労基法50年と労働法制全面改悪 「労基法50年と労働法制全面改悪」(交流と資料13号)(1998年2月)p.1-p.6

                         脇田 滋(龍谷大学)

 1 はじめに

 雇用・労働分野での規制緩和を求める財界の声高な叫びを背景に、政府・労働省は、労働法制改悪の動きを急ピッチに進めている。先進資本主義国のなかでも、日本ほど「働くルール」が軽視され、その結果、サービス残業、単身赴任、リストラ、自殺過労死等々と働く者がむくわれない国はないと思われる。
 いま日本の職場の多くでは、公正な雇用を保障し、人間らしく働くためのルールの確立が強く求められている。ところが、逆に、現在、50年前に制定された労働基準法の大幅な規制緩和の方向で抜本的改定が進められようとしている。本稿では、労働法制改悪に反対し、労働者の権利を確立するために何が必要かという視点から、制定後50年を経過した労働基準法を中核とする、日本の労働者保護法の特徴を振り返り、現在の局面を捉えるべき視点を示すことにしたい。

 2 労働法改定の現局面 労働・雇用分野の徹底的な規制緩和

 1996年の労働者派遣法改定(対象業務の16から26への拡大)以降、1997年には、4月の職業安定法施行規則改定(事務・販売部門など有料職業紹介事業対象職業の大幅自由化)、6月国会での労働基準法における女子保護規定の撤廃(1999年4月施行)、大学教員任期制法、国立研究所研究員任期制法の可決・成立と規制緩和のスピードは急上昇している。
 そして7月に、労働省は、中央労働基準審議会(労働大臣の諮問機関。以下、「中基審」と略称)の論議を促進する意図をもって、異例のことに、労働基準法を大幅に見直す「試案」を公労使の関係委員に示した。その後、中基審での労使の意見は平行線のままであったが、使用者側に大幅に譲歩する形で、公益委員が労働側の意見を抑える内容で最終報告案をまとめた。結局、中基審は、1997年12月11日、伊吹文明労相へ労働基準法の見直しに関する建議を提出した。
 この建議について、全労連をはじめとする労働組合や日弁連など多くの団体が相次いで抗議声明を発表した。建議の内容だけでなく、この約半年間の審議の進め方は、最初に規制緩和の結論があり、多くの労働者や各界の意見を十分に反映するものではなかった。審議会内部でも労働側意見を抑えつけるという点できわめて異例かつ強引なものであった。。
 他方、1997年12月24日には、中央職業安定審議会民間労働力需給制度小委員会から「労働者派遣事業制度の見直しの基本方向について」報告が出され、労働者派遣事業の原則自由化の方向が示されている。

 3 労働基準法改定法案要綱の内容と問題点

 労働省は前記の中基審建議を受け、労働基準法改定要綱案を詰めてきたが、1998年1月21日、伊吹労相は、同要綱を中基審に諮問し、26日、中基審は、要綱を「おおむね妥当」とする答申を労相に提出した。労働基準法改定法案が、2月はじめの国会に提出される情勢である。
 要綱では、@契約期間の上限、A労働条件の明示、B退職時の証明、C一箇月単位の変形労働時間制、D一年単位の変形労働時間制、E一斉休憩、F時間外労働、G裁量労働、H年次有給休暇、I就業規則、J紛争の解決の援助、K法令等の周知義務などの多くの項目で、法の見直しが盛り込まれている。
 要綱のなかでもとくに、労働者の権利保障という視点から問題を含むのは、「契約期間の上限の延長」、「変形労働時間制」、「一斉休憩」、「時間外労働」「裁量労働」の各項目である。その問題点のうちいくつかを要約的に指摘することにしたい。

