《魔笛》の新全集校訂者ゲルノート・グルーバーは序文の中でこの問題に触れ、アーノルト・ファイルによる1964年の研究2を引いて説明していた3。ここではファイルが自説を更に展開した1991年の論文4(この間に自筆譜の再発見があった。もっとも1964年時点でも自筆譜の写真版は参照できた)も併せて紹介し、当該曲のリズムへの理解を深めると同時に、さらに生じた疑問について考察を試みたい。
初心者に拍子を正しく理解できるように教育する場合苦労を惜しんではいけない。それに加え、しばしば先生が生徒の手を拍子に導くとすればとても役に立つであろう。次に、異なった拍子の作品を交互に演奏して聴かせ、生徒に一人だけで拍子を打たせることもさせる。その場合、拍子の区分、拍子の同一性、拍子の動きの変化を理解させる。すなわち、楽譜を見てでなく、自ら手でリズムを打ちながら、聴いた印象が与える解答を出す努力をしなければならないというのである。それでは早速実践に取りかかろう(MIDIではウッドブロックの音を重ねてリズム打ちの便宜を図ることとする。なお、パミーナの声部はクラリネットで、パパゲーノの声部はファゴットで代用する)。
表記通り6/8拍子のリズムで演奏 (♪)するとなにか間が抜けているし、ある部分では「後打ち」になっているところもあることが分かるであろう。この曲はどうやら完全な6/8拍子ではなさそうである。少なくとも始まりは3/8拍子ではないかとの見当が付く。この裏付けをとるためファイルは、18世紀のリズムの概念をハインリヒ・クリストフ・コッホの音楽事典(1802年)6から次のように引用している:
「リズム」とは「音脚(Tonfüße)」単独のことだけでなく、「拍子グループのリズム(Rhythmus der TaktgruppenあるいはTaktgruppenrhythmus)」でもあった。前者は「音脚はそこに異なった拍子のタイプが存在し、そして軽やかで明白な対比に基づく」べきであった。すなわち、作曲は拍子タイプの演奏が「明白」でそれ故何拍子の曲か聞き分けや感じ分けができるようにしなければならなかった。後者はそれ以上に重要で、「拍子グループが良いリズム対比を持ち、それが容易に理解されうる」ことであった。すなわち拍子グループは作曲に対しても演奏に対しても重要な役割を演じる。なぜならさもないと「音楽意図と表現内容」がそんなにも効力をもたらさないし、その結果、全体の楽しみが成立しなくなるからである。すなわち当該曲も完全な6/8拍子や完全な3/8拍子ではなく、何らかの拍子グループを形成しているのではないかというのである。
うわべの6/8拍子という略記譜法で3/8拍子を表す記入法を我々は今日もはや知らないが、ファイルは民族音楽における同様の例を挙げている8。では、モーツァルトはなぜ一つの作品内に二つの異なったタイプの拍子、拍子グループ形成を持ち込んだのか。ファイルは次のように分析している9。
ここでは複雑な構造の創造から統合において(従って芸術作品において)、明らかな要素が横たわっている。それは作曲者が投入し、そして作曲者が使わざるを得なかった民族音楽に由来する要素である。
モーツァルトにとって単純な3/8拍子や、そして単純な繰り返し拍子グループ形成は、あきらかに、いずれにせよ、ここで見た作品において、拍節上の拍子グループ形成を持った6/8拍子とは作曲法上異なったヒェラルキーに位置付けられている。二重唱の経過部に続く「男と女、女と男(Mann und Weib und Weib und Mann)」にて動きが3/8拍子と6/8拍子の間を揺れるように見える。そのときしかし、そこで、パートナーの一人、すなわち女王の娘パミーナが「神(Gottheit)」の言葉を目前にして、また「神に至る(reichen an die Gottheit an)」の発言の豊かな自覚において、我を忘れて音楽的にいわば突然感情を爆発させる。この瞬間に、動きは「より高い」6/8拍子においてもはや単なる単純な繰り返しではなくて拍節法に規定された拍子グループ構築法により安定化する。パパゲーノはそれに反し、3/8拍子のまま、その単純な繰り返しのまま取り残される。
パパゲーノの世界から始まったこのリートの様な二重唱は、―パミーナがその「音」でパパゲーノの方を向いたのだが!―パミーナの高い「アリア風の音」で終わる。しかし、それと共に規定しなければならない作曲上の問題の最も重要な克服方法は、「音」の変更あるいは変化よりも、むしろリズム領域の作曲法である。つまり、拍子タイプと拍子グループ構成である。この作曲作品の後ろには民族音楽における比較可能なリズム現象がずっと残される。より正しくいえば、比較可能な現象にあちこちで出会うことは事実である。
モーツァルトが曲の最後に来たとき、何かが彼を困惑させたように思われる、すなわち書きとめられた6/8拍子内で属和音から主和音終止に、それ故一小節内で強拍部分から弱拍部分へ変わる属和音から主和音への組があるからであった。既に見てきたとおり、うわべの6/8拍子は小節線を節約し「偽の」2 x 3/8拍子を書きとめ、いわば、自然であり、無害である。レーオポルトの生徒であったモーツァルトはそれを我々も学んだようにもちろん知っていた。しかし、なぜ、モーツァルトは最後になってから変更し、改訂の関係から曲の全体を書き直すことになってしまったのであろうか。その理由はただ一つ、この二重唱の終わり部分は[上述のとおり]3/8拍子ではないからである。うわべの6/8拍子の略記譜法で書かれているというより、この終止は本当の6/8拍子であり、それ故モーツァルトは別の方法[8分音符3つの削除]をとらざるをえなかったのだ。終止部の記譜を清書してみると図3の通りである(朱記部分を削除することになる)。
