協奏曲楽章 K.584b(621b)

バセットホルンとバセットクラリネット

モーツァルトはクラリネットとともにバセットホルンを愛したと言われている。クラリネットは今日も広く用いられているため我々にとって充分に理解され尽くされているように見える。しかし、バセットホルンについてはフリーメイスンが好んだ楽器であるということくらいは知っていても、楽器そのものについては曖昧な理解しかできていないのではないだろうか。さらにはバセットホルンとバセットクラリネットの違いについても理解する必要がある。そして最もだいじなのがモーツァルトにおけるこれら各楽器の位置づけであることは言うまでもない。本稿ではバセットホルンの定義、モーツァルトとバセットホルンの出会い、モーツァルトのバセットホルン作品、バセットホルン協奏曲草稿、シュタードラーによるバセットクラリネットの考案、協奏曲草稿のバセットクラリネットへの書き換え、モーツァルトにおけるバセットホルンとバセットクラリネットの位置づけについて考察する。

1.バセットホルンとは

バセットホルンについて『グローブ音楽事典』のニコラス・シャックルトン Nicholas Shackleton による解説から年代順に並べ直して引用させていただく。また角括弧にレコード芸術98年4月号からエリック・ホープリチ Eric Hoeprich の解説を佐々木節夫氏訳で追記させていただく。
バセットホルンはクラリネットファミリーに属する木管楽器である。特徴としては、その音域が記譜上のc音にまで引き下げられていること、すなわち従来のクラリネットの最低音よりも長3度低い音まで拡張されていることである。最も初期の例では、延長された管が奇妙な「ブック」あるいは「ボックス」と呼ばれる形状の中を3回にわたって通過しやや目立った金属製のベル(朝顔)につながることによりこの目的が容易に達成されていた。

バセットホルンの起源については、クラリネットと同様に、広く信じられているほどにははっきりしていない。それは「ブック」の近辺に"ANT et MICH MAYRHOFER INVEN. & ELABOR. PASSAVII"と書いてある稀少な楽器により確立されたと一般に説明されている。これはパッサウのマイヤーホーファー家(同様楽器が別人によっても製作されている)が1760年代に製作したと言われている。これら鎌形[奏者の手の届き具合を快適にするこの管の形状が鎌形=三日月形であるためホルンという名前が付いたものと思われる]のバセットホルンのうちで最も単純なもの(おそらくマイヤーホーファーの楽器よりも遡る)は5つのキーを持っていた;2つの親指キーはe音とc音用(d音はない)、魚尾状キーはf音/c''音用(いずれの音も可能)、そして2つのオブリガートキーが上部接合部についている。[これらの楽器のほとんどがG管に調律されているという]この発展の状況は3キークラリネットの発展と同等である。

低音ピッチのクラリネットが作られ、そして「ブック」の発明により音程を拡大していったのか、あるいはシャリュモーの下方拡大音域がそれより以前に既に案出されていたのか、いずれなのかに関する疑問は、あまりにも多くの製作者が自らの発明達成に関し権利を大げさに主張しているので、マイヤーホーファーのよく知られた主張によっても明確に回答できない。要するに、バセットホルンに関しては、低音ピッチのクラリネットおよびシャリュモーの歴史はオープンクエスチョンなのである。

折れ曲がった形のバセットホルンは18世紀の最後の10年に初めて現れた[鎌の形の楽器が廃れて、このツゲ製の2本のまっすぐな管が、120度の角度をもって象牙の腕木につながれた楽器に取って代わられたのは、ヴィーンにおいてだったという。F管にその楽器は調律されていた]。さらにまっすぐな形状のバセットホルンは19世紀初頭に発明された。現在も一般にF管に調律されている[現代モデルはザビーネ・マイヤーたちが演奏しているクラローネが代表的であるが、「ブック」がないためバセットホルン独特の優雅な特徴が出ないといわれている]。

現在多くの楽器が良い状態で残っていることから、この楽器は決して大規模に使われたものではないことが分かる。またこの楽器のために作曲された曲も少ない。

2.モーツァルトとバセットホルンの出会い

モーツァルトは、バセットホルンの発祥後間もない1767年にこの楽器による作曲を試みていることが、レーオポルトのまとめた『この12歳の少年が7歳の時から作曲し、かつ原物を示すことのできる全作品の目録』により報告されている。

