| 720年 | ザンクトガレンにて、聖オトマールが612年にアイルランドの修道士ガルスの庵の跡に修道院を創設 |
| 800年頃〜900年頃 | ザンクトガレン修道院にてベネディクト会修道士のバルブルス(840年頃〜912)、トゥオティロ他により聖歌が作られる。 |
| 964年 | アインジーデルンの修道院が創建。 |
| 1120年 | エンゲルベルク修道院が創建される。 |
| 1160年 | ジュネーヴにサン・ピエール大聖堂が創建(現在の建物は18世紀のもの) |
| 1330年 | チューリッヒにて「マネッセ歌謡写本」(通称「大ハイデルベルク歌謡写本」)がチューリッヒの騎士リューディガー・マネッセ(1252〜1304)によって集成。 |
| 1640年 | ルツェルンのホーフ教会のパイプオルガンが制作される。 |
| 1677年 | ルツェルンのイエズス教会が創建。 |
| 1726年 | ベルン大聖堂に大オルガンを設置。 |
| 1766年 | ローザンヌ、ジュネーヴにモーツァルトが滞在。 |
| 1773年 | 5月26日作曲家にして音楽出版をスイスにて始めて手がけたハンス・ゲオルグ・ネーゲリがチューリッヒ近郊ヴェツィコンに生まれる。 |
| 1791年 | ネーゲリによってチューリッヒに楽譜店・貸楽譜店を設立。 |
| 1803年 | ネーゲリにより、「クラヴサン奏者要覧」が出版される。 |
| 1805年 | チューリッヒに声楽教室がネーゲリによって作られる。 |
| ザンクトガレン修道院、宗教改革の影響に廃院。 | |
| 1807年 | チューリッヒのネーゲリの楽譜店をもとに、ヤコブ・フーク(1776〜1855)によりスイス最大の音楽出版社・楽器店のムジークフークが設立される。 |
| 1822年 | 5月27日チューリッヒ近郊のラーヘンに作曲家ヨアヒム・ラフ生まれる。 |
| 1825年 | ジュネーヴ音楽院の前身がカジノ内に設立。 |
| 1826年 | ネーゲリ「音楽講義」出版。形式主義的音楽美学の先駆けとなり、ハンスリックに大きな影響を与える。 |
| 1827年 | ネーゲリ(1773〜1836)が率いるチューリッヒ声楽家協会の初めてのコンサートがチューリッヒ大聖堂で行われる。 |
| 1834年 | 旧チューリッヒ歌劇場が創設される。当初は市立歌劇場と呼ばれる。 |
| 1835年 | リストがダグー夫人とともにジュネーヴに居を構える。 |
| 第一回チューリッヒ合唱祭がチューリッヒの聖母教会にて開催される。 | |
| ジュネーヴ音楽院創立。まだこの時はカジノ内。 | |
| 1836年 | 12月26日チューリッヒにて、ネーゲリ没。 |
| 1839年 | ルツェルン市立劇場が開場。11月7日こけら落とし公演として、シラーの戯曲「ウィリアム・テル」の上演される。 |
| 1844年 | ザンクトガレンが司教区となり聖堂が司教座聖堂となる。 |
| 1850年 | チューリッヒにワーグナー夫妻滞在し、スイス各地を訪れる。 |
| 1852年 | 6月28日、エッペンベルクにて作曲家ハンス・フーバー生まれる。 |
| 1854年 | ワーグナー、スイス同盟音楽家協会の招きでルツェルンを訪問 |
| 1857年4月 | ワーグナーがチューリッヒを訪れ、ヴェーゼンドンク邸の隣に居を構え、〜翌58年8月までここに滞在。「ヴェーゼンドンクによる五つの歌」と歌劇「トリスタンとイゾルテ」を作曲する。 |
| 1858年 | ベルン音楽学校創設。 |
| 1859年 | ワーグナーが滞在中のルツェルンのホテル、シュヴァイツァーホーフにて歌劇「トリスタンとイゾルテ」が完成。 |
| ジュネーヴ音楽院が現在の場所(大劇場、ヴィクトリア・ホールのそば)に移転する。 | |
| 1861年 | ローザンヌ音楽院が創設される。 |
| 1866年 | 4月ワーグナーがルツェルンのトリプシェンの家に転居。以来1872年までこの地に住む。 |
| 1867年 | バーゼル音楽学校が創設される。 |
| 1868年 | チューリッヒにトーンハレ協会が設立。トーンハレ管弦楽団が首席指揮者のへーガーのもと、演奏活動を開始。当初はコルンハウスと呼ばれる建物をコンサート会場として使用。 |
| 1870年 | ルツェルンにてワーグナーがコジマと結婚。 |
| ワーグナー作曲ジークフリート牧歌が妻コジマの誕生日の12月25日、トリプシェンのワーグナー邸で初演。 | |
