アルプス交響曲

リヒャルト・シュトラウスという作曲家はご存知でしょうか。「2001年宇宙の旅」という映画で有名になった「ツァラトゥストラはかく語りき」という交響詩で有名な作曲家ですね。よく似た名前の、ヨハン・シュトラウス一家とはよく似てますが、関係はありません。念のため。
 「ツァラトゥストラはかく語りき」はニーチェの有名な本ですが、残念ながら、私は読んだことはありません。あのシルス・マリアにこの本を書いたという記念館がありますが。

 話をもとに戻して、リヒャルト・シュトラウスが今回登場したのは、ツァラトゥストラやニーチェのおかげではなく、なんと「アルプス交響曲」のおかげ?なのです。

 この曲は第二次大戦後まで生きて、作曲を続けた、比較的長命だったシュトラウスのオリジナルの管弦楽用の作品の最後のものとなっています。若くして、音楽界の寵児として演奏会用の作品から楽劇に至るまで、多くの傑作を若くしてものにしていた彼の、五十一才の円熟した作品と言えます。
 出発前の日の出の様子を描写した序奏に続いて、山登りの途中を描写する第一部、そして頂上に到達した喜びと大自然の偉大さを表したという第二部。下山途中の凄まじい嵐の場面を描写した第三部。嵐の後の感謝と日没、登山の追憶を表現した第四部、となっています。

 まぁこう書くと、スイスと山が大好きな方ならつい飛びつきたくなります。時々、「あれっ、これウ○トラマンかウルト☆セブンで聞いたような節回しが出てきたり、ウィンド・マシンという風の吹く音を出す装置の効果音が出てきたり、雷鳴を出す装置が使われたり、さらにはパイプ・オルガンまで登場するという、凄いというか、なかなか楽しい曲であります。
 このように「アルプス交響曲」、山好きの作曲家ならではの曲に仕上がっていますし、曲名のおかげか、ジャケット写真にマッターホルンの写真がよく使われています。でもマッターホルンとはあまり関係はないんです。(そうでなきゃ、番外編にはしなかった…)

 リヒャルト・シュトラウスの家は、南ドイツ、オーストリアのインスブルックに近いツーク・シュビッツェという山の麓のガルミッシュ・パルテンキルヒェン(なんと長い名前!二つの町をつなげてしまったそうな)にありました。
 楽劇「サロメ」の成功でお金を得て、ここに移り住んだのだそうです。(最近まで「薔薇の騎士」でお金を得てと、思っていましたが、ご指摘を受けて知りました。)
 今も、彼の山荘はあるそうです。私は行きたかったのですが、残念ながら行っておりません。

 二年ほど前、スイスからバイエルン・アルプス、チロル、ザルツカンマーグートと行ったとき、ミッテンヴァルトの安宿で、持っていった小さなラジオから、偶然この曲が流れてきて、音響的には、全く不満足ではありましたが、夕焼けに赤く焼けるカルヴェンデル山を眺めながら、その日訪ねた、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンの町並とツーク・シュビッツェの迫力ある山容を思い出しながら、そのラジオの2〜3センチのスピーカーが鳴らす音楽に聞き惚れてしまいました。

 しかし、日本人(とは限らないけれど)アルプスと名がつけば、スイスを思い出し(そうそう、私の周りにもモンブランをスイスの山と思いこんでいる人がいます)、その象徴としてマッターホルンを思い出すんですね。それほどの名山なのですね、マッターホルンは。

 考えてみれば、ツークシュピッツェの写真を載せられても、それがリヒャルト・シュトラウスが朝な夕なに眺めていた、山の写真だと気づく人はそういないでしょうから、仕方ないのかも知れません。

 それにしても、作曲家の住んでいたところにまでの考察が、曲目解説でされることは珍しいようですから、いよいよ、「アルプス交響曲」がスイスの曲という伝説が真実味を持ち出すのは時間の問題かも知れません。

 アルプス交響曲、いかがでしょうか。スイスもどきですが、結構いけますよ。ちょっと派手で、スイスの作曲家のように朴訥ではありませんがね。