このことは当時ザルツブルクにバセットホルンがあったことを意味するが、モーツァルトはこの後ザルツブルク時代には1曲もバセットホルンの曲を作曲していない。同郷の作曲家ミヒャエル・ハイドンのバセットホルン曲を調べてみると、やはり、ただ1曲、ディヴェルティメント ハ長調 MH.App.8(P.97)が書かれているに過ぎない1

穿った見方をすれば、作曲時期が不明であると言われるミヒャエル・ハイドンのこの曲が1767年の曲だと仮定することが許されるなら、バセットホルン奏者はザルツブルクの宮廷楽団に常駐したのではなく、この年ザルツブルクに客演に訪れたバセットホルン奏者にモーツァルトとミヒャエル・ハイドンが曲を提供したという構図が浮上する。いずれにしてもこの時モーツァルトがバセットホルンの魅力をどうとらえたかについては曲が残っていないので分からない。

3.バセットホルンへの傾倒

ヴィーン時代になり急にバセットホルンの曲が増えるのはほぼ間違いなくバセットホルンの名手としても知られていたアントーン・シュタードラーと知り合いになり魅力にとりつかれたことによると思われる。アントーン・シュタードラーは弟のヨーハンとともにクラリネットおよびバセットホルンの奏者としてヴィーンでは際立った存在であった。彼らはヴィーン宮廷でロシア大使ガリツィン侯に仕え、しばしば音楽芸術家協会の演奏会に出演していた。アントーンがフリーメイスンに入会してからはさらに同志として密接となり、ロッジのサークルでモーツァルトは一緒に演奏する機会を持っている。ジャンル別には、オペラ、フリーメイスンのための楽曲、ゴットフリート・フォン・ジャカンらを含む仲間たちとの日常音楽(家庭音楽)の3つに大きく分けられるだろう。オペラでは場面の荘厳さを増すために、器楽曲では和声の柔らみ・厚みを増すために、そして声楽曲では声とバランスが対等なオブリガート楽器として使われているようである(バセットホルンはフリーメイスンの楽器であるとよく言われるが、モーツァルトがフリーメイスンの機会だけに用いたものではないことは以下の一覧から容易に理解できる)2

上記において、ほとんどがF管であるが、1曲のみG管であることは興味をそそる。

4.バセットホルン協奏曲草稿

以上と趣を異にするのがバセットホルンのための協奏曲楽章 ト長調 K.584b(621b)の存在であろう。この曲は後に完成するクラリネット協奏曲 イ長調 K.622の草稿に位置づけられる曲であるが、何のために、また誰のために作曲され、なぜそのような経緯をたどったかについてはあまり説明されていない。まず何のため、誰のために作曲したかであるが、バセットホルンはモーツァルトの贔屓の楽器であり、シュタードラーがその名手であるから、シュタードラーのために「バセットホルン協奏曲」を作曲しようとしたと考えて間違いないであろう。G管のために手がけられていることから、上記K.437と同一機会あるいは同一時期を想定する方もおられると思うが、K.437は家庭音楽であり、オーケストラ曲ではないため別の機会のためであること、時期も楽器が同じだけで同じ頃とは言い難いため根拠にはならないと思う。

179小節まで書いたところでモーツァルトは、演奏の機会が差し迫ったものではない(あるいはなくなった)ため、その草稿をしばらく放っておくことにしたのであろうと思われる。

5.シュタードラーによるクラリネットの改造

一方、クラリネット奏者でもあるシュタードラーのクラリネットはたいへん表現力に富んでいたようで当時(1785年)の批評家は「クラリネットが人の声のように完璧に演奏するのは信じられないくらいだ」と述べている。しかし、シュタードラーはそれだけでは満足をしていなかったと見える。シュタードラー自身、宮廷楽器製作者テーオドール・ロッツと合作で技術的な改良を施している。それが今日バセットクラリネットと呼んでいるもので、その名称は、低い方へさらに長3度拡大した音域(記譜音cまで)がバセットホルンの音域と全く重なるところからとられた(ただし、バセットホルンはF管、G管であり、クラリネットのA管、B管と比較する場合にはもちろん実音が異なる)。バセットクラリネットの名付け親はクラトハヴィール(1956)である。従って「バセットクラリネット」と言う名前はモーツァルトのあずかり知らぬものであることを知っておく必要がある。モーツァルトは単に「シュタードラーの楽器」と呼んでいたはずである。

