サンモリッツの夏〜カラヤンとフェラスのバッハ

POCG-6092/6093
 1966年の夏、スイスの高級保養地、サンモリッツで録音されたバッハのヴァイオリン協奏曲の演奏がやっと発売となりました。
 演奏者はソロがクリスチャン・フェラス、指揮がヘルベルト・フォン・カラヤンで、オーケストラがベルリン・フィルという豪華なもので、何故か今まで発売されることなく、お蔵入りとなっていた録音です。
 まぁ、グラモフォンの商売上手というか何というか、それぞれこの初発売の演奏を第1番をベートーヴェン、第2番をブラームスのヴァイオリン協奏曲と組んで、別々に発売したもので、もとから持っている演奏を2枚も買わされてしまったという次第です。
 しかし、バッハのこの演奏、今まで何でお蔵入りになっていたのかまったく理解に苦しむ、素晴らしい演奏なのです。

 第1番の白眉は第二楽章です。退屈な音楽になりやすいのですが、カラヤンの響きを磨きに磨いたゴージャスなバックの上に、細身の線でモノローグを描いていくフェラスのヴァイオリンは実に見事です。
 控えめながらも、十分なアクセントとなることを意識して使用されるアゴーギクと伸びやかな表情と流れるテンポの良さが、単調になることなく、変化に富む音楽を実現したのだと言えるでしょう。
 第一楽章の冒頭のオケのトゥッティからカラヤン節で、彼の音楽が嫌いな人にはあまりお勧めではありませんが、それでもこの第一楽章はいい演奏ですよ。
 それに対し第三楽章は、もう少しマルカートで一音一音をはっきりとさせてもいいのではないかと思います。少々レガート過ぎるように思います。しかし、何度か聞いているとこのアーティキュレーションに慣れてきて、これもなかなかいいなぁと思うから不思議です。
 この両端楽章においても、フェラスのヴァイオリンは冴えわたります。ソロが出て来て、同じアーティキュレーションでフェラスは弾いていることに気づき、このアーティキュレーションに揃えた結果、冒頭のレガートのトゥッティがあったのだろうと思います。

 第2番はどうでしょう。
 ムターとのベタベタのレガート奏法によるヴィヴァルディの「四季」の悪夢のような演奏と違い、深い呼吸と対比があると思います。フェラスの素晴らしいヴァイオリンも相変わらずといったところですが、テーマの発展、展開の中で、ヴァイオリンが背景に移ってしまった時の演奏がいきなり単調になるのが両端楽章であるのが惜しい点です。
 第2番はこのヴァイオリンのパっセージの処理に難しさがあるように思います。なかなか理想の演奏には巡り合えない曲ではありますが・・・。
 でこの曲でも白眉は第二楽章ということになってしまいます。
 しかし、この第二楽章を聞くためにだけでも、1枚のCDを購入する価値はあるといって良いでしょう。それほど見事な演奏なのです。
 バッハの二曲あるソロ・ヴァイオリンのための協奏曲は、緩徐楽章をうまく演奏した録音には滅多に出会えないのですから。
 第1番同様、控えめながら彫琢の限りを尽くしたバックの上に、細身のヴァイオリンがモノローグを表情豊かに語る、そんな演奏なのです。

 しかし、この生命感に満ちあふれた演奏は、後年のカラヤンからどんどん失われていったものでした。
 フルトヴェングラー時代のシガラミから解放され、ウィーンとベルリンを制覇し、ミラノ・スカラ座にもにらみを効かせた、カラヤンの時代が六十年代でありました。
 カラヤンがタクシーに乗って運転手から「どちらまで?」と訊かれて「どこへでもやってくれ。どこに行ったって私には仕事が待っている。」と応えたという逸話は事実なのかどうかは知りませんが、まさに私が音楽を好きになり、音楽雑誌を読み始めた時代は、こんな時代であったのです。
 この多忙を極めた時代にカラヤンは、サンモリッツの別荘で夏の休暇をとるのが通例でしたが、そこにベルリンのおもだったメンバーを呼び寄せて、グラモフォンの録音スタッフを呼び寄せ、録音機材を運ばせて、夏休み録音を会員制のホテルのホールや教会で行ったのです。
 シュヴァルベをソリストとした「四季」やオネゲル、ストラビンスキーなどの室内オーケストラ用の作品がどんどん録音されたのでした。
 この素晴らしい環境の中で、カラヤンの音楽も生気にあふれ、このバッハも実に素晴らしいものとなったのです。いくつかこの曲の課題は残されてはいますが、明らかに名演と呼べる域に達しているものであります。
 ベートーヴェンとブラームスはもう持っているという人や、カラヤン・アレルギーの方には無理にとは申しませんが、スイスのサンモリッツでのカラヤンとその仲間たちの夏休み。この録音を聞きながら、どんなだったのかと、羨しいような充実の日々だったのでしょうね。