その中から二十世紀の前衛音楽の旗手達が育っていったことなどを振り返れば、演奏家として、あるいは偉大なプロフェッサーとして、彼の存在の大きさを認めざるを得ないでしょう。
一九〇六年にバーゼルに生まれたザッヒャーは、ワインガルトナーに指揮を習いました。ワインガルトナーは作曲もよくする戦前の大指揮者で、ザッヒャーはその高弟でありました。
演奏はノーブルで、余計な身振りを押さえた指揮振りは、現代の音楽を演奏する時も変わらず、見事なものであったそうです。
ここに、一枚のCDがあります。オネゲルが第二次世界大戦の悲惨さを目の当たりにして、そこからの宗教的な救いをテーマとして書かれた傑作、交響曲第三番「典礼風」をバーゼル管弦楽団を振っているものです。
第一楽章の「怒りの日」の執拗なリズムの繰り返し、管楽器の呻きにも似たフレーズ、第二楽章「深き淵より」の永遠とも思われる気高い楽想の表現の精神性の高さ、フルートの最後のフレーズの美しさ!!、そして第三楽章「我らに平和を」のゆったりとした行進の絶望感、そこに宿る救いの祈りの深さは、この作品がオネゲルの最高の筆であることを心から実感させてくれるものであります。
共に傑作の誉れ高い第二交響曲「弦楽の為の」と第四交響曲「バーゼルの喜び」を依頼し、その初演をした、オネゲルと深い親交を結んでいたザッヒャーの作者への共感の深さに裏打ちされた名演と言えましょう。
一九七三年、ザッヒャーは関わった多くの偉大な作曲家たちの作品を保存し、現代の音楽の作り手を支援することを目的として、に財団をバーゼルに作り、更にその進取の精神も健在であり、演奏活動も大変盛んであったのですが、九〇年代に入って体調を崩し、先のオネゲルの交響曲第三番の演奏を、一九九二年にDRS=2に録音したのが、恐らく最後の時期の録音ではないでしょうか?
どういった病気だったのかは、ヨーロッパの常で公表されていません。亡くなったということも、日本ではほとんど知られてはいなかったのではないでしょうか。
今月のレコード芸術(九十九年七月号)に、わずか数行の訃報が載っただけですからね。
バーゼル大学を始めオックスフォード大学なとからの名誉称号はともかく、彼は二十世紀音楽において、大変重要な役割を担ったことで、ヨーロッパでは尊敬を一身に集めていたのであります。
オネゲルの名演を聞きながら、彼の業績を偲びつつ。
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