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 99/スイスでの夏休みインデックスに戻る

遠回りしてシオンに行ったよ!

 さて、二年ぶりのスイスは、飛行機のトラブルから始まって、ちょっと大変でしたが、スイスに着いたとたん、いつもの快適な旅に早変わりです。
 ベルンを出たICEはフリブールを過ぎ、ロモンの丘を横に見て、緑なすグリュイエールの野を過ぎ、レマン湖に出ます。

 このレマン湖との出会いは予期していたとは言え、いつも感動してしまいます。スイス・ワインのワイナリーが点々とする葡萄畑の中をドンドンローザンヌへと斜面を駆け下りていくこの路線は、ブリューニック線と共に、スイス国鉄の最も美しい車窓ではないでしょうか。
 ローザンヌで乗り換え、各駅停車でモントルーまで来て、ここで更に乗り換えでホームに降りると、来るときの飛行機で一緒だったおばさんに逢いました。なんという偶然でしょう。彼女たちも高輪のホテルでの旅行第一夜を過ごした仲間だったのですからね。
 「これからローザンヌに行く」という彼女達と別れ、何となく曇り空なのでロショ・ド・ネイはあきらめ、ブリーク行きのIC(インターシティ=特急列車)に乗って、シオンで昼食にして、(前回休館日の為見ることができなかった)ヴァレール丘に登ってみることにしたのです。

 で、シオンに着くと、まず重いカメラ・バックをコイン・ロッカーに入れて愛用のマミヤ7で撮りまくろうと思っていたところ、これをなんと落としてしまったのです。「あ〜あ」と再度チェックをしたところピントが合いません。どこがやられたのかわからないまま、再度コイン・ロッカーからカメラ・バックを取り出し、ペンタックス645に45mmのレンズをつけて、肩にかけて出かけることになったのです。
 写真をやりだして三〇年。カメラを落っことしたのは初めてで、かなりのショックでした。マミヤ7は、結局ベルンを少し撮っただけで、単なるお荷物となってしまったのです。家族の「あ〜ぁ」という蔑んだようなまなざしを受けながら、市内観光へと出発です。
 シオンの町は何度か歩いているので、前回の記憶がまだ鮮明であっただけに、すらすらと歩けました。ヴァレールの丘へ行く前に、市役所前のカフェで昼食としたのですが、このシオンの旧市街というのは、曇っているととても重苦しい雰囲気になるのに、晴れていると、なんとも軽やかで明るい町並みとなる不思議な町だなぁと思います。
 降り立ったのは五度目。歩き回るのは三度目、ヴァレール丘は二度目です。雨が三回、晴れが二回目。谷間の町だからというよりも、トゥルビヨン城のある岩山とヴァレール丘教会のある岩山をどう感じるかが、町の印象を大きく左右する町です。
 したがって、晴れの日に来れば、いい町だなぁと思うでしょうし、新田次郎氏のように曇っていたら、「暗さはこのあたりから始まってした」なんていう印象になるのでしょう。
 ヴァレール丘に登るには二つの道があります。駐車場の方から登る一般ルートと、音楽学校の中庭?を通ってあがる「ちょっと厳しい」ルートの二つです。他にもあるのかも知れませんが、登りは一般ルート、帰りは音楽学校ルートが良いかも知れません。今回はそのルートを採用しました。
 夏のスイスは涼しいという定評を覆す暑さの中、延々の登ることになったのですが、旧市街の市役所の横からヴァレール丘への坂道に入ると、細い路地のようになっていて、なかなか美しい道が続きます。
 途中、エリア・ガイドにも載っている「美味しい」そうなレストラン(ああ、ここに行けば良かったと通る時、ちょっと悔やんでしまいました)を通り過ぎるとヴァレール丘とトゥルビヨンへの観光客用の駐車場にでます。
 更に道を右にとって、ヴァレール丘の方に登ると、景色の良いことといったら素晴らしいのですね。トゥルビヨンの城のある岩山の斜面にも葡萄畑があり、ここがファンダン(スイス・ワインの銘柄の名)の産地であることを思い出させてくれます。あの葡萄はきっとシャスラー種だろうなどと考えている内に小さな礼拝堂に出ます。
 するともうすぐそこが、ヴァレール丘教会であります。演奏可能なものとしては、世界最古のパイプ・オルガンがそこにあるのです。
 門をくぐると、さらに城壁に沿って石段が続いています。ちょっと木陰になっていて、涼しい道でした。登りつめると広場になっていて、そこからのローヌの谷の壮大なこと!!
 シオンの駅から市街地を全て見渡せますし、更にシオンの飛行場からずぅっとその向こうまでの眺めは最高です。
 この眺めのためだけでも、来て良かったと思わせるものがありますね。
 教会の中はいたってシンプルで、装飾も少なく、かつての司教座があったところとしては、ちょっと肩すかしを感じさせるようなものでした。
 しかし壁に引っかかってでもいるようなオルガンは、写真で見るよりずぅっと大きく思えました。
 演奏しているところが聞けなかったのは残念ですが、やっと会えたことで充分満足していました。子供達は別に興味もなさそうでしたがね。
 外に出ると暑さが、ぶり返してきます。
 さて駅に戻ると、荷物を出してブリークへ。レッチェンタールのホテル・エーデルワイスに七時頃になるので、食事の用意をよろしくという電話をして列車を乗り換えるとレッチュベルクのトンネルに向かって列車はドンドン登り始めたのです。
 斜面をドンドン登り、ローヌの谷が広がっていく車窓の素晴らしさは、ぜひ多くの人に味わってもらいたいと思います。スイスが鉄道王国だと思う最大の理由は、路線が細かく便利で、時間にも正確で、この素晴らしい車窓の風景があるからであると思います。
 路線が細かく時間に正確であることだけなら東京近辺の路線の入り組み方は尋常ではないと思いますが、車窓の風景は、スイスのどんな都市部にも負けてしまいますね。

 ゴッペンシュタインで降りてバスに乗り換えです。
 雪崩よけのシェルターをくぐって細い村への一本道をバスに揺られていると、川が氾濫した跡が残っていたり、斜面の木が倒れていたりしていました。
 一九九八年から一九九九年にかけての冬の積雪が大変なものであったため、雪崩や、雪解けによる洪水などがあった跡なのでしょう。
 以前に来た時にはなかったもので、ちょっとびっくりでしたが、バスは何事もなくブラッテンに到着。郵便局が百メートルほど引っ越していたこと以外は、かつてのままでありました。

 ホテル・エーデルワイスは以前に泊まったところでしたが、今年はチューリッヒで勉強中の息子さんが切り盛りしていて、お父さんは少し引退気味でありました。
 この息子さんがとても気持ちがいいのです。親切で、明るく、ああこういうのが「スイス・ホスピタリティー」の伝統なのだな、と思いながらのレッチェンタール到着となった次第です。
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