シュティフィ・ゲイヤーとオトマール・シェック

 シュテフィ・ゲイヤー(Stefi Geyer)というハンガリーで生まれ、チューリッヒで亡くなった今世紀前半の女流ヴァイオリニストは、シェックの片思いの相手としても有名ですが、更にバルトーク(ヴァイオリン協奏曲第一番を献呈している)やスイスの作曲家ブルクハルトの協奏曲等、彼女との関わりの中で出来た音楽はたくさんあることを最近知りました。
 1910年に作られたシェックのヴァイオリン協奏曲「幻想曲風」は、彼女への片思いの産物として書かれたものでした。献呈は当然シュテフィ・ゲイヤー。しかし、彼女に会うためにはるばるハンガリーまで行った作曲家は、そこで彼女に会えず(演奏旅行中だったそうですが)すごすごとスイスに戻ったりしたいるようで、相当屈折していたのか、それとも彼女が初演をスケジュールの関係か何かで担当できなかったのかどうかは知りませんが、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のコンサート・マスターのウィレム・ド・ベールが初演を行っています。しかしこの曲のスコアのタイトルの上には「シュテフィ・ゲイヤーのために」と記されていて、作曲家の悲しい?思い出を刻んでいるのです。
 私は、この曰く付きのヴァイオリン協奏曲のCDを何種類か聞いてきたのですが(ベッティナ・ボラー盤にウルフ・ヘルシャー盤等)この曲を作るきっかけとなったゲイヤーのソロ、フォルクマール・アンドレーエ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団による1947年2月6日のライブをこの度手に入れて聞いてみました。(DANTE - LYS398)
 古い録音の復刻ですので、状態がまず心配でしたが、音の状態は充分に満足のできるものでした。その上、演奏もただ単に美人であっただけのヴァイオリニストの演奏ではなく、やや線は細いものの、美音の持ち主だったらしく、なかなか美しい演奏であると私には思えました。ましてや60才に近い頃の演奏ですが音程は正確ですし、ボウイングも実にスムーズで見事なものです。その点で衰えは全く無いと言って良いでしょう。
 叙情的な第一楽章第一主題が、ためらいがちに始まると聞き手は一気にシェックの濃密なメランコリーの世界に連れていかれます。和声的な色彩の艶やかさはこの曲の大きな特徴です。転調の妙とともに後期ロマン派の流れを強く意識づけられる作品であると申せましょう。その意味で私はこのヴァイオリン協奏曲を、シェーンベルク以前の爛熟したドイツ・ロマン主義の音楽の最後の輝きであると考えます。
 第二楽章はグラーヴェで書かれ、更に和声的な響きの多彩さは技巧の限りを尽くしたものとなっていて、これを聞きながら、ヘッセの「春の嵐」はシェックがモデルかも? と想像したりしてしまいました。ゲイヤーのヴァイオリンは、この曲が求めているやるせないようなメランコリーは余すことなく表現し尽くしていて、充分満足できる出来であります。共演のオーケストラは単なる伴奏というのでなく、実に重要な役割を果たしているのですが、アンドレーエはこの点で理想的な共演者であると思います。
 オーケストラの響きの中にシェックが求めていたであろう深い憂愁が、余すことなく表現されているからです。実際、オーケストラは決して伴奏というわけではなく、交響的な充実感か要求されています。それはワーグナーばりの楽劇を作ったシェックは、ブラームスのような緻密な構成と、当然名技性を目的とした作品とは異なる、独奏もオーケストラの一部であるかのような作りにその特徴があります。
 その意味で、ゲイヤーとアントレーエは理想的なコンビであると思います。また戦後すぐの頃のトーンハレ管の高い音楽性は、第二次大戦で多くの楽員を失った他のヨーロッパの国々のオーケストラの惨状を思うに理想的と言うべきものであったと思います。
 二楽章からア・タッカで続く終楽章のアレグロ・コン・スピリートは拍子抜けするほど楽天的に始まるのですが、このあたりではゲイヤーのヴァイオリンにもう少し線の太さがあれば、軽妙さと重厚さがバランスがとれるのだがと思いました。そしてこの快活さがこの終楽章では次第に憂愁に結実していくのです。これこそシェックの屈折した深い世界へと我々を導くものであると思います。そしてこの演奏ではそのあたりが実に見事なものであります。縁のトーンハレ管の演奏は大変気持ちのこもったもので、この一枚がどれだけかけがえのない一枚であることか!!。
 とは言え最初にこの曲を聞かれる方は、ノヴァリス(Novalis)から出ているウルフ・ヘルシャーのヴァイオリン、ハワード・グリフィス指揮イギリス室内管の演奏がいいかも知れません。ゲイヤー盤は復刻はたいへん丁寧ではありますが、やはりその音の古さ(ノイズをカットしすぎてやや音の勢いがなくなっているように思われる)と、線の細さからセカンド・チョイスとせざるを得ません。しかし、その歴史的な意味合いと重要性はいささかも損なわれることはないと思います。
 ヘルシャーはあまり美音というわけではありませんが、線が太く、表現の幅が大きいので、この曲の持つ深さをあますことなく表現していると思います。終楽章が少々明るくなりすぎる傾向があるのが難点です。ここは軽快なだけの音楽であってはならないのではないでしょうか。短所はヘルシャーの音にあまり魅力が無いことでしょうか。ゲイヤーの録音が良ければ・・・と嘆きたくなるところです。しかしグリフィス指揮のイギリス室内管の演奏はこの曲への最高の献身を聞かせてくれます。
 その意味ではスイス生まれの女流ヴァイオリニスト、ベッティナ・ボラーと、デルフス指揮スイス青少年交響楽団の演奏(クラヴェース)は線が細すぎ、表情が平板になってしまうことがちょっと推薦をためらわせるところでありますが、テンポはかなり思いきった設定となっていて、ずいぶん揺れ動きます。不安定さもありますが、これによって深いメランコリーの感じがよく出ていると思います。
 最初の独特な出だしをゆっくりと静寂の中から霧が立ち上るが如くやられると、その切なさや深いメランコリーはよく表現されて効果的であると思います。が、ダイナミック・レンジが狭いので、アゴーギクに頼ったかのような演奏に聞こえるのが惜しいところです。オケの演奏がやや緻密さに欠けるのもマイナス点ですね。健闘はしているのですが、イギリス室内管の見事な演奏を聞いてしまうと、ちょっと厳しいなあと思います。チューリッヒ・トーンハレ管も素晴らしい出来ですが、この二枚は録音の差が大きいですね。
 ゲイヤー盤には、この他にも戦後まもなくのライブとしてザッヒャーとチューリッヒ・コレギウム・ムジクムの伴奏によるモーツァルトのアダージョKV.261やハイドンのヴァイオリン協奏曲ハ長調Hob.・a:1なんて曲も聞くことか出来る上(これが中々の名演!!)、他にピアノ伴奏による小品の録音も数曲入っています。
 戦前に活躍したゲイヤーというヴァイオリニストは今では全くと言っていいほど忘れられた存在ではありますが、中々のヴァイオリン奏者であったようです。
 彼女は1956年12月11日にチューリッヒで亡くなっています。彼女に深い思いを捧げたスイスの作曲家、オトマール・シェックは彼女に遅れること四ヶ月、1957年3月8日に彼女と同じチューリッヒで亡くなっています。ゲイヤーは68才、シェックは71才でした。