ローザンヌのシネ・ノミネ弦楽四重奏団

 一九八二年に創設、一九八五年のエビアンの国際コンクールで優賞。メロス・カルテットの指導を受けた。
 シネ・ノミネ弦楽四重奏団は、メロス・カルテットの二十五周年アニヴァーサリー・コンサート等に招かれドイツ各地でメロス・カルテットと共に演奏会を持った。
 また、一九九一年から翌年にかけてアメリカに演奏旅行に出かけ、南北アメリカでの成功によって、彼らは最高水準の弦楽四重奏団と認められるようになり、現在、スイスのレコード会社から十六タイトル以上のCDがリリースされている。
 メンバーは第一ヴァイオリンがパトリック・ジュネ、第二ヴァイオリンはフランソワ・ゴトロー、ヴィオラを担当しているのはニコラシュ・バシュ、チェロはマルク・ジェルマンという四人で、創設以来、メンバーの移動は無い。
 以上が彼らについてわかっている全てです。

 彼らの存在を最初に意識したのは、グノーのレクイエム(claves/KICC-7268)での演奏でした。ただその時は、アンサンブルの中の一部分であり、「そんな団体がいるのかぁ」位だったのですが、その後同じスイスのクラヴェースから出たブラームスの弦楽四重奏曲全集を聞き、これはなかなか素晴らしい団体らしいと思い、更にスイスの CASCAVELLE から出たシューベルトの弦楽四重奏曲全集(瑞西CASCAVELLE/VEL 1040〜5)を聞くに及んで、第一級の室内楽を奏でる団体であることを確信した次第です。

 いずれのタイトルもスイスのメーカーから出ている為、日本でもほとんど紹介されることもなく、知る人ぞ知るといったカルテットですが、ぜひ多くの人に知ってほしいと思います。

 さて彼らの演奏の特徴をあえて言うならば、美しい弱音にあるのではないでしょうか?押し出しの強い、大きなディナーミクの変化というのとは、全く対極にある演奏姿勢で、聴き進むうちにじんわりと響いてくるといった音楽に特徴があると思います。
 したがってシューベルトの弦楽四重奏曲第八番の冒頭などの何気なく出てくるメロディーなど、本当に何気なくというのがそのままのように、しかしよく聴けば何とも表情豊かで心から歌っているような、そんな音楽が始まっていることに気づくのです。
 きっと、彼らの音楽を聴く為には、聴く側がそっと寄り添っていくような耳を求められるのではないでしょうか?決して無表情で平板に陥ることなどない、美しい響きであり、個々の奏者が持っている技量は大変高いものがあると思われます。
 それはブラームスの弦楽四重奏曲の演奏でとてもよく感じられます。彼らのフォルテは決してがなり立てることのない、実に上品な響きを維持していますが、決して豊かさに欠けるわけでも、広がりに欠けるわけでもありません。ただ荒々しさに欠けるだけです。
 実演で聴いたわけではないので、録音の加減かも知れませんが、メーカーの違う何枚かのCDを聴いて、どれもが同じ傾向の音楽であることから、彼らの音楽の特徴を捉えているのではないかと思われます。
 更に、上記のメンバーの内の誰かがリーダーシップをとっているのかも知れませんが、アンサンブルは実によく整っているのですが、時々とても面白い解釈が聴かれます。
 例えば、シューベルトの「死と乙女」の第一楽章などは、バラードのようにテンポを速い部分と遅い部分
に分け、曲の新たな一面を照らし出していたりします。私自身のこの曲に対する考えとは違いますが、「こういった解釈もありえる」とは思います。ちなみに第二楽章の有名な変奏曲は、実に美しい音楽となっています。おどろおどろしい音楽がすっかり浄化されてしまって、新しい死と乙女を聴くことができます。
 同様にブラームスの第一番の第二楽章「ロマンツェ」の中間部の何とも震いつきたくなるような美しさは、彼らの演奏特有のものだと思います。おそらくは一八六五年二月に亡くなったブラームスの母への思慕がこの曲や次のイ短調の二番に表現されていると私は考えているのですが、彼らの演奏は、大泣きに嘆くのではなく、涙をじっとこらえ、平静を装いながらも本当は深く悲しみに暮れているといった音楽になっていると思うのです。
 第二番の終楽章の変奏曲などは、死と乙女の変奏曲とは対照的な性格を持っていると思いますが、底辺では同じ嘆き、思いに寄せているのではないかと思わせられたのがシネ・ノミネ弦楽四重奏団の演奏が始めてのことであります。
 ブラームスのスイスとの縁は、ドイツ・レクイエムの構想の段階からはじまり、トゥーンやチューリッヒでの幸せな滞在、トーンハレのホールのこけら落としでの指揮に至るまで続きますが、ブラームスと現代のスイスの音楽家との新たな幸せな結びつきを感じさせてくれる演奏の登場を素直に喜びたいと思います。

 さて、シューベルトの最後の四重奏曲の演奏は独特の彼らの演奏様式に最もマッチして、静謐で限りない広がりを感じさせる、明らかにブルックナー的なスケールにまで達しているこの傑作の第一級の演奏であると考えます。
 細部に至るまで、実に丁寧に仕上げ、更にその検討の後を少しも感じさせない、自然な歌に溢れた演奏は、決して彼らが平凡な演奏家たちでないということを、これ以上に証明しているものはないと思われます。
 これらの演奏が一九八九年頃にすでに達成されていたことは、特筆に値します。(ブラームスは一九九三年の録音)
 このシネ・ノミネ弦楽四重奏団が、弦の厚い伝統(それらはカール・フレッシュ、シュナイダーハン、シゲティ、ヴォルガ達によって作られて来た)支えられ、カルミナ弦楽四重奏団やベルン弦楽四重奏団とともにスイスを代表する団体の一つであることを、私は多くの人に知ってほしいと思っています。
 機会があれば一度聴いてみてはいかがですか?