| 1871年 | 6月ローザンヌに疎開していたパリ音楽学校の教授としてフォーレが赴任する。 |
| ローザンヌ市立歌劇場が開館し活動を開始。 | |
| 1875年 | ヴィンタートゥーア・シュタット管弦楽団が創設。後にムジーク・コレギウムに改組。 |
| 1876年 | チューリッヒ音楽院の前身の音楽学校がへーガーの提唱により創立。 |
| 1877年 | ベルン交響楽団が創設される。 |
| モントルー郊外のクラランにチャイコフスキーが滞在。バイオリン協奏曲等を作曲。 | |
| 1878年 | チャイコフスキーがクラランに滞在。バイオリン協奏曲等をここで作曲。 |
| バーゼル歴史博物館の一隅に古楽器40点が展示される。これが核となって後にバーゼル音楽院内に世界有数の古楽器博物館が開設される。 | |
| 1879年 | ジュネーヴ大劇場が完成し、劇場付きのオーケストラが組織される。10月14日、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」により公演ではじまる。チャイコフスキーらが客演する。 |
| 1880年 | ジュネーヴに作曲家ブロッホ生まれる。 |
| 1886年 | 10月6日、バーゼルにてピアニスト、エドウィン・フィッシャー生まれる。 |
| 9月1日スイスを代表する作曲家オトマール・シェック、ブルンネンに生まれる。 | |
| 1890年 | 9月15日、ジュネーヴにて、スイスを代表する作曲家フランク・マルタン生まれる。 |
| 1891年 | チューリッヒ歌劇場がチューリッヒ湖畔に建て替えられる。 |
| 1892年 | フランス、ル・アーブルにてスイス人を両親にオネゲル生まれる。 |
| 1894年 | ジュネーヴ・ヴィクトリアホールが開館。11月28日、こけら落とし公演ではジュネーヴ大劇場管弦楽団の演奏の他、大オルガニストのヴィドールがホールのオルガンを演奏。 |
| 1895年 | 音楽専門店イェックリン創業。 |
| チューリッヒ・トーンハレがウィーンの建築会社ヘルマー&フェルナーの設計により完成。10月19日、ブラームスの指揮によりこけら落としの公演がおこなわれる。 | |
| 1903年 | ベルン市立歌劇場が開場。9月25日 ワーグナー作曲「タンホイザー」によりこけら落し公演。 |
| 1905年 | バーゼル音楽院が創設される。 |
| 1906年 | 4月28日指揮者パウル・ザッヒャー、バーゼルにて生まれる。 |
| 1907年 | チューリッヒの音楽学校が音楽院と名称変更。 |
| 1908年 | ローザンヌ近郊のメジエールでジュラ劇場の活動がはじまる。 |
| 1911年 | ルツェルンに小さな音楽祭がリヒャルト・シュトラウス達の提唱により始められる。 |
| 1913年 | チューリッヒ歌劇場にてワーグナーの「パルシファル」をバイロイト以外での初めての公演。 |
| 1914年 | ジュネーヴにダルクローズ・インスティチュートがジャック・ダルクローズ(1865〜1970)により創立。 |
| モントルー郊外のクラランにストラヴィンスキーが転居。これよりストラヴィンスキーのスイス時代がはじまる。 | |
| 1916年 | クラランでストラヴィンスキー「きつね」を完成。 |
| 1918年 | ジュラ劇場にてストラヴィンスキーの「兵士の物語」初演。 |
| ジュネーヴにてスイス・ロマンド管弦楽団が創設。エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)により演奏活動を開始する。 | |
| 1919年 | ストラヴィンスキー交響詩「ナイチンゲールの歌」ジュネーヴにてアンセルメにより初演。 |
| 1923年 | ヘルマン・シェルヘン、ヴィンタートゥーア・コレギウムムジクムの指揮者に就任。 |
| 1926年 | バーゼル室内管弦楽団がザッヒャーによって創設。 |
| 1927年 | ワインガルトナーがバーゼルに転居。 |
| 1928年 | バーゼル室内合唱団がザッヒャーによって創設される。 |
| チューリッヒにスイス放送管弦楽団が私設オーケストラを核として設立。 | |
| 1931年 | オネゲル作曲劇的オラトリオ「世界の叫び」がソロトゥルンで初演。 |
| 1933年 | 指揮者ヘルマン・シェルヘンがスイスに移住し、チューリッヒ放送管の音楽監督に就任。 |
