モーツァルトの「ポントの王ミトリダーテ」

モーツァルト:歌劇「ポントの王ミトリダーテ」/
ルセ指揮レ・タラン・リリク、バルトリ (Sop)他
DECCA/POCL1888〜90

 今年度(1999)のレコードアカデミー賞がモーツァルトの「ポントの王ミトリダーテ」となったのは意外でした。ルセというフランスの新進の指揮者によるリヨンのレ・タラン・リリクによる演奏、といっても余りにマイナーな演奏家、演奏団体であったからです。

 これをここで取り上げるのは、ちょっとこじつけですが、実はスイス、レマン湖畔のヴィヴィイで録音されているというのがちょっと意外で、面白いなと思ったせいです。 このオペラ・セリアは十四才の少年の手になる作品で、事実上のモーツァルトのオペラ作家としてのスタートの作品であります。
 この作品を書いていたモーツァルトは、オペラ・セリアという当時最先端であったジャンルに手を染めるということで、大変苦労をしたそうです。
 何しろ歌手が一番偉い時代のことですから、いくら天才作曲家といえども、歌手たちからの好き勝手な要求を飲み、何度も何度も書き直しをして、苦労に苦労を重ねて完成に至った作品であるのです。
 こんなことはモーツァルトには珍しいことでした。しかし、遂に完成を見たこの「ポントの王ミトリダーテ」で、モーツァルトはオペラの本場ミラノでオペラ作家としてデビューを果たします。そして大成功をおさめ、天才の名をまさにほしいままにしたのであります。

 モーツァルトの初期のオペラなどという売れないCDの見本のようなタイトルで、残念なことにそう売れるものではないので、近い内に廃盤となってしまうことは必至ですが、そのようなCDにこれほどの歌手が起用されて、何とも愉しい時間を与えてくれるのですから、興味をお持ちの方は早速購入を考えて見られてはいかがでしょうか。
 私は、この作品のCDといえばハーガーがザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団を指揮して入れたものを以前から聞いていたのですが、その演奏でもオジェーやグルベローヴァ、バルツァにコトルバシュといった綺羅星の様なスター歌手たちの演奏でありました。
 しかし、今回このレ・タラン・リリクの演奏に出会い、もうこれでなくっちゃと思いこんでしまっています。
 それはバルトリやデッセイ、サッバティーニ、アサワといった歌い手の素晴らしい声の饗宴、そしてそのテンポの良さです。
 弛緩することの無いルセの指揮によるレ・タラン・リリクの演奏は、一気呵成にこの曲を聞かせてしまいます。
 一九九一年に指揮者ルセによって設立されたフランスの団体レ・タラン・リリクは、その名をフランス・バロック期の大作曲家ラモーの歌劇「エベの祭典」の副題をその団体名としていると言います。
 ナポリ派のオペラ・セリアを重点的に取り上げている古楽器による演奏団体であります。

 実は、私はヴェヴェイで録音されたということが、とても気になっています。モントルー・ヴェヴェイは例の有名すぎるジャズ祭とは違ったクラシックの音楽祭もいくつかあるのですが、その中にはクルト・レーデルが音楽祭中に録音したテレマン(テレマンです、バッハではありません!!)の「マタイ受難曲」があったりして、ここの音楽祭が国際的にも大変高い水準を維持していることも考慮の中に入れておかねばならないのではないでしょうか。
 ひょっとすると、そういった音楽祭出演の際にこの録音がされたのではないのでしょうか。そうでもなければ、このフランス(たしかリヨンだったと思いますが)の団体をわざわざ交通費をかけてスイスのヴェヴェイで録音するということはないと思うのです。

 わざわざ本拠地から出かけて出張録音するなどということは、昔、ミュンヒンガー指揮のシュトゥットガルト室内管弦楽団のバッハの管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲全曲の録音がありました。
 ジュネーヴのビクトリア・ホールで行われたことがあるその録音は、アンセルメの録音機材をそのまま使って行ったことと、オケが室内管弦楽団で人数が十数名だったということもあったようです。
 まあ、ジュネーヴにはよく来演していたのでしょう。その「ついで」でもあったのでしょうね。
 室内楽やソロ、歌などで無い限り、ご当地以外で録音するというのは、非効率であまり意味のないことだと思います。ホールを響きをよく知り尽くしたホーム・グラウンドで録音したいとアーティストが考えるでしょうし、録音スタッフもあまり慣れない会場で、マイクセッティングに苦労するよりも、慣れた会場の方が良かったはずです。
 さて、この録音。おそらくは、ルセとレ・タラン・リリクがここの音楽祭の出演者であったことなどが重なっての録音であったのではないかと私は推測しているのですが、どうでしょうね。詳しい方がいらっしゃったらご教示頂ければと思っています。

 聞き所としては、どのアリアもと言いたいところですが、第二幕でのシーファレ(バルトリ)の歌う「貴女から遠く、我が愛するお方」が気に入っています。超絶的なホルン・パートを持つメゾ・ソプラノの為のアリアで、この曲の初演の時のホルン奏者は随分苦労しただろうなぁ、と思ったりしますね。
 また第二幕の最後で歌われるシーファレとアスパージアの二重唱「もし私が生きてならぬなら」の見事さ。ナタリー・デッセイのソプラノとバルトリが歌うシーファレの見事な二重唱が与えてくれるその深い音楽的感動は、ただの十四才の少年の手になる作品によるものとは、到底信じられないほどのものです。

 実際、この「ポントの王ミトリダーテ」には、他の作曲家の作品が混入していることが最近になって判明したそうです。第三幕の「私は究極の運命に立ち向かいゆく」という曲がそれですが、ふと歌の出だしの平凡さにモーツァルトではない何かを感じさせられるのですが、全体的には様式によくなじんでいて、ほとんど違和感を持たないようにモーツァルト自身による手が加えられているそうです。

 ただ録音されたのがスイスというだけですので、ここで取り上げるのはやや強引かと思ってはいるのですが、このマイナーなCDを多くの方に聞いて欲しいと思った次第です。