チューリッヒ・トーンハレ管のブラームス

仏Ades/13.274-2

 まだ売っているでしょうか? ちょっと自信がないのですが、ブラームスの交響曲第二番をかつてのウィーンの名指揮者、ヨーゼフ・クリップスが振った録音がフランスのAdesから出ていました。
 クリップスが指揮したこのブラームスの交響曲第二番は、このブラームスゆかりチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の数少ない正規盤のブラームスであります。
 実はこのクリップスという指揮者は、私にとってアイドルでした。
 昔々コロンビア・レコードから出ていたダイヤモンド・シリーズにベートーヴェンの交響曲全集があり、三十年以上前からずっと聞き続けてきた指揮者ですが、ダイヤモンド・シリーズが廃盤になって以来、全く再発されないままとなり、CD時代に入ってもなかなか復刻されず、今から六〜七年前になってやっと復刻されたのであります。
 また、英デッカにブラームスやシューベルトの録音があり、それも数年前まではほとんど忘れ去られた存在でありました。
 チャイコフスキーの五番など、わずかな例外があるだけで、そのベストと言われる演奏の数々を聞くことがてきるようになってまだ二三年といったところです。わずかにフィリップスがモーツアルトの後期の交響曲選集を早くから廉価盤で出していたに過ぎません。
 そのモーツァルトはお聞きになっていないのであれば、ぜひ一度聞いてみることをお薦めします。それは素晴らしい演奏で、生き生きとしたメロディー、美しいハーモニーはアンサンブルの立派さ、指揮の見事さをよく伝えていました。そして何よりもコンセルトヘボウというオケの魅力に尽きます。これを聞けば、きっとクリップスという指揮者に対しての認識を新たにするものと確信します。
 ところで、このチューリッヒ・トーンハレ管とのブラームスの第二番は、おそらくクリップスという指揮者とブラームスとの相性からしても、相性の良い曲であるはずで、奇しくもこの唯一の演奏がそれを証明しているのです。
 クリップスはウィーン生まれの生粋のウィーンっ子であったそうですが、彼の師匠がワインガルトナーであるということから、クリップスとスイスとブラームスの結びつきを連想させられますね。ワインガルトナーはブラームスが得意で、あの時代(二〇世紀初頭)にしては大変たくさんのブラームスの録音が残されています。新星堂から出たワインガルトナー全集では交響曲全集が二三種類あったように記憶しています。私も二種類所持していますが・・・。
 またチューリッヒのトーンハレはそのこけら落としにブラームスが指揮台に立った、ブラームス演奏においても、大変由緒正しいオーケストラであります。
 さてこの録音。決して、おとなしい、平板な演奏ではありません。それどころか、強いコントラストと深い呼吸での演奏は大変強烈な印象を残します。
 演奏の特徴をまとめると、テンポの変化を大きくとった演奏で、それは概ね長い音符が多いフレーズの時は少し速めのテンポで、八分音符が多い時は遅めのテンポという方法で処理されいます。そしてこれがブラームスの田園交響曲と言われるこの曲にうまくマッチしているのです。
 第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを左右に配置したこの演奏は、アンサンブルが大変難しかったことと考えますが、見事にチューリッヒの面々はそれに応えています。
 第一楽章の冒頭の深い呼吸からヴァイオリンののびやかな歌につながる部分は、はっと息を飲むような瞬間に満ちています。ぐっとテンポを落とした第二主題の伸びやかな歌も、展開の息の長いフレーズのアチェレランドもデリケートな耳が反応していることをよく表していて、実にセンス満点の音楽が続くのです。
 時に伴奏の音型が大きくクローズ・アップされて、聞きなれたバランスとは違ってハッとさせられることもありますが、表情が実に豊かで、そういったことも新鮮な感動をもって受け止められるのも良いとと思いました。コーダに入ってのかなりテンポをゆっくりとして大河のような流れになっても表情の豊かさで、一気に聞かせる演奏であります。
 第二楽章の呼吸の深さは、驚くべきものです。オケの音色にもっと魅力があったならと思わせられますがね。録音がデッドな為で、もっとホール・トーンをうまくとりいれていたならば、もっと聞きやすかったのに・・・。
 しかし、聞いているうちに、そういったことを忘れさせるほどこの演奏は深い思索と感動に満ちています。テンポの変化はかなり目立ちますが、決して無理な変化という感じではなく、音楽の進む方向を自然に受け止めた結果であって、その流れの自然なことといったら・・・。
 表情の真剣さ、思いの深さという点で、この演奏は他のどんな演奏にも勝る凄さをもっています。それはフルトヴェングラーの演奏、ワルターのニューヨーク・フィルとのモノラルの名演など、ごくわずかな巨匠たちだけが達することができた境地であると言えます。
 第三楽章は知るかぎり、この演奏が一番遅いテンポで始まります。オーボエのメロディーが弾むのではなく長いフレーズとしてとらえられ、表情豊かに歌い切ったところで、どんどんアチェレランドして曲調が一気に変化し、スケルツォ的な活気が表出するあたりは、なかなか面白いアイデアであると思いました。
 ふたつのテーマを大きくテンポを変えて味付けしているのは、この演奏の特色ですが、叙情的なフレーズはたっぷり、リズミックな部分はどんどん弾んでという演奏で、決して無理をした感じがなく、この曲はこうでないとと信じ込ませるだけの説得力をクリップスの指揮は持っています。
 終楽章も単に勢いだけでない、こまやかな配慮が行き届いていて、良いのですが、ここに来て残響も含めて随分聞きやすい録音となっているのは、単なる私の気のせいでしょうか。
 少々アインザッツが乱れるところもあるのですが、全体に遅めのテンポで、表情豊かにというコンセプトは守られているようで、特にフレーズを実に丁寧に表現しているのが特徴です。もちろん第一主題は速めのテンポで弾んで、第二主題はゆっくりとしたテンポで歌いきるという一楽章から続く演奏上の特徴はここでもそのままですが、これはクリップスだけでなくワルターやフルヴェンといった指揮者に共通した特徴で、ブラームスが生きていた十九世紀の演奏スタイルであったようです。
 エンディングへテンポをドンドンあげてたたみ込んでいくところなどは、大変興奮させられますし、この部分ワルターのニューヨーク盤と双璧であると思います。(ワルターのステレオ盤は私は出来が今一であると思っています)
 それにしても大きくテンポの変化をとったクリップスのこの演奏は、彼の指揮の特徴をよく表しているもので、チューリッヒのオケは大変よく応えていました。
 フィルアップの大学祝典序曲も良い演奏です。いろいろ出てくるメロディーをとても良く描き分けていて、聞いていて大変見事です。この曲など名演がたくさんあるようで、意外とつまらないものが多いのですが、それはこの親しみやすいメロディーの数々が並列に聞こえ、散漫になってしまうからではないでしょうか。
 その意味で、クリップスのこのチューリッヒでの演奏はこの曲のファースト・チョイスと言ってもいい名演であると思います。
 このCDもだんだん幻の名演化しています。見つけたならば、ぜひ買いですよ!!
 大推薦の一枚でした。