| 1933年 | シュナーベル、スイスに移住。 |
| バックハウス、スイスに移住。(46年スイス国籍を取得) | |
| ルツェルンのリヒャルト・ワーグナー博物館が開館。 | |
| スイス・イタリア語放送管弦楽団が創設。 | |
| バーゼル・スコラ・カントゥルムが創設される。 | |
| 1936年 | バーゼルにてマルティヌーの「ピアノ三重奏と弦楽合奏のための協奏曲」がザッヒャーにより初演。 |
| グリュイエールにてバルトークが「弦・打・チェレスタの為の音楽」を作曲。 | |
| 1937年 | ドイツの作曲家ヒンデミット、スイスへ移住。〜1940年以降アメリカへ。 |
| チューリッヒ歌劇場ベルク作曲歌劇「ルル」を世界初演。 | |
| 1938年 | ルツェルン市立クンスト&コングレスハウス(通称クンストハウス)が完成。 |
| 第一回ルツェルン国際音楽祭が開催される。 | |
| オネゲル作曲劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」がバーゼルで演奏会形式で初演。 | |
| チューリッヒ歌劇場ヒンデミット作曲歌劇「画家マチス」を世界初演。 | |
| 1939年 | オネゲル作曲劇的物語「ニコラ・ド・フリュー」がチューリッヒにて初演。 |
| ジュネーヴ国際音楽コンクール創設。音楽院院長のアンリ・ガニュパン(1886〜1977)による。第一回優勝者にミケランジェリ。 | |
| 1940年 | バーゼルにてマルティヌーの「2群の弦楽合奏とピアノ、ティンパニのための二重協奏曲」「ソナタ・ダ・カメラ」がザッヒャーにより初演。 |
| 1941年 | ザッヒャー、チューリッヒ・コレギウムムジクムの常任指揮者に就任する。 |
| オネゲル交響曲第2番がバーゼルでザッヒャーの指揮で初演される。 | |
| 1942年 | ハスキルがフランスよりスイスに亡命。ヴヴェイに住む。 |
| マルタン作曲オラトリオ「魔法の酒」全曲が(部分は40年に初演済み)チューリッヒにて初演される。 | |
| スイスに亡命中のゲオルク・ショルティ、ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、スイスを拠点に演奏活動を開始。 | |
| エドウィン・フィッシャー、ドイツより帰国し、以降、活動の拠点をルツェルンにおく。 | |
| ルツェルン音楽院創設。 | |
| 1943年 | 名ピアニスト、ディヌ・リパッティがルーマニアよりジュネープに亡命。 |
| 名指揮者シューリヒト、スイスのヴヴェイに移住。 | |
| 1944年 | ピアニスト、ゲザ・アンダ、スイスに移住。(55年にスイス国籍を取得) |
| 1945年 | ローザンヌ室内管弦楽団が創設。デザルツェンスを首席指揮者に活動を開始する。 |
| 1月末、フルトヴェングラー、スイスに亡命。 | |
| マルタン作曲オラトリオ「地には平和を」がジュネーヴ放送により放送初演される。 | |
| フルトヴェングラー交響曲第2番を完成。 | |
| チューリッヒ歌劇場にてガーシュイン作曲歌劇「ポギーとべス」のヨーロッパ初演。 | |
| チューリッヒ室内管弦楽団がエドモント・ド・シュトウツにより創設。 | |
| 1946年 | マルタン作曲の小協奏交響曲がジュネーヴにて初演される。 |
| オネゲル作曲の交響曲第3番「典礼風」がチューリッヒで初演される。 | |
| 第一回アスコナ国際音楽週間が開催される。 | |
| 1947年 | ストラヴィンスキー弦楽の為の協奏曲二調「バーゼル協奏曲」がザッヒャーによりバーゼルで初演。 |
| オネゲル作曲の交響曲第4番「バーゼルの喜び」がバーゼルでザッヒャーの指揮で初演される。 | |
| 1949年 | ハンガリーの作曲家ヴェレシュ、ベルンの移住。 |
| マルタン作曲オラトリオ「ゴルゴダの丘」がジュネーヴにて初演。 | |
| ベルンにて、マルタン作曲七つの管楽器と弦楽とティンパニのための協奏曲が初演される。 | |
| 1950年 | シェルヘン、チューリッヒにて現代音楽出版社「アルス・ヴィーヴァ」を経営。 |
| マルティヌー協奏交響曲がバーゼルにて初演。 | |
| ヒンデミット、チューリッヒ大学の教授に就任する。 | |
| 1951年 | ジュネーヴ大劇場火災により舞台と客席の一部を消失。一時閉鎖。 |
