2000年11月11日 合同ゼミ

文責 金沢大学 椎野徳子

 

DVと社会保障制度

 

 

一、はじめに

わが国の社会制度には、世帯に着目して個人を把握する考え方をとるため、結果的に男女に中立的に機能していないものもある。たとえば、配偶者にかかる税制、国民年金制度・介護保険制度・医療保険制度における被扶養配偶者や遺族年金の在り方、健康保険制度の世帯単位主義など、これらの制度は『夫が働いて妻子を養う』という性別役割分業家族を前提として作られている。

このことは、今後多様なライフスタイルを個人の選択によって決定していこうとする女性一般にとって障害となることはもとより、このことがDVを温存させる要因の一つとなっている。

また、生活保護や児童扶養手当など、DVの被害に遭い無一文で家を飛び出した女性に、給付されるのが相当であろうと考えられるこれらの社会保障制度にも問題点がある。

 

二、諸制度の問題点

(1)税制

 わが国の税制は、それぞれ個人の所得に課税される個人単位方式を原則としているが、税金の控除は世帯単位となっているので、事実上、税制は世帯単位主義といえる。たとえば、妻の収入が一定額以下ならば、夫の所得から控除して夫の税金を安くするしくみである配偶者控除がある。

 だから、妻と夫の所得と課税額を合算して、世帯として損をしない程度で、妻はどれだけ稼ぐかを決定する事になる。既婚女性にパートタイマーが多いのはこのためである。

 

(2)国民年金・介護保険・医療保険・遺族年金

 1985年の国民年金法改正により、サラリーマンの扶養家族で年収130万円未満の妻は、保険料を自己負担しなくても年金が受け取れる事になった。

 医療保険についても専業主婦には同様の措置がとられている。また、介護保険法でも、サラリーマンの妻など被用者保険の被扶養者は保険料を直接負担しなくてもすむことになっている。

 さらに遺族年金においても専業主婦が優遇されており、働きつづけてきた女性よりも遺族年金給付額が多くなる場合もある。

 

(3)健康保険制度

 健康保険法は、被保険者の「自己の故意の犯罪行為」による事故には保険給付は行わないと規定している(60条)。この規定の誤解釈により、実務上、被保険者である夫の暴力により妻がけがをしても、夫の自傷行為とみなされ保険給付が行われない場合がある。このことは、妻は夫の一部であるという夫婦一体観が支配している事の証明である。

 また、健康保険において被扶養者は、もともと被保険者ではなく「家族給付」の対象にすぎないので、自分の保険証をもてない。国民健康保険においても、被扶養の妻は被保険者になるが、保険証は世帯に1枚しかもらえない。このことが、保険証を持たずに家を飛び出した場合、医師の治療を受ける際に困難を生じさせ、また、新しく保険証を作ろうとしても、そのことにより自分の居場所が夫に知られる危険性を生じさせている。

 

(4)生活保護

 離婚する事と生活保護を受ける事は、基本的に別の問題なので、離婚が成立していなくても、夫との生計が別であれば、母子だけで生活保護を受ける事ができる。しかし、生活保護のような国民の税金で賄われる公的扶助は、民法上の扶養義務者がいれば、その私的扶養義務が優先するという「私的扶養優先の原則」がある。そして、「扶養義務照会」の結果、夫に夫自身の最低生活費を上回る収入があれば、夫に請求をするようにいわれる。ただし、暴力などの事情を福祉事務所に伝えれば配慮してもらえる。

離婚した場合も、父としての子への扶養義務があることを理由に別れた夫の扶養義務履行を求める政策を強化している。1987年札幌における母子家庭の母親の餓死事件は、離婚した夫に扶養義務があるとして生活保護申請を拒否した結果起きたものである。

 

(5)児童扶養手当

 母子家庭に支給される手当てであり、実際母子家庭の所得に占める児童扶養手当の割合は高い(1995年度、全国で60万3534人)。離婚が成立していなくても、また住民票を実際の住所に移せなくても受給できる場合がある。しかし、「父が引き続き1年以上遺棄している児童」という受給要件があるので(児童扶養手当法4条1項5号、児童扶養手当法施行令1条の2第1号)DVの被害から逃れてきたばかりの経済的に一番困難な時期には支給されない。