 (1)有期契約の導入・拡大

 要綱は、契約期間を定めるときには1年を上限としている法第14条を改め、(1)新製品・新技術・新役務の開発、科学研究に必要な専門的な知識・技術・経験で高度なものを有する労働者を新たに確保する場合、(2)事業の開始、転換、拡大、縮小・廃止のため一定期間内に完了予定の業務に必要な高度な専門的知識、技術、経験を有する労働者を新たに確保する場合、(3)60歳以上の労働者と締結する労働契約の場合、の三つの場合に限って、その契約期間の上限を3年とすることとしている。
 財界は、定年までの長期雇用慣行を改め、雇用形態の多様化・流動化を現実に進めるとともに、その障害となっている法規制の撤廃・緩和を強く求めている。契約期間の上限の延長は、まさに期間中は身分拘束され、期間終了で雇用を失う労働者を公認して雇用の流動化を促進することにねらいがある。97年には大学教員任期制法と国立研究所研究員任期制法が成立・施行されている。そこでも同様に三つの場合への導入に限定されているが、限定はきわめて抽象的で、ほとんど意味をもたない。
 この点での労基法改定は、民間労働者全体に有期雇用を広げ、さらに一般化して大きな流れにしようとするものである。(3)の60歳以上の労働者は、すでに対象業務の限定がない高齢者特例労働者派遣の対象となっており、財政危機を理由に年金受給年齢の引き上げ等も検討されているなか、高年齢労働者を安上がりの有期契約や派遣労働で働かせる意図が含まれている。
 本来、有期契約は、一定の契約期間終了後、雇用を失うものであり、本質的には「解雇の予定」(形を変えた解雇)である。労働者が長年の裁判闘争で獲得した判例法理による解雇規制、とくに、女性の差別退職制、若年定年制、思想差別、組合差別などの不当解雇、濫用的な整理解雇などを事実上復活させる危険性が生ずる。経営者に「解雇の自由」の余地を広げ、裁判での失地回復を許すことになる。

 (2)時間外労働の上限規制

 97年の労基法改定の際に、99年4月から時間外労働を年間150時間に制限していた女子保護規定を撤廃する代わりに、3年間は激変緩和措置を実施し、男女共通の時間外労働の上限規制が課題となった。この点、要綱は、労働大臣が、36協定で定める時間外労働時間の上限基準を、労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考慮して定めることができるとしている。「協定は基準に適合したものとなるようにしなければならない」として、従来、行政指導の目安にとどまっていた上限基準(年間360時間)に法的根拠をもたせるもので、使用者の努力義務よりも拘束力を強めた表現と言える。
 しかし、これでは罰則をともなった規制でないので、女子保護撤廃という重大で具体的な緩和に比して男女共通の残業規制としては貧弱すぎる。要綱の附則は、「経過措置」として、例外的に、女子保護規定撤廃にともなう激変緩和を目的に育児・家族介護を行う労働者の家庭生活を考慮して、一定期間、時間外労働を低い水準にとどめることができるとした。原則としての罰則付きの男女共通規制を採用せず、目安時間に法的根拠を与えるだけでは、現状を追認したにとどまっており、サービス残業の横行など過労死を生み出す長時間労働の深刻な状況を改善できるはずがない。結局、時間外労働規制には見るべきものがなく、次の裁量労働制の拡大によって、労働基準監督も困難になり、上限規制に法的根拠を与えるだけでは、事実上骨抜きの規制と考えられる。また、休日労働の規制もないし、要綱には割増賃金の引上げも盛り込まれていない。現行の時間外労働の割増賃金(2割5分以上、休日労働は3割5分以上)は低すぎるので、ヨーロッパ並みに5割増以上に改めるべきであるという労働側の主張は退けられている。

