慣れ親しんだ、ブリークの街でバスに乗り、そのままサース・フェーに向かいました。
土曜日だからちょっと忙しいのです。明日はスーパーもみんな休みです。休暇用住宅で、トイレット・ペーパーにもこまるというのは、笑い話にもなりませんからね。
その前にチェック・インという難関が…。それに、日本から送ったスーツ・ケースは無事届いているだろうか?ちゃんとうけとれるだろうか?
さて、通い慣れたというほどでもないのですが、一時間ほどゆられてバスはサース・グルントからの最後の登りに差し掛かります。どんどん視界が広がり、アルマゲーラー・ホルンなどが目に入って来ます。
すぐにバス・ターミナルというところでちょっとした渋滞に。「やはり土曜の昼は多いんだなぁ」と思いました。
バスを降りてすぐに、郵便局の受付へ。(バスターミナルの中にありますから、なんてことはないのですが)無事、日本で分かれたスーツケースとご対面し、増えた荷物をかかえてバスターミナルを出たのであります。
私たちは、すぐに街の中心の教会へ向かいました。事前の情報(サース・フェーのホームページの情報)によると、教会の横を少し登った所に、目指す休暇用住宅「アルペン・フィルン」があるはずなのです。
途中、昼食にして、荷物を置いてホテルのテラスでレシュティなどを皆で食べ、随分日本人の観光客が増えたことにちょっと驚いてみたりしながら、ビールを二杯位飲んでしまいました。
このビールが効いて、教会の横から登る坂道は随分キツイものとなりました。
荷物の無い子供たちはさっさと行ってしまいますが、スーツケースにバッグパックを背負った私と妻はそうは行きません。
「こら、待て〜」などと叫びながら息も絶え絶えになりながら登っていきます。
登り詰めた所に、やっと目指す Alpen Firn を見つけた時は、本当に走り出したい気分でした。そうしなかったのは、ただ単に私が重い荷物を持っていたからに過ぎないのです(ちょっと古いイギリス風のジョークでした)。
さて、チェック・インです。誰もいません。入って、あちこち探してみたんです。「入った所であなた達は、私を見いだすだろう」などと書いてあったのに、です。
荷物は置いて置けないし、土曜日でスーパーが閉まってしまうまで後二時間あまり、で、ふと見るとドアに私の名前が紙に書いて貼ってあるではありませんか。そのドアは鍵がかかっていませんでした。
で、かかる緊急事態にやむを得ない理由により、無断?で部屋に入らせていただき、荷物をとりあえず置かせていただくことにしたのであります。
そして、室内を見て回り、必要な物、石鹸、洗剤、調味料、トイレット・ペーパーなどなどをチェックした上で、子供たちを留守番にして、急いで教会のそばのスーパーに買い物に行ったのです。
必要な物、それにミネラルウォーターをダースで買い(結局後で全部余らせてしまったのですが)、ビールとワイン、卵やパンなどを買って重い荷物を持ってまたしてもあの坂を登っていったのです。
あえぎながら、荷物をかついで歩いていると、もの凄く格好いい青年(と見えました)がいきなり話しかけてきてビックリ。
実は、彼が私たちの泊まる Alpen Firn のオーナーだったのです。「休暇を是非楽しんで下さい」という気持ちの良い彼の言葉に送られて(でも荷物を持つのは手伝ってくれなかった…当たり前か)「わが家」に帰ると、子供たちが「知らない小父さんが訪ねてきたがさっぱり何を言っているのかわからなかった」と言っていたので、さっき逢った彼が来たのだということ、彼が客の到着に気づいて来てみたら子供二人っきりだったので、仕方なく帰る途中、偶然会った私たちを、その親と判断して話しかけて来たのだと、やっとのことで判ったのでした。
夕食はこのサース・フェーでとても古い歴史を持つレストランに行ってみました。長女はまたしてもレシュティを頼んでいます。どうもこればかりになってしまいそうですが、私はちょっと思い切って「エスカルゴ」などを頼んでみました。
これがなかなか美味しかったので、これから夕食はここと、昼食を摂ったホテルのガーデン・レストランに決定しました。
夕食後、はじめて手ぶらで、あの坂道を登ったのですが、お酒が効いていたのか、やっばりシンドかったです。明日はどこへ行こうかな? |