グシュタートのメニューイン

 グシュタートには名バイオリニストのメニューインが住んでいます。ユダヤ人であり、人道主義者のこの素晴らしい音楽家は、かつては神童として、ヨーロッパ中を湧かせた経歴を持っています。
 十代の頃の録音が今もCDに復刻されて、売られています。私もいくつか持っていますが、その溌剌とした演奏は、彼の大きな才能の可能性を信じさせる素晴らしいものです。

 一九一六年、ニューヨーク生まれです。ヨーロッパではなかったの?という思いにとらわれそうになるほど、彼の活動はヨーロッパを中心としたものであります。
 エネスコに師事し、後にアドルフ・ブッシュに習うためバーゼルに住んでいます。この先生たちがみんなヴァイオリンもやるけれども指揮もするというところが、なんとなくメニューインの音楽活動にも影響を与えているような気がするのですがねぇ。

 一九三二年にはエルガー自身の指揮でヴァイオリン協奏曲の録音をしていますが、今日でも、恐らくは(録音状態を別とすれば)最高の演奏ではないでしょうか。師エネスコの指揮で録音されたショーソンの詩曲などは、ぞっとする位の美しさでありました。

 一九三五年に十三カ国七三都市を巡演した時をピークとして彼の神童時代は終わるのですが、フルトヴェングラーと共演したいくつかの演奏やバルトークの演奏が記憶に残る名演でありましたが、ヴァイオリニストとしてのキャリアよりも、教育家、指揮者としての活動の方に重点が置かれるようになっていったのです。

 と言うのは、彼のヴァイオリンは神童時代を決して越えることはなかったのです。多くの神童が、年をとるにつれて光を失っていくのにも似ていますが、彼はそうではありませんでした。
 恐らくは、戦後、ザルツブルクやルツェルンにおいて共演したフルトヴェングラーから得た多くの物を熟成し、自分の物にしていくことで単なるヴァイオリニストの世界をあっさり破ってしまったとでも言うべきでしょう。

 彼はロンドンに住んでいます。でもスイスのグシュタートにも家を持っていて、一九五六年より音楽祭をグシュタートで催ししています。その活動の中から、グシュタートにはメニューイン音楽アカデミーが開講、多くの音楽家の卵がそこで学んでいます。
 そしてここの卒業生でカメラータ・リズィー・グシュタートという弦楽アンサンブルが組織され、CD録音まで手がけるほどまで育ってきているのです。

 リズィーというのは、ここの音楽アカデミーの音楽ディレクターをしている南米生まれのアルベルト・リズィーの名前です。自らの名前を入れたアンサンブルの主催者のリズィーは、一九七七年からここに住み、音楽アカデミーを切り盛りし、自ら創設したアンサンブルと共に演奏活動を行っています。

 アメリカ生まれでイギリスの市民権を持つメニューインの創設した音楽アカデミーを南米ブエノスアイレスからやって来たヴァイオリニストが切り盛りしているというのは、スイスの文化的な側面を象徴しているように思えます。
 それは、多くの文化を輸入しているというのではなく、文化を受け入れ、それを育むということで、スイスの果たしている役割は実に大きなものがあるように私には思えます。

 グシュタートと言えば、サンモリッツやクラン・モンタナと並ぶ高級リゾートですが、そこにある音楽団体なんて、観光客目当ての安っぽいアンサンブルじゃないかと思いがちですが、いやいやどうして、なかなかの水準を維持しているようです。
 スイス・クラヴェースから出ているいくつかのCDを聞く限り、それは全盛期のルツェルン音楽祭弦楽合奏団と並ぶというのは言い過ぎかも知れませんが、なかなかいい線はいっていると思います。

 夏のグシュタートのメニューイン音楽祭にも多く出演しているこの団体は日本にも来たことがあるそうですが、残念ながら私は聞いておりません。

 グシュタートは、何度か通りながら、ああここにメニューインが住んでいるのだと思いながら、列車の車窓を眺めていました。
 いつかあのツヴァイジンメンから出ている列車に乗って牧歌的なグシュタートに行って、彼らの演奏を聞きたいものだと思っています。