しかし、ファイルの結論には首肯出来ない面がある。表1〜3に草稿の記譜小節と実小節を比較する。
記譜小節(草稿) | 1 | 2 | 3 | 〜 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(草稿) | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
記譜小節(草稿) | 〜 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 〜 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(草稿) | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 |
記譜小節(草稿) | 〜 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | - | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(草稿) | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 |
表から分かるのは、草稿においてはうわべの6/8拍子と本当の6/8拍子が必ずしも同位相でないということである。すなわち実小節65-68(経過部)は記譜小節と同位相だが、実小節84-90(終止部)は記譜小節と同位相でないのである(ファイルはこのことを考慮に入れていない)。これは、3/8拍子の小節数がこの間(第2部)で奇数であることによる。従って終止部の実小節は図4の如くなる。
図4において89、90小節はむしろヨーハン・フィーリップ・キルンベルガー11の
歌いあるいは演奏し、それに加えて手や足で拍子を打つ。音配置はそれ故に、もしメロディが拍子を持っていれば、主和音は下拍(ダウンビート)の上に下される、間違いなく。という指摘に矛盾しない。ちなみに草稿を音にしてみても極端な違和感はない(♪)。したがってモーツァルトの修正には別の意味があるに違いない。
恐らくモーツァルトはずっと第1ヴァイオリンとバスを書き進めてきて、クラリネットとファゴットも部分的に記入していたが、最終小節に至って初めて、
しかし、モーツァルトはヴィオラパート以下に小節線を付加するのを思いとどまった。それは、
作品の終止音は全時間の流れの中での重要音でなければならない。それゆえ終止音は、完全終止にすべき時には、単純な拍節法においてその小節の第一音に与えられそしてその小節全体に継続するにも合致するからである。モーツァルトは最終小節に一旦付加した小節線をやめることにした。残るは記譜を実譜に一致させることである。遡って順繰りに記譜を実譜に一致させるためには半小節ずつずらしていかざるをえず、そのため最後から2つめの小節では半小節(図4における朱記の8分音符3つ)をカットせざるを得なくなったのである。その結果として決定稿の記譜小節と実小節とは表4〜6の通りの対応となる。
記譜小節(決定稿) | 0 | 1 | 2 | 3 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(決定稿) | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
記譜小節(決定稿) | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(決定稿) | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 |
記譜小節(決定稿) | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | カット | 49 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
実小節(決定稿) | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | カット | 89 |
8分音符3つを抹消し、小節線をずらすことにより、終止部は図5の如く記譜小節と実小節が一致し、4つの8分音符の最初の音を1拍目にするモーツァルトの意図がやっと実現したのである14,15,16。
蛇足ながら、表5のとおり今度は実小節65-68(経過部)が記譜小節と同位相でない。これは、現代の演奏者にとって注意が必要なところである。記譜通りの演奏(♪)は間違いで、実小節に基づく演奏(♪)が正しいことは言うまでもない。
さらにバスにおいては消した小節線よりさらに左へはみ出している!
