ハスキルとリパッティ

伊)TAHRA TAH 366/367
 ハスキルへのオマージュというCDとリパッティへのオマージュという二枚のCDが組み合わされて輸入盤ですが長崎のタワー・レコードで手に入れたのでその感想を述べたいと思います。

 まず、ザッヒャーとリパッティの組み合わせで、バルトークのピアノ協奏曲第3番を聞きました。ドイツの放送局の録音でオケは南西ドイツ放送交響楽団です。
 このCDにはリパッティのスイス・ロマンド放送局でのインタビューまで入っている上、バッハのコラール前奏曲やリパッティの自作のソナチネまで入っているため、大いに楽しんだ次第です。音も(伊)TAHRAでなかなか良いものです。特にバルトークは以前別のレーベルで聞いたことがあったのですが、酷いもので鑑賞に値しなかったという印象しかなかったのですが、今回は充分なクオリティーで当時のものとすれば(1948年)まずまずといったところでしょうか。
 バルトーク自身と深い交友をもち、作曲の為にグリュイエールの山荘を貸したりして、創造の場を提供し、そこから生まれた名曲「弦、打楽器、チェレスタの為の音楽」や「デイヴェルティメント」などを初演するなどしたスイスの指揮者ザッヒャーと、スイスに亡命後、ジュネーヴ音楽院の教授として活躍し、演奏家としてもこれからという時に惜しまれつつも白血病で亡くなったルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティの共演ということだけでも、この一枚は大きな意味を持っています。リパッティのごくわずかな正規録音の中にはこの曲は無いのですから。
 シュトットガルトのオケはザッヒャーの元、やや粗いアンサンブルであるものの及第点はあげられる水準であると思います。ザッヒャーの指揮は充分に力強いものだと思いますが、なんと言ってもリパッティのピアノの素晴らしいことと言ったら!!
 オケだけの部分からピアノが入ってくるといきなり引き締まってくるのですからスゴイとしか言えません。これでオケがチューリッヒ・トーンハレ管やロンドンやベルリンの一流のオケだったらとため息がでないことはありませんが、それでもこれだけでも残されていて、このクオリティーで聞くことができるようになったことを感謝せざるを得ません。
 また、リパッティのソナチネはルーマニアでの最後の頃の録音で、1943年のルーマニア放送局での録音ですが、ややヒス・ノイズの目立つものの、このリリカルなソナチネを楽しむことは充分に出来ました。これは確かフィリップスかどこかから出ていたのを聞いたことはありますが、これよりも音が引っ込んでいて、随分つまらない録音に感じたものですが、このTAHRA盤はそんなことはありません。
 この演奏を聞いて、もっと弾かれてもいい曲だと思います。リパッティは何と言ってもブーランジェ門下の逸材だったのですから、彼はピアニストとしてだけでなく、作曲家としてもまた巨匠になるべき人だったのです。なんであんなに若くして逝かなくてはならなかったのか、残念です。

 もう一枚、ハスキルの若い頃の小品の録音をまとめたものと戦後のライブでモーツァルトのピアノ協奏曲第九番をヨッフム指揮のバイエルン放送交響楽団の1954年の録音、そしてリパッティと同じバッハのコラールが入っています。
 ハスキルの小品の録音は別のCDでも聞いたのですが、リストの「軽やかに」などは彼女か一流のヴィルトォーソだったことを物語っています。プーランクの「プレスト」は雑音がかなり酷いのですが、その彼方から聞こえてくるのは素晴らしいテクニシャンのそれであります。ラフマニノフのOp.33-2などをスケール豊かに聞かせられる幅も持っていたことも大きな発見でありました。
 また彼女の新しいレパートリー?としてベートーヴェンのピアノ協奏曲第二番の一部をピアノのソロで弾いた物まで入っていますが、これなどはあのジュリーニがショパンの二番の協奏曲のリハーサルで体験したことがどんなものだったかを知る手がかりとなります。なんとも不思議なものが残っていたものです。練習している所をそのままテープを回していたといった感じです。
 できればこの公演を聞いてみたいという衝動に駆られてしまうすごく魅力的な瞬間を多く含んでいる録音です。きっとこれを発売しようと思ったスタッフはそれゆえにここに入れたのであろうと思います。決して鑑賞用とは言えませんが、何とも珍しい体験が出来ます。
 彼女のレパートリーとして晩年、よく弾いていたシューマンのアベック変奏曲は正規盤もありますが、この録音の生き生きとした表情は、正規盤よりはるかに魅力的です。録音もこれは戦後の1958年のモノラル録音ですから、充分に鑑賞に耐えます。
 これで聞くとハスキルのピアノというのは少々硬質ではありますが、素晴らしく輝いていて、表情がとても生き生きとして音楽が実にしなやかに変化していくのがよくわかります。このアベック変奏曲は彼女の録音の中でも特に素晴らしいものとして大いに推薦したい一枚です。
 もちろんモーツァルトの「ジュノーム」(ピアノ協奏曲第九番)も正規盤よりもずっと優れた演奏で、こちらはヨッフム指揮のバイエルン放送交響楽団の伴奏が素晴らしいので、彼女のピアノがより一層素晴らしいものに聞こえてきます。所々ピアノにミスタッチがあるのは仕方ないとして、その音楽的なことといったらもうただただ感動するのみであります。少々の傷を気にして、この演奏を無視するなら、腕が無いことでミロのヴィーナスを骨董品扱いするのと同じことだと思います。
 ハスキルの正規盤もとてもいいものでしたが、この生き生きとしたモーツァルトを聞けば、ハスキルがモーツァルトの演奏で神格化されていた理由もわかるのではないでしょうか。粗悪なライブ盤の横行で、ハスキルのライブはあまり買う気にならなくなっていたのですが、これは大推薦です。
 スイスのレマン湖畔の名指揮者のシューリヒトの住いがあったヴェヴェーで住んでいたハスキルは、リパッティとの隣人として、同国人として、スイスにその後半生を生きたのですから、このハスキルのものとリパッティのものが組み合わされて発売されるのも意味のあることと思います。