ティチーノの国際オルガン・フェスティバル

 マガディーノという地名をご存知の方は、余程スイスの詳しい方でしょう。それもティチーノ州に詳しくなければ、「ああ、あそこね」などとはいかないはずです。
 実は私も全く知りませんでした。しかし、最近(というより一年程前)にある一枚のCDに出会ってから、ここを知るようになりました。ここで国際オルガン・フェスティバルが初夏の頃、開催されていて、そのおそらくはライブ録音だったからです。
 その一枚は、ドイツのバッハ演奏の第一人者であったカール・リヒターのバッハ・リサイタルでした。
 その後、イタリアの名オルガニスト、フェルナンド・ジェルマーニのこのフェスティバルでのオルガン演奏のライブCDを聴くに至り、これはいつか取り上げるべきと気づいたのであります。
 ジェルマーニなんて知らないなどと言うなかれ!!イタリアはローマに一九〇六年四月六日に生まれた大オルガニストで、レスピーギの弟子でもある超エリートであります。一九四八年からはローマの聖ペテロ大聖堂の第一オルガニストを勤めた人で、大変な尊敬を受けているオルガニストなのです。

 マガディーノには、私はまだ行ったことがないので、少々気が引けますが、ベリンツォーナからロカルノに向かう途中、ルイーノに向かう支線の途中にある町です。マッジョーレ湖畔の町でパロッキアーレ教会(と読むのでしょうね?)とか聖カルロ教会などのオルガンを使用しての録音の数々は、予想通り、なかなか素晴らしい演奏で、特にジェルマーニの弾いたレーガーのオルガン・ソナタ第2番ニ短調の集中力の凄さは、並大抵のものではないと思います。
 最後のフーガに至るまで、息をもつかせない演奏で、聞く者をグイグイ引っ張って行ってくれます。
 赤毛の司祭=ヴィヴァルディの協奏曲をバッハがアレンジしたオルガン協奏曲BWV.594 をジェルマーニは実に楽しく聴かせてくれます。
 原曲がヴィヴァルディだとは知っていても、聞こえてくる響きの全てがバッハのものになっているのは、音楽をやる端くれとして「凄い」の一言です。どうして楽器を移し替える単純なアレンジを施しただけで、こんな編曲者の刻印が残せるのでしょう!!
 あと、バッハのコラール前奏曲BWV.682「天にまします我らの父よ」とコラール変奏曲「Allein Gott in der Hoeh' sei Ehr'」BWV.771が演奏されています。
 BWV.771が擬作とされている作品で、あまり演奏されなくなった一曲です。おそらくはフェッターあたりの作品でしょうが、なかなか美しいコラール主題による変奏曲であります。まぁ、バッハ作でないことを知っているから、先入観からでしょうか、各変奏の性格の描き方がやや同質でありすぎ、変化に乏しいように思いますが、みなさんはいかがお感じでしょう?
 BWV.682はなかなかの大作ですが、起伏の少ないヒタヒタと滲みてくるような音楽で、ジェルマーニの演奏がサラッとしていて、なかなかいい感じです。
 オルガンはおそらく近代オルガンを使用しているものと思います。音色の変化がとても大きく、反応のとても良い音で、色彩感豊かな演奏であるからです。
(以上ERMITAGE/ERM 161 ADD)

 一方、リヒターの演奏は超有名なトッカータとフーガから始まります。冒頭のスケールで驚くような大ミスがありますが、彼もこんなことがあったのですねぇ。全体としては、ジュネーヴヴィクトリア・ホールでの演奏に近い、やや即物的というか分析的な演奏であると評したいと思います。その意味で、優れて近代バッハ演奏の典型とでも言うような演奏であると考えます。
 音色の変化はここでもある程度多用されていますが、響きの質からバロック・オルガンを修復したもののようです。レンジは少々狭く感じます。しかし、高雅な響きがそんなことを忘れさせてくれます。レジストの選び方も極めて妥当だと思われます。
 ト長調のトリオ・ソナタ(オルガン・ソロ用)BWV.530や、コラール変奏曲「ようこそ、慈悲あつきイエスよ」BWV.768 などの集中力の決して途切れない演奏は、彼の正規の録音にも決してひけをとるものではありません。
 特に一九五九年にも録音しているコラール変奏曲「ようこそ、慈悲あつきイエスよ」BWV.768 は得意だったのか、強い集中力の持続で、静かにそしてダイナミックに変化していくなかなかの名演となっています。
 ロマンチックな身振りの大きさの代わりに、全体としての構築性を全面に出してくるこの演奏は、これまた有名なト短調の幻想曲とフーガBWV.542の、大仰にならない、一音一音よく考え抜かれた演奏に、当時のバッハ演奏の最先端の考え方がよく出ていると思います。
(以上ERMITAGE/ERC CD 12008-2 ADD)

 シオンのように特に有名なオルガンがあって、それを中心としたフェスティバルではなく、日常的な教会のミサで聴くオルガン演奏の延長線上にあるかのような、自然体のオルガン・フェスティバルが、このティチーノで続いていることが、とても興味深く感じました。