これらは、その4分休符が小節線の抹消の後から書かれたことを意味している17。なぜなら、小節線を抹消する前には小節線に4分休符を重ねて書く理由がないからであり、小節線を抹消した後には4分休符を新しい小節の中程に坐りよく置こうとするため重なってしまうことが充分にあり得るからである。このことは開始の8分音符4つと続く8分休符2つがこの時に初めて記入されたことを強く示唆する。一方パミーナの声部には7拍目以降4分休符と8分休符が書かれていたが、この時パミーナの声部の冒頭に4分休符と8分休符を記入したために不要となり抹消されている(図1参照)。裏返せばこの作品は当初12拍目以降から音符が記入開始されていたことになる。従ってモーツァルトの最初の構想は、図6の通りであったであろう。
ここでAndantinoという表記がスコアの上方でなく、歌唱声部の五線と五線の間に書かれていることが注意を引くが、この曲が歌唱声部から書き始められたためとすれば納得ができる18。
開始部の前奏が当初ノーアイデアであったということは、歌唱部がアインシュタインの言う「リート風」19、ファイルの言う「民族音楽に由来する要素」と無関係ではないだろう。どこかから引用した(あるいはオリジナルに着想した)メロディーに後を続け展開するのは簡単でも、それに先立つ部分を付けるのは後回しにせざるを得ない、ということだったとすれば、メロディーの入手(あるいは着想)からスコア作曲までスケッチをとる時間もなかったことになる(♪)。
最終小節まで書いたモーツァルトは最後の4つの8分音符で開始部を纏めることにし、実行したのであった。図7の朱記部がこの時に書かれたものであると思われる20。
旧全集の改訂報告を編集したユリウス・リーツやファイルはモーツァルトが管のアッコードを記入し忘れたのだと言うが24、モーツァルトはクラリネットとホルンの7拍目以降にはっきりと全休符を記入している25(図1、図7参照。記入したのは小節線の変更後、すなわち作曲の最終段階においてである。パパゲーノのパートの全休符は当初から書かれていたと思われるので書き方の違いを比較できる)。だからといって、モーツァルトの残したとおり演奏すると音楽的に不可解なものとなる26(図9参照)。
この7拍の空白を台詞で埋めるという演出もあろうが27、音楽上の問題は解決しない。
一方、劇場版にモーツァルトが目を通し、クラリネットとホルンのアッコードにOKを出した可能性もないとは断言できないが、まず、それはなかったであろう。つまり、新全集が薦めるモーツァルトの自筆譜どおりの案も劇場版の案も次の理由からありえないと思われる。
フンメルの案は、楽譜が手に入っていないので確実ではないが、おそらく図10の様なものであろう(まったく同一音形の繰り返しということも考えられるが)。
しかし、これも
つまり、第6拍から第11拍まで(あるいは第5拍から第10拍まで)の計6拍分をカットした(6/8拍子表記でちょうど1小節分に相当する)ものである。ここで「無音の空白が厭なら誰もが考えつく案ではないか」との反論が出ることが当然考えられる。そのため、もう一つの短縮案も併せて検討してみよう。誰も提案しているわけではないこのダミー案は、図12のとおり第7拍から第9拍までの計3拍をカットしたものである(3/8拍子のちょうど1小節分に相当する)。
これら短縮案は「(図6の如く)モーツァルトは書き始めに最大11拍分の前奏を可能とする余裕を持たせて開始したが、結果として(図7の如く)4拍分の音符で充分となったため11拍分も必要でなくなった。しかし、(何らかの理由で)余った小節を短縮する指示をしないまま残された」という仮説(私はこの仮説を提起したい)の非常に有力な解答候補であるに違いない。
まず、3拍短縮案があり得るかどうかについて考察しよう(図7参照)。
注:
1 | Otto Jahn, translated by Pauline D. Townsend, Life of Mozart. Edwin F. Kalmus, New York, Vol. II., pp.427-432. ヤーンは《コシ・ファン・トゥッテ》第21番の四重唱、《皇帝ティートの慈悲》第19番のアリアにも同様の小節線変更があることを指摘していた。また鈴木則宏氏からはK.459の第2楽章も同様であることを指摘いただいた。感謝する。 |
2 | Arnold Feil, Mozarts Duett "Bei Männern, welche Liebe fühlen". Periodisch-metrische Fragen, in: Festschrift Walter Gerstenberg zum 60. Geburtstsg. Hrsg. Georg v. Dadelsen und Andreas Holschneider.Wolfenbüttel - Zürich 1964, pp.45-54. (アーノルト・ファイルはテュービンゲン大学教授であり新シューベルト全集編纂者でもある) |