シュタードラーが自らのクラリネットをバセットホルンと同じ音域(記譜上)になるように改造し、成功したのがちょうどこの時期なのであった。モーツァルトはシュタードラーの新しいクラリネットのために次の作曲を試みている3

しかし、広く演奏会で新しい楽器とその考案者を紹介するために(恐らく要請もあって)、協奏曲を書く必要が再び生じたことは想像に難くない。そこでモーツァルトは贔屓の旧来の楽器による草稿を引っぱり出して見直したものと思われる。ト長調の1-179小節(G管のバセットホルンのために書かれた)をモーツァルトはA管のバセットクラリネットの音に(頭の中で)読み替えていき(バセットクラリネットの譜は移調楽器表記ゆえ読み替えは容易であるが、オーケストラ譜も頭の中で読み替えていった)、180小節からは(調号の変更をせず、しかし実際はイ長調で)続きを記入していった(モーツァルトの草稿は冒頭に調号を置き、各ページには省略するのが普通のため、このような複雑な事態が生じている)。現存しているのは199小節までだが、その続き部分も恐らくあったものと思われる。独奏楽器に対する次の修正がこのときに成されたものか、それとも最初の時に既に成されていたものなのかは決めがたい(インクの成分分析がこの問題を解決するであろう)。

・ 83小節の代案提示とその代案の抹消
・ 94小節の2つの代案提示
・ 95小節の代案提示
・ 97小節の代案提示

当然草稿のままでは演奏できないためモーツァルトは清書譜を別に準備したはずである。それが、K.622の自筆譜となるわけだが、紛失したこの自筆譜がシュタードラーの新しいクラリネットのために低音(バセット音)を駆使した協奏曲であったことは間違いない。出版譜(1801年)ではバセット音をオクターブ高く変更しているが、出版のすぐあとライプツィヒの新聞に「モーツァルトはこの協奏曲をc音までの低い音を出すクラリネットのために作曲したが、そのようなクラリネットはまれであるから、出版にあたり普通のクラリネットで演奏できるように音を変更してくれているのはありがたい」との評が載っていることから、少なくも初演では低音(バセット音)を駆使した演奏であったことが証明される4

遡って1791年4月26日にプラーハ国立劇場でオブリガート・バセットホルンを伴うモーツァルトのソプラノのアリア(ロンド)が演奏されている記録が残っている。ケッヒェル第6版ではこの曲にケッヒェル番号をつけていないにもかかわらず、K.581aがこの曲の草稿に当たる可能性があると述べている(K.581aはまたK.621bとも関係があるかも知れないともケッヒェル第6版は述べている)。トミスラフ・ヴォレク Tomislav Volek(1959) はこの曲をオペラ・セーリア《皇帝ティートの慈悲》K.621の第23曲とし、既にこの時にオペラは書き始められていたと主張している(新全集もこの説を取り入れている)。タイソンの用紙研究からは,このロンドのアレグロ部分だけが他の用紙と異なっていることが分かっており、この曲の早期作曲、およびこの曲からオペラが作曲開始されたことを裏付けている。バセットホルンが使われているのはヨゼーファ・ドゥーシェクの演奏会にシュタードラーが呼ばれたことを意味するのだろうか。

6.バセットホルンとバセットクラリネット

モーツァルトにとってシュタードラーの新しいクラリネットが全面的にバセットホルンに取って代わったものであったのだろうか。答えは否である。シュタードラーが改良したのはA管、B管のクラリネットであり、一方バセットホルンはG管、F管であった。両者とも同じ音域に拡張されていることは既に述べた。モーツァルトはクラリネットファミリーの低い音にこだわったが、これまでは楽器の制約から調の選択に不自由を余儀なくされていたのだった。しかし今やこの不自由さから解放されたのである。「バセット音をいかなる調の曲にも使える」モーツァルトは新たな可能性に心躍る思いだったに違いない。

しかしモーツァルトには、もう数か月しか残されていないのであった。《皇帝ティートの慈悲》K.621でB管のバセットクラリネットとF管のバセットホルンを駆使する自由を得たのもつかの間、次の曲はとうとう最後の曲になってしまった。その《レクイエム》に最愛の楽器の独特なぬくもりを際だたせることができたのは極めて象徴的、また印象的であると言わねばなるまい。


協奏曲楽章 K.584b(621b)