 (3)裁量労働制の拡大

 1987年の法改正で導入された裁量労働制は、「みなし労働時間制」の一種として、「商品・技術の研究開発」など専門的な11業務に限って認められている(第38条の2第4項)。裁量労働制は、始業・終業時間をはじめとする時間規制を事実上排除するもので、その実際的機能は、管理監督者の時間規制の適用除外(第41条)に近い。日経連をはじめ経営側は、この裁量労働制をホワイトカラー全体に及ぼすことを主張していたが、要綱は、企画、立案、調査、分析の業務にたずさわる事務系労働者に拡大することを内容としている。すでに、事務系職場では長時間労働が常態化しているが、これを追認して長時間労働でもカウントすることなしに、また、割増賃金を支払わずにすますことが、その露骨なねらいである。
 「裁量労働制」を採用する国は世界のどこにも見られない。裁量労働制は、政府や財界にとっては、週40時間制の全面施行のなかで法定労働時間の適用を事実上受けない裁量労働制適用労働者を増大させれば、統計数字だけで時短実現を進め、現実の長時間労働を隠蔽することができ、割増賃金も節約できることになる。日本の異常な長時間労働者についての国際的な非難も回避することができる「一石三鳥」の制度である。反面、労働者は、過労死を生み出す長時間労働が自己責任に転嫁され、健康・生命とともに残業手当も失うことになる。また、裁量労働制は、労働時間という法的概念をあいまいにし、時間管理を個人に委ねることで法規制や協約による集団規制を形骸化するねらいも有している。
 今回の要綱で、とくに注意する必要があるのは、裁量労働の対象範囲など具体的事項の多くを各事業場(多くは企業)での「労使委員会」での協議に委ねていることである。この労使委員会を積極的に評価する意見もあるが、労働組合との団体交渉を通じての集団的規制に代わって、この労使委員会での協議に企業内集団規制を矮小化する狙いがあることに警戒しなければならない。

 (4)変形労働時間制

 1日あたりの労働時間規制を緩める変形労働時間制は、週40時間制実施にむけて経営者の抵抗を少なくするためという口実で、87年改正で導入された労働時間弾力化措置であった。97年4月から週40時間制がほぼ全面実施されたのであるから、本来、変形労働時間制は廃止するのが当然である。
 要綱の問題点は変形労働時間制を廃止しないことである。たしかに、1年単位の変形労働時間制について現行の1日9時間、週48時間の上限規制を、1日10時間、1週52時間に緩和しようとしており、これも問題である。しかし、強調したいのは、現実に最も弊害の多い「一箇月単位の変形労働時間制」を温存している問題点である。現在、郵政職場や看護職場で深夜におよぶ長時間連続勤務の体制が採られており、健康破壊や過労死が続出している。この長時間連続勤務体制の法的根拠になっているのが、1ヵ月単位の変形労働時間制である。この制度は、1日24時間のうち休憩時間1時間を除けば23時間の連続勤務さえ容認するもので、人間の生理や生活を無視した不合理きわまりない制度であって、世界的にも例がない。1日あたりの上限を決めない点で、この制度の欠陥はきわめて大きい。
 ところが、要綱は、従来、この1ヵ月変形労働時間制を、使用者の一方的作成・変更が可能な就業規則だけで設定できるとしていたのを、労使協定によると「改善」したにとどまっている。1日あたりの上限なしのまま、制度としては依然として温存されている。長時間連続勤務の現実の深刻さを考えると、1ヵ月単位の変形労働時間制を即刻、廃止すべきであることを改めて強調しておきたい。

 4 労働基準法50年と本来の見直し課題

 (1)国際労働基準と民主的労働関係

 労働基準法は、日本国憲法第27条第2項を直接の根拠にし、社会を支える労働者の労働条件と権利の保障を求める国際的な社会的人権思想の高まりを背景にしていた。そこには戦争遂行のための総動員体制で「滅私奉公」を強制する人権無視の労務管理を否定する思想があった。当時の国際労働基準や社会的人権の理念を反映し、労働面で平和的・民主的な社会関係を形成することを目的としていた。その後50年間に国際労働機関(ILO)は、100近い条約・勧告を採択し、EU諸国でも高度な労働基準や新たな内容の法規制を形成してきた。
 日本も、国際労働基準の発展を無視してはならない。国際人権規約をはじめ労働に関する国際規範の遵守が基本とされるべきである。労働基準法を見直す以上、ILOやヨーロッパ等の先進資本主義諸国における労働者権の発展を踏まえるべきである。政府・財界の労働分野での規制緩和論は、雇用の流動化による経済構造改革を優先した一面的なもので、50年前の水準からも後退した日本の働くルールの劣悪かつ貧弱な現実を無視している。
 ドイツ、フランス、イタリアでは全国的労働協約によって週30時間台の労働時間を実現したり、目指したりしているのが現実である。これと比較して日本の現実はあまりにも遅れている。