3 | Neue Mozart-Ausgabe II, 5/19: Die Zauberflöte. vorgelegt von Gernot Gruber und Alfred Orel, Bärenreiter Kassel, Basel, Paris, London. 1970. |
4 | Arnold Feil, Zum Rhythmus der Wiener Klassiker. in:Internationaler Musikwissenschaftlicher Kongress zum Mozartjahr 1991 Baden - Wien, pp.240f. |
5 | Leopold Mozart, Versuch einer gründlichen Violinschule. 3. Aufl. Augsburg 1787, pp.30f. |
6 | Heinrich Christoph Koch, Musikalisches Lexikon. Frankfurt/Main 1802, pp.1256 ff. |
7 | Arnold Feil, 1991. op. cit. pp.246-247. |
8 | 当時、もちろん3/8拍子表記は存在しており、単独拍子であればモーツァルトも常用していた。では拍子グループを構成する場合にはなぜ拍子が変化するところに拍子記号を表記しないのであろうか。ファイルは説明していないが、恐らく次の理由であると思われる。途中に新たな拍子記号を記入する時には複縦線が伴うであろう。その場合、演奏者にリズムだけでなく、テンポの変化も許してしまう恐れが発生する。新たな拍子記号や複縦線がない場合には、拍子グループの切れ目は身体で感じ取るしかなくなるが、テンポの変化が伴わないでリズムだけが移動するという作曲者の意図を正確に伝えることができ、またそのとおり演奏者に実践させることができるからである。民族音楽にこのような例(すなわち曲の途中においてはテンポの変化でなくリズムの移動)が多い理由は不明である。 |
9 | Arnold Feil, 1991. op. cit. p.253. |
10 | Arnold Feil, 1991. op. cit. p.249. |
11 | Johann Philipp Kirnberger, Die Kunst des reinen Satzes. Berlin 1771-1779, pp.120 f. |
12 | 井上太郎氏にはこの事実を指摘頂き感謝する。 |
13 | Artikel Tact, in: Johann Georg Sulzer, Allgemeine Theorie der Schönen Künste. Leipzig 1771-74. Zitiert nach der Aufl. Leipzig 1778/79, pp.258 f. |
14 | Arnold Feil, 1964. op. cit. p.49によれば旧モーツァルト全集の改訂報告(1870)においてユリウス・リーツは、小節線をずらした理由について「曲の最後が8分音符3つ分長くなるのを好まなかった」ためと言っているとのこと。 |
15 | Meinhard von Zallinger, Tradition und Schlamperei. Bemerkungen zur Ausgabe der Zauberflöte. in: Wissenschaft und Prxis, Eine Festschrift zum 70. Geburststag von Bernhard Paumgartner. Zürich und Freiburg i. Br. 1958, p104.では小節線をずらした理由を「歌唱フレーズの終止を冒頭の小節部分に持ってこようとした」ためとしている。良い着眼点であるが説明不足が惜しまれる。下記注20も参照。 |
16 | Horst Seeger, Die Originalgestalt des Es-Dur-Duetts Pamina/Papageno in der Zauberflöte in: Beiträge zur Musikwissenschaft Jg.1963 p.66では小節線をずらした理由を「終止の基本和音の確認が長すぎるとして見直しを行い、彼のバランス感覚によりこの曲における拍子、いわゆる音調学が修正を要求した」ためとしている。 |
