ジュネーヴでのピエール・フルニエ
バッハ無伴奏チェロ組曲

J.S.Bach:無伴奏チェロ組曲全曲
ピエール・フルニエ(Vc)
仏ADDA581154〜55

 名チェリストのフルニエのバッハの無伴奏チェロ組曲の録音は、三種類残されています。(海賊版のたぐいがあるのかどうかは知りませんが)

 その中で最も古い録音がジュネーヴのスイス・ロマンド放送の為に行った録音で、フランスのADDAから出ていました。今も手に入るかどうかは知りませんが、この録音は、フルニエが50代を迎え、最も油がのっていた時代の録音で、素晴らしい集中力と音楽への傾倒の深さ、そしてその熱さで、彼の他の録音とも違ったライブな味わいに満ちた演奏であります。
 完成度ということでいけば、後のアルヒーフへの録音の方がいいに決まっていますが、聞いていて胸が熱くなるのは、断然こちらの方だと思うのですがね。
 フルニエはジュネーヴに住んでいたということもあって、スイスで多くの録音を残しています。ケンプ、シェリングと録音したベートーヴェンのピアノ・トリオ全集はヴェヴェイで録音していますし、アルペンジョーネ・ソナタなどの名曲集の録音もジュネーヴで行っています。
 また、ルガーノのスイス・イタリア語放送管弦楽団とヘルマン・シェルヘンと組んで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲なども録音が残っていますが、これなどは、有名なセルが指揮するベルリン・フィルとの名盤よりもずっと燃える情熱をぶつけた大名演でありますが、これらの大レーベルへの録音のことごとくが品の良い整った出来に終始しているのに対して、ライブはフルニエの熱い心の中を見せてくれているような、素晴らしい演奏が多くあります。

 このバッハもそうです。ブレスの深さ、表情の大きさは、カザルスの大名演とともにこの作品の録音としては最高のものと言えるでしょう。
 実際この作品にはカザルスの他にもトルトゥイエ、ナヴァラ、ロストロポーヴィッチ、ヨーヨー・マ、あるいは古楽器で演奏したビルスマなど名演がひしめいている(ということはそれだけ多くの大チェリスト達を引きつけて止まない作品と言えるでしょう)作品で、中でもこのフルニエの一九五九年録音盤とカザルスの物は別格的な雄大さを兼ね備えた演奏だと考えます。

 第一組曲ト長調の有名な前奏曲が鳴り始めると、その表情の彫りの深さに感嘆してしまいます。この後どうするのか、とワクワクしながらドンドン聞いてしまう、そんな演奏です。
 チェロ一本だということを忘れてしまいそうになるほどの多彩な表情を織り込んでいて、こんなに聞かせる演奏って果たしてかつて聞いたことがあったかしらと、考えてしまいます。ピアニッシモ(とても弱く)からフォルティシモ(とても強く)までの段階の多さ、弓一本から溢れる多彩な音色、それらを補強するアゴーギクの多用は、あきらかに古い世代の演奏様式に繋がるものではありますが、単に古くさい演奏とは言えない、普遍的な音楽の解釈をフルニエはこの曲に聞いているのではないでしょうか。

 彼が、シュナーベル、フルトヴェングラー、カラヤン、ケンプ、シェリングといった大演奏家達からだけでなく、マルティヌー、プーランクといった同時代の作曲家たちからも大変尊敬され、多くの作品の初演を任されたりしていることからもわかるように、古いとか新しいとかいうものを超越した、数少ない大音楽家の一人だったことは、間違いないようです。

 このバッハの録音が行われた一九五九年はモスクワ公演で、熱狂的な喝采をあびた頃の演奏で、技術的な問題もまずほとんど無く、安定感のあるヴィルトゥオーゾとしても楽しめる演奏となっています。

 さてこの演奏のCDを見かけたら見逃す手はないと思うのですがねぇ、どうでしょうか?