 (2)自主的集団的規制と労働基準法

 労働基準法は、本来、未組織労働者を対象に、労働組合の団結権行使を前提にした集団的自主的規制の適用を除外される労働者に最低基準を保障する補完的な法律である。「協約なければ労働なし」が欧米労働者の常識である。労働条件の決定は、労働組合の団結力と争議行為などの実力行使を背景にした労働協約によることが当然の前提である。
 日本でも、労基法が制定された1947年頃には、労働組合組織率は50%を超え、史上最高の数字を示していた。まだ労働組合の力は弱く、労基法の基準を上回る労働協約は少なかったが、将来的には団結力を背景にして労働条件の改善を進めることが前提となっていた。
 ヨーロッパ各国では、産業別協約による最低労働基準を未組織を含むすべての労働者に適用する労働慣行が行き渡っている。そして、この50年間に協約で高められた基準を法制化してきた。ところが、日本では、多くの労働組合が企業別組織のままで労働協約を未組織労働者に拡張適用する慣行がほとんど形成されていない。
 97年12月に労働省が発表した「平成9年労働組合基礎調査結果速報」では、労働組合員数は約1228万5000人で3年続きで前年を下回り、組合組織率は22・6%と76年から22年連続の低下で史上最低を記録した。日本では、他の先進資本主義諸国のなかでも飛び抜けて自主的集団的規制が貧弱である。OECD調査でも、協約が適用されている労働者の比率は、各国のなかで日本だけが組合員よりも少なくなっているので、協約適用労働者も年々、急激に減少していると推測できる。日本では、労働協約の適用を受けない労働者が8割にも及び、労基法は協約の補完ではない。むしろ、企業を超えた「唯一の」最低労働基準規制となっている。規制緩和のもつ影響が日本とヨーロッパ諸国では決定的に異なるのである。
 要綱は、労働組合による集団的交渉・集団的規制を助長するものではない。成果主義賃金、裁量労働制など賃金や労働時間を個人単位にバラバラにするという経営者の意向を法的に支えるものである。そこには、同一労働同一賃金の原則をはじめ、企業間格差、雇用形態による格差など日本的労働慣行のマイナス部分を克服するという問題意識はまったく見られない。
 むしろ、労基法にだけ残されていた超企業的規制が後退する。そこでは、法律による規制や労働協約による集団的・一律的な規制を縮減させて労働条件の個別的決定が強調される。労働法の支えを失って孤立した労働者は、組合による規制から離れて、強大な企業と賃金などの労働条件について個別交渉することが予定されている。労働条件に不満があれば、有期契約は更新されず、雇用の継続を失うだけである。

 (3)労使対等に反する就業規則法制

 日本の労基法の最大の欠陥は、使用者の一方的な作成による就業規則制度(89条以下)である。この就業規則法制は、労働条件の労使対等決定の原則に明らかに違反するものとして、制度発足以来批判され続けてきた。
 他方、この50年間に、ドイツ、フランス、イタリアをはじめ先進資本主義諸国では、労働組合や従業員代表による共同決定や集団規制を前提にした事業所での労働条件規制がめざましく発展した。これと比べて、日本の現状は、依然として使用者の単独決定の就業規則が幅を利かしており、専制的な人事権の根拠にもなっている。余りにも時代遅れのままである。労基法の見直しという以上、この時代遅れの就業規則制度を根本的に改めることが必要である。
 ところが、要綱は、この就業規則について、記載すべき事項の範囲を拡大するなど部分的な改善にとどめており、使用者による一方的作成・変更の根幹を変更しようとしていない。使用者による一方的作成・変更を前提にする以上、記載事項の拡大も逆に労働者を拘束するといったマイナスさえ指摘できる。労使の集団的自治による労働条件規制を拡張すること、あるいは、ドイツのように事業場に属するすべての労働者を民主的に代表する特別の従業員代表との共同決定などの仕組みが重要である。