17 | Arnold Feil, 1964. op. cit. p.49においては「人はモーツァルトが4分休符の上に小節線を追加書きし、見直さなかったと推定するであろう。しかし、モーツァルトは(後から消されることになる小節線のうち最初の)小節線を、3/8アウフタクトのうしろの小節線を消すことなく消すということはできなかった。なぜならこの時点において彼は3/8拍子による表記を考えていたからである」とArnold Feil, 1991とは異なった見解を述べていた。 |
18 | Horst Seeger, 1963. op. cit. p.67では速度表記が歌唱声部のところに書かれていることについて「開始の和音のあと歌唱声部がほとんどこの曲をスタートさせ、歌唱声部がテンポの主役を握るというのだけがその内的理由ということでもあるまい。パミーナの冒頭小節の休符修正に関連してアンダンティーノの書きこみがなされた、すなわち『休止小節』を導入し、維持するということを決断するに際してのもっとも狭い文脈において行われたというのはありそうなことである」と後からアンダンティーノが表記されたという説をとっている。 |
19 | Alfred Einstein, MOZART His Character, His Work. Oxford University Press, New York, 1945(邦訳、アインシュタイン著・浅井真男訳『モーツァルト その人間と作品』白水社、1961年、p.641) |
20 | Meinhard von Zallinger, 1958. op. cit. p.104では「古い小節線を消し、新しい小節線を引く変更は恐らくそのときに歌唱フレーズの終止を冒頭の小節部分に持ってこようとしたためと思われる。この推測はパミーナの第17番のアリアからも確認できる。そこでは冒頭からそのように始まっている」と言っていた。 |
21 | Neue Mozart-Ausgabe II, 5/19, p.XVII. |
22 | Horst Seeger, 1963. op. cit. p.65. |
23 | Rellstab, Sammlung vorzliglicher Gesange aus Opern, die auf der deutschen Bühne gegeben worden.1793. (3/8拍子表記) |
24 | Arnold Feil, 1964. op. cit. p.54. |
25 | Horst Seeger, 1963. op. cit. p.67では「これらの休符がその意味するところの充分な意図と充分な認識を持って記されているので、管の和音が『忘れられた』という言い方はありえないのである」として管の和音なしの演奏をとっている。 |
26 | 塩山千仞著『魔笛 文明史の劇場』春秋社、1999年、p.46では、「音楽の沈黙はモーツァルトが意図したことで、突然の休止によって、これから重大な告白をすると主張しているのではなかろうか」としてブルックナーの休止まで引き合いに出しているが与せない。 |
27 | ニコラウス・アーノンクール指揮、チューリヒ歌劇場管弦楽団のCD(Teldec 2292 42716、1987年)およびハンス・グラーフ指揮(アーノンクールの代打)、ヴィーン国立オペラの来日公演(1989年11月)では休符のところにパパゲーノの台詞を入れていると森泰彦氏が報告している(音楽現代1990年1月号、p.128)。トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団のCD(Erato NUM 750 803、1982年、ライヴ)では台詞を入れずに休符としている。ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場の来日公演(1997年11月)でも休符だったとの報告(塩山、前掲書、p.48)があるが台詞が入ったかどうかは不明。 |
28 | J. J. Hummel, Klavierauszug,1793. (3/8拍子表記) |
29 | Neue Mozart-Ausgabe II, 5/19, p.XVIII, n85. なお、本稿執筆時点で新全集校訂報告は未刊である。 |
30 | Meinhard von Zallinger, 1958. op. cit. p.104. |
31 | Horst Seeger, 1963. op. cit. p.67. |
32 | Horst Seeger, 1963. op. cit. p.67でも指摘されている。 |