マンフレッドとユングフラウ

 まず、最初にロマン派の巨匠、ロペルト・シューマンの劇音楽「マンフレッド」です。イギリスの詩人でモントルーのシオン城に落書きをしたというバイロンの三幕からなる劇詩につけた音楽です。チャイコフスキーにも同じ名前の作品がありますが、こちらは交響曲の形態をとっていで、オーケストラのみの演奏ですが、シューマンの方はナレーターとソプラノ他の独唱、合唱という編成で、実際の劇としての上演を想定した作品と言えます。

 詩は、原作も出版されていますし、お読みになられた方も多いのではないでしょうか。ロマン主義に根ざした初期の詩として、ゲーテのファウストなどの影響のもとに書かれた、バイロンの傑作に違いないと思いますが、劇としては面白いのかどうかは、わかりません。
 ただ、この作品は、バイロンがラウターブルネンタールのシュタウブバッハフォールに行って、滝の飛沫にかかる虹を見たりして霊感を受けて書かれたというだけあって、ユングフラウの精やサン・モーリスの僧院の僧院長が出る、スイスそのものといった内容の作品です

 中世のアルプスに居城を置くマンフレッドは、信仰と手を切り、大いなる懐疑、虚無感の中に身を投じる。アルプスの妖精(魔女)と交流を結び、死を望み、現実から逃れようとする。かつて愛した末裏切り自殺に追い込んだアスタルテの霊に出会い、深く謝罪するが許されず、そのまま自分の城の塔で最期の時を迎える。といった内容です。
 懐疑し、ひとり孤独にさいなまれるマンフレッドに対して素朴な信仰の厚いかもしかを追う猟師、敬虔な神の道に生きる中世的な生き方の僧院長を対峙させ、宿命的で劇的な最期を縦軸に描かれた物語は、ロマン主義の幕開とも言うべきものなのでしょう。

 シューマンはスイスの行ったことがあるのか、残念ながら伝記、評伝がこれまた行方不明で、調べられませんでした。しかし、ライプティヒ大学を去って、ハイデルベルクに滞在していた時イタリア旅行をしているので、この時にスイスに立ち寄っているかも知れません。

 一方チャイコフスキーは、モスクワを出て随分長い間、レマン湖畔に滞在していたこともあり、ベルナーアルプスへの足跡も明らかで、インターラーケンにも滞在していたようです。従って、バイロンの詩を実感をもって読んでいたに違いなく、二人とも、時代は多少違いますが、ロマン主義の申し子のような作曲家ですし、この劇詩が作曲のインスピレーションをかき立てたのは当然と申せましょう。

 シューマンの方のCDは、日本盤が出ていないのでなかなか手に入りにくいかもしれませんが、仏TAHRAにシェルヘン指揮のいい物があります。チャイコフスキーは?日本盤がいくつかでておりますので、一度お聞きになられてはいかがですか?気に入らなくっても怒らないで下さいね。