シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団の名演
(輸)ERMITAGE/ERM 144 ADD

 ベートーヴェンの皇帝をバックハウスと、そしてモーツァルトの40番シンフォニーとメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟にて」をシューリヒトとスイス・イタリア語放送管弦楽団の演奏で聴くと、この国が決して音楽文化において片田舎であるなどということを言う人はいなくなることだろうと思います。
 ベートーヴェンの素晴らしさ!。

 実はとある機会にこの曲の指揮をすることがあって、いろいろ聴き比べたのですが、このスイスのルガーノのオーケストラとバックハウスの演奏が一番私にはすっきりとしていて、テンポも決まっていて(有名なウィーン・フィルとの全集の演奏はテンポが随分不安定に聞こえます)最もスタンダードと言うべき演奏であると思っています。
 特に、シューリヒトの指揮の見事なこと!意外とバックハウスはテンポを即興的に動かすのが好きで、イッセルシュテットの指揮では、その辺りが拡大されてしまっていて、ちょっと落ち着きが悪いのですが、このシューリヒトの演奏においては、全てのテンポが引き締まっていて、よく考えられた末のテンポであると感じさせられます。
 オーケストラの提示が終わり、ピアノが即興的なスケールでオケに分け入ってくる所もテンポが伸びようとするのをシューリヒトは実にうまく支えています。
 そして、次の第二主題に向かう推移部ではバックハウスのテンポが走り始めるのをギリギリの線で抑えているのがシューリヒトです。巨大なピアニズムを巨大な芸風で包むという趣のこの演奏は、オーケストラとソリストの協奏(あるいは競争?)として、実に見事なバランスの上に成立している演奏であると申せましょう。
 オーケストラの表情の豊かさも特筆すべきレベルにあります。この演奏からは、普段あまり聴くことの出来ない色んな内声の動きが聞こえて来ます。
 第二楽章もシューリヒトは少し速めのテンポをとり、音楽の流れがとても良いのが印象的です。停止寸前の演奏が多くなってしまい、やたらロマンチックな表情をゴテゴテとつけすぎた演奏が多い中、この演奏は何と言っても良く歌うのです。
 迫力満点の開始部を持つ第三楽章は、超絶的ですらあります。おそらくこの終楽章の演奏がこの「皇帝」の中でも最も出来が良いと思います。ミスはバックハウスの他の実演同様、多いのですが(修正をしていないだけですけどね)響きわたるピアノの音の素晴らしさ(この時も愛用のベーゼンドルファーだったのでしょうかねぇ)。
 テアトロ・アポロ(ルガーノのカジノ内のホール)の聴衆も総立ちの大興奮の一夜だったのではないでしょうか?
 さて、こんな御馳走のあとに、モーツァルトの40番シンフォニーをシューリヒトで聞けるのですから、贅沢ですよね。
 シューリヒトのパリのオーケストラとの演奏に比べても、オーケストラはスイス・イタリア語放送管の方が明らかに数段上ですし、気合いの入り方だって尋常じゃないですから、このモーツァルトがシューリヒト畢生の名演となったと評しても、決して言い過ぎではないと思います。
 このオケに時折聴かれるピッチの悪さは全くなく、アンサンブルもとても良く練れていると考えます。ポリフォニックな展開も見事なバランスで聴かせますし、テンポはやや速めで、シューリヒト特有の筋肉質のしっかりとした響きを持つ音楽として、決してナヨナヨとしたモーツァルトになっていないのもここに申し添えておきたいことであります。
 したがって第二楽章も、よく聴かれるように静かで安らぎに満ちた演奏というよりも、しっかりと表情をつけた、よく歌う音楽として解釈されていますし、第三楽章のスケルツァンドな音楽は十九世紀を見据えた、あるいはベートーヴェンの登場を予感させる音楽として聞こえてきます。
 ここでは宮廷の姫君たちも鎧甲で武装しているかのように緊張感のあるメヌエットです。
 終楽章の推進力は、とりわけ速いテンポというわけではないのですが、その響きの立派さ故に強い力感を生んで、それが推進力となっているようです。第二主題で大きくテンポを落とし、フワッとロマンチックな世界に連れ去られるのもこの演奏の特徴の一つです。
 最後のメンデルスゾーンも、シューリヒトはウィーン・フィルとの名演がありますが、このスイスのオケとの演奏もそれに勝るとも劣らない、素晴らしい出来であります。
 この演奏はウィーンのものよりもよりテンポの動きが大きいのが特徴です。そしてこの曲の場合、それはプラスに作用し、音楽の極めてロマンティックな性格をとてもよく表現することとなったのであります。
 例えば第二主題の展開ではテンポを落としながら、第一主題の展開に入ると一転、アッチェレランドしてテンポをあげていく…。シューリヒトの残した演奏の中でも特にテンポの動きの大きい演奏ではないでしょうか。ちょっとフルトヴェングラーの若い日のベルリン・フィルとの名演を思い起こさせるような演奏とでも評したら良いのでしょうか。

 シューリヒトもバックハウスも二人ともこの頃スイスに住んでいました。確か二人ともレマン湖畔に家があっのではないでしょうか。その意味では、フルトヴェングラーも一緒でしたね。
 この演奏はティチーノ州の中心、ルガーノで行われています。ヘッセが住んでいた町です。
 1961年4月27日の録音とありますから、ヘッセもこの演奏を聴きに来ていたかもしれません。プログラムにはヘッセの好きな曲ばかりが入っていますしね。
 いかがですか?