ジュネーヴ国際音楽コンクールについて

 一九三九年に第一回が行われたジュネーヴ国際コンクールは、以降一九九九年をのぞいて毎年ジュネーヴで行われ(一部会場をビールなどに移して行われていますが)、戦後のクラシック音楽界を代表するスターを輩出した国際コンクールとして大変重要な役割を果たしてきました。
 第一回の入賞者には、イタリアの生んだ大ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリがいますし、オーレル・ニコレなどの先生としても有名なフランス人フルーティスト、アンドレ・ジョネもいます。
また、宗教音楽を歌うマリア・マリア・シュターダーもこの第一回の優勝者でありました。こうした大音楽家を輩出したことで、ジュネーヴ国際音楽コンクールは水準の高いコンクールとして、認知されるようになったとも言えるでしょう。
 翌年に第二回が行われましたが、不幸にも第二次世界大戦が前年より始まったため、国際とは名ばかりのコンクールとなってしまいましたが、それでも後年、ジュネーヴの大聖堂のオルガニストを務めた名オルガニストのピエール・スゴンがオルガン部門の一位なしの第二位となっています。アンセルメの指揮したサン=サーンスのオルガン付きの交響曲で、華麗な演奏を繰り広げているのが彼です。
 第三回もまた、戦争によって寂しいものでしたが、この年、ハンガリーから亡命してきていたゲオルグ・ショルティがピアノ部門を受け、第二位に入賞しています。翌第四回も彼は受け、見事第一位に入っていますが、この第四回は、ショルティの他にもフルートにオーレル・ニコレも第一位に入り、デュオ部門には、ルツェルン祝祭合奏団の指揮者としても活躍するルドルフ・バウムガルトナーが第二位に入っていることも併せて記しておくこととしましょう。
 しかし、大戦のせいか、一九四三年、一九四四年は後年あまり活躍した人はいません。入賞者の顔ぶれもスイス国内に限られ、戦争によって音楽文化が著しく傷ついていたことを思わずにはおれません。
 戦後最初のコンクールとなった一九四五年のヴァイオリン部門に、あのかぐわしい音色で魅了したフランスの女流ミシェル・オークレールが第一位になっていますし、翌一九四六年の第八回では、チェロ部門の第二位にイタリアのアントニオ・ヤニグロやピアノ部門第一位のフリードリヒ・グルダ、第二位のアニー・ダルコ、弦楽四重奏部門のヴェーグ四重奏団がいます。
 この頃になると、戦後の復興も軌道に乗り始め、後回しとなっていた音楽がやっと息を吹き返してきた頃であると言えるでしょう。翌第九回ではハンガリーの女流ヴァイオリニスト、ヨハンナ・マルツィが一位なしの第二位に入賞し、スペインの歌姫ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスが声楽部門の第一位に入って、楽壇に躍り出るきっかけをつかんだのでした。
 記念すべき第十回は、リパッティの助手を務めていたベラ・シキがピアノ部門の第二位にイタリアの女流ピアニストのマリア・ティーポとともに入りました。しかし、それ以上に圧巻であったのはフルート部門です。再びオーレル・ニコレが受けて第一位に入った他、第二位にはバーゼルで古楽演奏でも活躍したクリスティアン・ラルデ、そして第三位にはミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団の指揮とフルート演奏で有名なクルト・レーデルが入ったのでした。
 その後の入賞者の中には、第十一回のデュオ部門にウォルフガング・サヴァリッシュがいたり(第二位)、第十二回のマリ=クレール・アランがオルガン部門の第二位にはいったりしていますが、中でもみなさんに親しい名前といえば、マルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニ、エリー・アメリング、ハインツ・ホリガーといった人たちではないでしょうか。その後、ショパン・コンクールやミュンヘン・コンクール等でも優勝したりして、スターダムにのし上がっていった彼らにとってジュネーヴのコンクールは通過点であったのかも知れませんが、大きくはばたくためのきっかけとなったことは間違いないと思います。
 他にもフルート部門にはマクサンス・ラリューが、パリ管弦楽団の名フルーティスト、ミシェル・デボストがいます。、トランペット部門にはモーリス・アンドレが、室内楽ではメロス・カルテットが、ズスケ四重奏団が、声楽ではヨセ・ヴァン・ダムやヴァルター・ベリーもいます。日本人も、ヴィオラの今井信子さんや、不幸にもキャリアの途中で病に倒れた田中希代子さんをばしめとしてたくさん入賞しているのも忘れてはなりません。
 近年、ややそういったスターが出ていないのは、寂しいところでしたが、十年ほど前、ジュネーヴ出身のフルーティスト、パユがフルート部門で優勝し、フルートのレベルが高いという伝統を見せつけたところです。ちなみにこの年、日本の若手ヴィオラ奏者としてグングン頭角を現してきている川本嘉子さんがヴィオラ部門の第二位に入っています。
 この年、私はジュネーヴのコンクールを見学しました。寒い雨が降る九月のジュネーヴで、若い音楽家たちの熱い戦いが行われているのを見た私は、スイスが果たしてきた文化的な貢献を、私たちは少し過小評価しすぎていないかと自問自答していたのでした。そしてその日から、私のスイスをめぐる音楽の旅が始まったのでした。
 私にとっても、記念すべきコンクールでした。