高度に屈指したこの作品は、ドイツの詩人デーメル(1863〜1920)の詩につけた音楽で、室内楽による交響詩のような様相を呈している作品です。まだ無調を取り入れる前のシェーンベルクの調性時代の作品で、「ペレアスとメリザンド」室内交響曲第一番等とともに、この時代を代表する曲であると思います。
 デーメルの詩は「男と女が冬枯れの並木道を歩いている。女は見ず知らずの男の子を身ごもっている。男は女を許し、お互いの気持ちがこのおなかの子供を浄めるのだから、私の子供として産んで欲しいと応える」というもので、不思議な諦観と高揚がこの作品の主題のようです。
 それをベルンの面々は、実に過不足なく、見事に演奏しています。弦の美しさは創立来のもので初代のリーダーのフェーリの頃から変わらない緊密なアンサンブルで、シェーンベルクに奉仕しています。

 このアルバムにはベルン音楽院の作曲の先生でもあったシャーンドル・ヴェレシュの「四つのトランシルヴァニアの踊り」と、スイスはグリュイエール近くのザッヒャーの山荘で作曲されたバルトークの名曲「ディヴェルティメント」もフィルアップされています。ヴェレシュはホリガーの先生でもあるハンガリー出身の大作曲家です。民族的な題材を選んだ親しみやすい作品で、ヴェレシュにこんな作品もあったのかと、ちょっと驚いてしまいました。シリアスな作品は、ちょっと難解かも・・・。でもこの作品はバルトークの作品に似た、大変聞きやすい調子で、そういえばヴェレシュは民族音楽学者でもあったのだと、思い出させてくれました。演奏は、ヴェレシュの作品を数多く手がけて来たカメラータ・ベルンのものでありますから、問題なく素晴らしい出来であります。
 もちろん、昔、ロシアの指揮者バルシャイの演奏で親しんだバルトークのディヴェルティメントもなかなか見事で、ことさら民族音楽だからというアクセントの(無用の)強調やデフォルメはないのは当然として、編成が小さいことによる響きの薄さは全く感じさせない、個々の奏者の演奏能力の高さとアンサンブル能力の高さで、この演奏をものにしているのだと思います。
 
 秋の夜長はこの演奏で決まりですね。