もう一つのコルボのフォーレ  

 (Fnac Music/592097)

 フリブール出身の名指揮者、ミシェル・コルボは一九八〇年代に大きくスタイルを変えていることは、彼の新盤のモーツァルトのレクイエムのCDの鑑賞記で述べたとおりです。
 そのコルボの不滅の名盤が、スタイルが変わる前にベルン交響楽団他と録音したフォーレのレクイエムであることもこの欄ですでにとりあげたことです。それは一期一会のフォーレであり、このスイスと因縁浅からぬ大作曲家へのオマージュであり、深い宗教的感動をそこに与えていた二〇世紀を代表する一枚であったのです。
 そのコルボがフォーレのレクイエムを録音し直したと聞けば、ちょっと気になるのが人情というもので、つい購入して、でもなかなか聞けずにいたのを、今回改めてしっかりと聞いてみたのですが、多少戸惑いも感じたのは事実ですが、表現主義的というべきか、全体にメリハリの効いた強い表現のフォーレにかつてのコルボの演奏にあった「甘さ」が徹底的に排除され、表現に対する厳しい姿勢が全面に出ている演奏であり、新しいコルボの音楽観がよく表されている演奏であると思いました。
 このフォーレもまた、大変美しい演奏であると思いますが、旧盤でのあの甘美にして響きに陶酔してしまうかのような美しい「死」を永遠の許しと甘美なるものととらえるかのような演奏に対しては、新盤はストイックなまでに、その甘美さを拒否しているかのようです。
 この新盤のローザンヌの手兵は編成も小さく、弦はおそらく2〜3プルトで思いっきり切り詰めて演奏しているのは少し聞けば誰にでもわかることです。それが全体の響きをタイトに引き締めているのてはないでしょうか。テクスチュアはこの新盤では他のどんな演奏よりもよくわかります。スコアが浮かんでくるような演奏とでもいうのでしょうか。
 合唱は、旧盤の聖歌隊と比べても、大変素晴らしい出来です。「サンクトゥス」の盛り上がりの場面も、旧盤ではやや「なよっ」とした部分があったのですが、ここでは決然とした表現が聞かれます。
 「ピエイエズ」でのボーイ・ソプラノの起用は旧盤と同様ですが、こちらの方がピッチが合っていて、聞きやすいと思いました。旧盤のクレマンの歌も良かったのですがね。でこの演奏は今まで聞いたものの中で最も美しい演奏の一つであります。
 「アニュスデイ」は旧盤よりもテンポをあげています。弦のボウイングも随分変えていて、マルカート気味(音を区切って弾く奏法)のアーティキュレーションに変わっている部分も多くあり、大きく印象を変えた章であると思います。
 それよりも「リベラメ」の中間での吹奏はまるでヴェルディのレクイエムのようで、この作品に「怒りの日よむが無いことを忘れさせてくれるような力強い演奏に驚かされます。旧盤でこの「リベラメ」の再現部での合唱の斉唱がやや無表情な感じで物足りなかったのですが、この演奏は素晴らしいです。
 旧盤のフッテンロッハーはやや暗い声で、大変印象的な「リベラメ」を残したのですが、このピーター・バーヴィーは少し声質が明るく、フッテンロッハーに比べて外向的なようです。それはこの演奏の性質ともマッチしていて、なかなかうまく収まっている印象です。
 終楽章の「楽園にて」は表情も良いのですが、旧盤にあったあの息の長いフレーズ感が無くなってしまい、ちょっと感動が薄いというのが正直なところです。
 数々の美点をこの新盤に認めた上で、未だ私は旧盤を忘れられずにいます。あの癒しの音楽は、この新しいコルボの演奏からは聞くことができなくなっています。残念なことに・・・。
 世も変われば人も変わる。私も乗り遅れないようにしたいと思うのですが、アナクロな人間がひとりぐらいいたっていいのではないか、なんて言うのは単なるひがみかな?