2000年2月、龍谷大学のゼミナール卒業生論集に掲載した論稿。
雇用崩壊・不安定化と社会保障法の課題
                          脇田 滋

1 生活の激変

 経済的低迷から雇用情勢が悪化し、政策的に「雇用の流動化」が進められるなかで、雇用と社会保障は大きな激動期を迎えようとしている。
 雇用情勢は最悪の数字を記録し続けている。総務庁労働力調査(2000年2月1日発表)では、1999年平均の完全失業率は4.7%、完全失業者は317万人となり、53年の調査開始以来、最悪の数字を記録した。一方では、企業のリストラ、倒産などによる非自発的失業者が102万人と初めて100万人を超え、他方では、常用雇用が60万人も減少し、多様な非正規雇用形態が増大し、今の傾向が続けば、女性の場合、数年のうちに非正規雇用が正規雇用を上回ると予想できるほどである。
 1960年代以降、「完全雇用」状態が続き、失業は過去のものと思われた。大学の新規卒業者は、ほとんど例外なしに就職することができるという「常識」ができ上がっていた。
 しかし、事態は激変している。労働省と文部省の最近の調査では、大学生の就職内定率は74.5%(前年同期比5.8ポイント減。女性はとくに厳しく68.8%)という。大学を出ても就職ができないという状況は、数年前には夢想だにされなかった。大企業、大銀行の合併も相次ぎ、数万人規模のリストラが平気で公表されている。大企業のエリート・サラリーマンが余剰人員とされ、解雇の憂き目にあって、公共職業安定所等で求職のために列をなしている。厚生省は昨年末、ホームレスの数を全国で約2万人と発表したが、実際の急増ぶりからは3万人を超えていると推測されている。
 1998年1年間の全国の自殺者は3万2863人(前年比35%増)と過去最多を記録した(警察庁「自殺概要」)。不況やリストラを反映した「経済・生活問題」を理由とする自殺は70%増の6058人に上っている。本人の意思が介在した自殺は、「労働災害」と認められることはきわめて例外的な場合に限られていた。しかし、「過労自殺」の余りの増加の結果、労働省は世論の圧力に応える形で、1999年9月、「精神障害等の労災認定」基準」を緩和することになった。

 2 雇用の激変

 この雇用の激変とも言える状況の進展は、社会保障の将来にも暗い影を投げかけている。
 正規雇用の場合には、厚生年金保険と健康保険に加入するが、雇用形態の多様化が進むなか、非正規雇用の場合に、社会保険(厚生年金保険や健康保険)の適用がされてない例が増えている。派遣労働者については、会計検査院の1996年度の検査では、55億円の社会保険料徴収漏れが見つかった。最近では、「フリーランサー」として社会保険適用のない労働者が増えている。非正規雇用とは社会保険の適用がない労働者と言っても過言でない。
 その結果、公的年金制度は、いま危機的状況にある。リストラの影響もあって厚生年金から国民年金に移行する人が前年度より4.3%増えている。しかも、その国民年金の納付率は76.6%にしかならない。保険料免除も19.9%と過去最高で5人に1人となり、「空洞化」が一層進んでいる。同様に、医療保険でも、退職して健康保険から国民健康保険(以下、国保)へ移る人や、倒産・リストラで失業した若い層の加入が目立っている。その結果、国保の被保険者が急増し、1999年6月末の国保被保険者は、1年前に比べて2.7%増えて、過去最高の水準になっている。給付水準や財政基盤の点で劣悪な国民年金や国民健康保険の比重が増しているし、厚生年金保険や健康保険も公費援助減や不況のなか財政的に苦しい状況になっている。
 新派遣法によって、2000年12月からは、「紹介予定派遣」制度が導入される。1年間は派遣社員として、希望の就職先企業で働いてから、正社員としての採用につなげる制度である。大学卒でも1年間は、派遣で働くことになり、そのまま一生「非正規雇用」で終わる労働者も増えていくことが予想される。
 雇用保険は、完全雇用時代の雇用のミスマッチを念頭に置いた制度のままであり、構造的長期的失業には対応できず、不十分さを露呈している。EU諸国と比べて、受給期間が極端に短く、期間が終わって以降の保障がない。規制緩和論者は、医療や年金が後退しても、生活保護制度が最後の砦として国民生活を守るセーフティネットであることを共通して指摘している。しかし、雇用保険と生活保護は、両者に関連やつながりがないし、生活保護は、給付を抑制する「適正化」政策の結果、稼働能力があるだけで受給を認めないという運用が行われており、不況にもかかわらず、逆に受給者が減少している。

 3 社会保障の危機

 社会保障の「改革」の中心的な狙いは、主に財政難を乗り切るために、給付水準を切り下げ、国民に負担を拡大する点にある。しかし、重要なのは、それだけでなく、社会保障の意義そのものを低め、「質的な転換」(変質)を生み出そうとする動向が強まっていることである。端的に言えば、社会的弱者への援助を削減し、とくに企業にとっての「負担」(余剰人員など)をなくして、最大限の効率追求を可能にすることにある。
 バブル崩壊による経済破綻と連動した国家財政の絶望的なまでの危機的状況が進行している。この財政危機を理由に、社会的に弱い立場にある人たち(高齢者、障害者、子ども)への公的な生活保障を削減させる動きが強まっている。
 21世紀を迎えて、公的な生活保障制度として社会保障が崩壊の危機に瀕している。規制緩和政策が進められ、従来の各種の公的保障を縮小したり、極端な場合には「リセットする」(ゼロに戻す)動きにさえつながりかねない。社会保障や社会福祉の基礎構造改革が論議されているが、その基調にあるのは、国による公的な生活保障責任を後退させ、「個人の生活自己責任」を強調することである。
 社会保障・社会福祉の原点が改めて問われている。「貧困は、個人の怠惰が原因か、社会の矛盾が原因か?」、そして、「貧困の克服は、個人の自己責任によるべきか、社会の責任か、とりわけ国の公的責任によるべきか?」という、100年前に問われた根本的問題が、再度、浮かびあがっている。
 個人の自己責任を強調する規制緩和は、この社会保障の前提を根底から覆そうとしているのだろうか?

 4 パラダイムの転換

 規制緩和論者がモデルにしているアメリカでは、1980年代以降の20年間に富裕層が33%も所得を増やしたのに対して、貧困層は逆に6%も減少させ、貧富の格差がますます大きくなっている。国民健康保険、公的年金、最低賃金制などの未整備や労働組合の組織率の低下など、社会保障を支える制度や主体が弱体化したことが、格差拡大の大きな理由と考えられる。
 アメリカ経済は好調だとされるが、バブルで何時破裂するか懸念されている。日本がアメリカに近づくのはあまりに危険が大きい。
 短期的な視野ではなく、社会保障の長期的な発展を目指すべきである。アメリカは、貧富の格差や社会の分裂が進み、銃規制に象徴される社会問題に苦しんでいる。日本では、戦後社会保障制度が形成され、社会の重要な基盤として機能してきた。経済の回復のためにも、雇用や福祉の充実が有効である。真のセーフティネットを確立することが経済を活性化することにつながることが多くの論者によって指摘されている。
 20年来の「規制緩和」「改革」の呪縛から逃れて、「パラダイム」を正しく転換することが必要な段階に達していると思う。