| 1952年 | ヴェレシュ「パウル・クレー賛」をベルンにて完成・初演。 |
| バーゼルにてマルタン作曲バイオリン協奏曲が初演。 | |
| チューリッヒ歌劇場ヒンデミット作曲歌劇「カルディヤック」を世界初演。 | |
| 1953年 | ヒンデミット、イェール大学の職を辞し、アメリカよりスイスへ移住。 |
| オネゲル作曲クリスマス・カンタータがバーゼルで初演。 | |
| 1954年 | シェルヘン、グラヴェザーノにて電子音楽スタジオを開設。 |
| 1955年 | マルティヌーのカンタータ「三つの光の山」ベルンにて初演。 |
| 11月27日バリにてオネゲル没。 | |
| 1956年 | チューリッヒ音楽院が現在の形に改組され、チューリッヒ音楽院・音楽大学となる。 |
| ルツェルン祝祭弦楽合奏団がシュナイダーハンによって創設される。 | |
| 第一回ローザンヌ国際音楽祭が開催される。 | |
| 作曲家マルティヌーがスイスへ移住。プラッテルンに居を構える。 | |
| 12月11日チューリッヒにてシェック没 | |
| 1957年 | チューリッヒ歌劇場シェーンベルク作曲歌劇「モーゼとアロン」の舞台での世界初演。 |
| 1958年 | マルティヌーのオラトリオ「ギルガメッシュ」バーゼルにて初演。 |
| 1960年 | 1月24日、エドウィン・フィッシャー、チューリッヒにて没。 |
| ジュネーヴ古楽器博物館開館。 | |
| 1961年 | チューリッヒ歌劇場マルティヌー作曲「ギリシャの受難劇」を世界初演。 |
| ローザンヌ声楽アンサンブルがミシェル・コルボにより創設。 | |
| チューリッヒ・リチェルカーレ古楽器合奏団がミシェル・ピゲとクリストファー・シュミットにより創設。 | |
| チューリッヒに国際オペラ・スタジオがチューリッヒ・オペラ振興会の援助のもとヘルベルト・グラーフ教授により設立。本格的なオペラ歌手養成機関として活動を開始する。 | |
| 1962年 | マルタン作曲ミサ曲がハンブルクで初演。40年前に作られお蔵入りしていた作品であった。 |
| 1963年 | カメラータ・ベルンがウィンコープをリーダーに組織され演奏活動を開始。 |
| ジュネーヴ大劇場、再建し開場。 | |
| 第一回クララ・ハスキル・ピアノ・コンクールがヴヴェイで開催される。 | |
| 1964年 | チューリッヒ市立歌劇場からチューリッヒ歌劇場に改名。 |
| 1967年 | マルタン作曲チェロ協奏曲がバーゼルにて初演される。 |
| 第一回モントルー国際ジャズ・フェスティバルが開催される。 | |
| 1969年 | 2月20日、ジュネーヴにて名指揮者エルネスト・アンセルメ没 |
| 1970年 | ベロミュンスター管弦楽団が改組され、バーゼル放送交響楽団となり、4月1日より演奏活動を開始。 |
| 1973年 | マルタン作曲「ポリプティーク」「レクイエム」がローザンヌで初演。 |
| 1974年 | 11月21日作曲家フランク・マルタン、ナールデンにて没。 |
| 1976年 | 6月14日名ピアニスト、ゲザ・アンダ、チューリッヒにて没。 |
| 1977年 | ジュネーヴ交響楽団が創設。演奏活動を開始する。 |
| 1979年 | 第一回ゲザ・アンダ・コンクールがチューリッヒで開催される。 |
| ベルン音楽学校が演劇学校と合併しベルン音楽演劇院となる。 | |
| 1981年 | チューリッヒ交響楽団がダニエル・シュヴァイツァーを音楽監督として創立。演奏活動を開始する。 |
| 1984年 | ジュネーヴ・ヴィクトリアホール火災により多くの部分を消失 |
| 1986年 | ジュネーヴ・ヴィクトリアホール改修が終わり、再開する。 |
| 1987年 | ベシャール・バレエ・ローザンヌが創設。活動を開始する。 |
| 1988年 | 第一回プリ・ド・ローザンヌ・バレエ・コンクールが開催される。 |
| 1997年 | バーゼル交響楽団とバーゼル放送交響楽団が合併し、新しくバーゼル交響楽団として、マリオ・ヴェンツァーゴのもと演奏活動を開始。 |
| 1998年 | 新しくバーゼル室内管弦楽団が創設され、縁のザッヒャーの初演したプログラムでデビュー。 |
| 1999年 | 5月26日、パウル・ザッヒャー死去。 |
| 2001年 | 4月16日、イタリアのヴェローナにて、名指揮者ペーター・マーク死去。 |