 

、「結婚」制度

 以上に挙げた社会制度の問題点の根源には、「結婚」制度とその背後にいまだ潜在的に定着している「家」制度があるのではないか。

 私たちは普通に「結婚」という制度を受け入れているが(最近ではそうでも無い人も多いが)、それは所詮人間が作った「制度」である。つまり、「制度」の裏側には必ず、それを作った人間の価値観が含まれている事は自明の事であり、そして私たちが現在受け入れている「結婚」制度は男性社会の中で男性によって作られてきたものである。ただ、「結婚」は大昔からあるものであるし、日本に限らず世界中にあるものなので、「結婚」自体に疑問を持つ事はなかなか難しい事かもしれない。しかし、「結婚」と「結婚」制度は別のものであって、混同してはならないと思う。

 ここで言いたいのは、この「結婚」制度の抜本的見直し、そして改正が必要であるといことである。民法の家族法の改正は以前から議論されてはいるが、難航を示している。しかし、この問題が解決出来なければ、いくらDVに対応する法律や仕組みを新たに作ったところで、現行社会制度同様、絵に描いた餅になるのではないか。

 この後に、家族法や戸籍制度の問題点について議論を進めたいのだが、今回は「虐待」の議論からかけ離れていく恐れがあるので自粛することにする(今後興味のある方は一緒に研究しましょう)。 

 

四、おわりに

以上に述べた社会制度の問題点は、DVの被害にあった女性のみならず、全ての女性に関わる問題であって、その根は非常に深いものである。主婦であれ、働く女性であれ、その置かれている状況によって問題の捉え方は異なっていても、共通する事は「選択肢のなさ」であり、それを助長しているのが現行社会制度に他ならない。そして、このことこそDVが存在する根本的な要因であると思う。

それではその社会制度を改変していこうとした時、たとえば、年金制度の第3号被保険者に対する優遇措置の項目を単に排除すればいいといった問題ではない。単に排除したのでは、今まで第3号被保険者となっていた女性はその後どうすればいいのか。保険料を支払う経済的能力も無く、では社会に出ようと思っても受け皿が無い。結局、夫が妻の保険料を負担する事になるのだろうが、そのことは家計に大きな負担を与えるだろうし(大学生の子供がいれば尚更である)、第1号被保険者の配偶者や第2号被保険者となっている配偶者との均等は図れても、女性の独立へは直接つながらないのではないか。また、年金制度改正の際にその項目を排除する案もあったが、結局世の多くの主婦の反対により見送られたことがあった。このことは、男性のみならず女性自身の意識が高まっていない事を表している。結局、その社会制度の成立の土台となっている社会そのものの改変が必要なのである。

  社会制度とは、その言葉の通り社会をそのまま反映しているもので、いくら憲法で人権尊重や平等が謳われていても、社会の中身が変化をしなくては、その根本的な部分は変わらないものである。もし、意識の成熟を待たずに現行の制度を改正するのであれば、それによるしわ寄せへの措置も同時になされなくてはならない。しかし、DVの防止、被害者の救済という緊急を要する重要課題に取り組んでいくうえで、社会制度の改正は必要不可欠であり、最優先に対処すべきものである。

 制度の改正が先か、意識改革が先か。

また、DVは犯罪であるという事を前提として、その犯罪被害者に対応する社会保障法とは、いかなるものか(その前に「犯罪」であるという意識改革が必要だが)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<参考文献>

 

・ 『ドメスティック・バイオレンス』 「夫(恋人)からの暴力」調査研究所 有斐閣選書 1998年

     『法女性学へのすすめ』 山下泰子・戒能民江・神尾真知子・植野妙実子 有斐閣選書 2000年

     『男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方 答申』 男女共同参画審議会 2000年9月26日

     『社会保障法』 西原道雄 有斐閣 1998年

     『プリメール社会保障法』 山田省三 八千代出版 1998年

     『裁判の女性学』 福島瑞穂 有斐閣選書 1997年