この曲の自筆楽譜は現在スイスのリヒェンベルク財団の所有となっており、ヴィンタートゥール市立図書館に保存されている5。12段譜表横長五線紙24ページで、199小節の総譜状の未完成曲である。独奏声部のみが通して書かれ、伴奏声部は主として第1ヴァイオリンとバスのみ記入されているが、中間声部も15小節、25小節以下、31小節以下、39小節以下、64小節以下、94小節以下、128小節以下がスケッチされている。180小節以降は後から書かれたらしく先のとがったペンが使われ、何の断りもなくイ長調に変化している。

アインシュタインはこの未完の楽曲は1789年10月から12月の間に着手されたのだろうとし、K3.584bの番号を与えたが、ケッヒェル第6版ではクラリネット協奏曲 イ長調 K.622の直前の番号K6.621bを与えている。「モーツァルトがある作品の草稿を転用する時には、その間にあまり時間を置くことがなかったのでこれら2曲は時期的に見て接近したときに成立したのだろう」と考えたためであった。しかし、アラン・タイソンのすかしの研究によりK.622よりも1〜2年早く、場合によっては1787年にまでさかのぼることができるという結論が導き出された。確かに草稿が長期間店晒しになり、思い出したように使われた例はいくつもあることが最近わかってきている(K.503,K.595など)。しかし、筆者の上述の考察から、着手がバセットクラリネットの考案よりも前のことと考えられるため、ト長調での作曲時期はK.581[89.9.29]より前、イ長調への見直しはK.622[91.10初]の直前が妥当であろう。

草稿と完成版のクラリネット協奏曲 イ長調 K.622とはどこが異なるのだろうか。NMAのバセットクラリネット版と比較して見よう。以下の点が主に異なっている。

異なるところばかりでなく、同一のところで特筆に値するところも見てみよう。

バセットホルン協奏曲楽章 ト長調 K.584b(621b)(草稿) (1-179小節)

パート設定:CH1: Corno di Bassetto in g (クラリネットで代用), CH2: Violino I, CH3: Violino II, CH4: Viole, CH5: Flauto I (音符なし), CH6: Flauto II (音符なし), CH7: Corni in g (音符なし), CH8: Violoncello, CH9: Basso
使用楽譜:Facsimile in NMA V/14/4, pp.165-175
バセットクラリネット協奏曲楽章 イ長調 K.584b(621b)(草稿) ト長調をイ長調に移調(1-179小節)+イ長調(180-199小節)

パート設定:CH1: Stadlers Klarinette in a (クラリネットで代用), CH2: Violino I, CH3: Violino II, CH4: Viole, CH5: Flauto I (音符なし), CH6: Flauto II (音符なし), CH7: Corni in a (音符なし), CH8: Violoncello, CH9: Basso
使用楽譜:Facsimile in NMA V/14/4, pp.165-176

注:
1チャールズ.H.シャーマン、T.ドーンリー・トーマス著 『ヨーハン・ミヒャエル・ハイドン (1737-1806) 年代順作品主題目録』 ペンドラゴン出版、ニューヨーク、1993年。
2かつてAMAでは「ホルンのための12の二重奏曲 K.487(496a)」 [86.7.27、ヴィーン] に楽器指定がなく高音域(三点ト音)が指定されているためバセットホルンによるものではないかとされていたが、当時の無弁ホルンでも演奏可能なことからNMAではホルンと断定している。
3クラリネット協奏曲、《皇帝ティートの慈悲》第9曲を含め5曲の同定は新全集 V/14/4 p.VIIIによる。K.581については、1809年刊のピアノ編曲譜にc音が出てくることから証明される。
4出版譜がバセット音をオクターブ高く変更していることから、シュタードラーの新しい楽器の試みは失敗し、モーツァルトが満足しなかったため最終稿でモーツァルト自身がバセット音をオクターブ高く変更したのだという可能性をオットー・クロンターラーがCD ambitus 97933で述べているが否定されよう。
5自筆譜所在地の最新情報はヴィンタートゥール市立図書館 特別コレクション部門長 ハリー・ジェルソン=シュトローバッハ氏から頂いた。感謝する。図書館のサイトには自筆譜の冒頭が掲載されている(サイトへ移動してMusikをクリック)。

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作者:野口 秀夫 Hideo Noguchi
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URL: http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k621b.htm
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(作成:1998/5/3、改訂:2001/5/12)