 (4)人間らしく働ける労働時間規制

 労働基準法は、50年前に、1日8時間労働を原則にした労働時間規制を導入した。この1日8時間労働の原則は、人間らしい生活をするための、労働時間の最低限度を示すものであり、ILO1号条約(1919年)で確認されている。日本は、男子労働者の残業時間を法律で規制していないため、80年たった現在も1号条約をはじめ労働時間関連条約を一つも批准できていない。日本の長時間労働は国際的に強く非難されている。1年2000時間をはるかに超える異常な長時間労働、年次有給休暇の未消化、サービス残業や過労死に至る非人間的な労働環境が広がっている。
 政府や財界、労働時間短縮を真剣に進める意図をもっていない。多様な「弾力化」措置の大幅導入の結果、緩やか過ぎる日本の労働時間規制を世界に例のないほどに柔軟なものである。弾力化措置は、週40時間制全面実施の現在、廃止すべきである。ところが、政府・財界は、依然として弾力化措置に固執し、その必要性を強調し、規制緩和論にすり替えて変形労働時間制の一層の拡大化を要望してきた。日経連は、業務の繁閑に応じてより弾力的に労働時間設定を行えば、企業が活性化し、時間短縮や休日増に資することになると、労働者の生活を無視して、1日8時間労働規定(第32条)そのものを削除することさえ要望している。中基審会長の花見忠氏は、労働基準法は工場労働者を対象に制定されたが、現在ではホワイトカラーが中心で前提が異なっているので規制の見直しが必要であると指摘する。
 しかし、「1日8時間規定」は、労働8時間、睡眠8時間、生活8時間という人間らしい労働時間のあり方を示したものであって、むしろ、サービス残業を強制され、家庭生活を無視して過労死予備軍とも言えるほど滅私奉公的に働くホワイトカラー労働者にこそ1日あたりの時間規制が必要である。要綱は、変形労働時間を維持し、裁量労働制の拡大をもちこもうとしているが、そこにはホワイトカラーの長時間労働の現実を温存する意図しか見出せない。
 一方では、ギリギリまでの人員削減が進み、他方では、人不足のためにやむなく長時間労働をせざるを得ないのが職場の実情である。真に時間短縮を実現するためには、労働者に過度な負担がかからないように、人員削減を許さないことが最大の前提である。

 (5)常用雇用の原則

 労働基準法は、均等待遇の要請から差別的解雇を禁止するが、ドイツでは使用者からの解雇には正当な理由が必要であるとする解雇制限法(1951年解約告知法)が制定された。日本では、判例法理によって同様に解雇には合理的な理由が必要とされ、しかも、無効な解雇については原職復帰を命ずることが一般的なものとなった。その後、60年代から70年代にかけて、解雇の自由が絶対であったヨーロッパ各国で、特別法として解雇制限法が制定され、さらに期間の定めのある雇用契約(有期契約あるいは短期契約)を判例や特別立法で厳しく制限することになり、「常用雇用の原則」が確立している。
 要綱の「契約期間の上限」という曖昧な表題に幻惑されてはならない。常用雇用の原則を根底から崩していく点で、今回の有期契約の導入は、使用者による「解雇の自由」復活に大きく道をひらくことになる。その意味で日本の労働法体系にとって歴史的にも重大な転換の意味をもっている。

 おわりに

 筆者は、毎日のように電子メールで派遣労働者からの悩み相談に回答しているが、そのなかで痛感するのは、派遣労働者には労働法が事実上存在しないということである。次の派遣先を紹介してもらうために労基法の各種権利を請求することも難しく、また、孤立しているので労働組合の結成や加入も困難であり、労働協約の拡張適用も受けていない。職場のなかでのいじめやセクハラや身分的とも言える不合理な差別の事例も少なくない。
 今回の労基法改定や労働者派遣法の一層の規制緩和が実現すれば、労働者全体が派遣労働者のように孤立し、無権利になる危険性がある。その危険なねらいを打ち砕くには、多くの労働者が問題点について深く洞察すること、労働組合が、その存在をかけて労働法制改悪反対に取り組み、多様な労働者や労働組合の間での連帯を思い切って広げることしかないと思われる。


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