ホームヘルパー訴訟を支える会ニュース

88歳の願いニュース 4号 (1997.1.29)

  発行:ホームヘルパー派遣訴訟を支える会事務局
     〒556 大阪市浪速区戎本町1−9−19
         TEL 06-633-7621
         FAX 06-633-0494
         弁護士 青木佳史


【公判報告】

第4回口頭弁論のあらまし

 1996年12月24日午前10時から第4回の口頭弁論が開かれました。年末の何かと忙しい時期(クリスマス・イヴ)ということもあってか、傍聴席の人はいつもより2割ぐらい少ない感じでしたが、それでも全体(約100席)の6割は埋まりました。
 この日、
被告大阪市は準備書面を提出しました。前回(10月29日)原告側が行った大阪市の高齢者保健福祉計画への批判に対する反論が中心で、その要旨は次のとおりです(なお、いつものように大阪市側は口頭での弁論は行いませんでした)。
 (1)財政的制約による裁量を認めなければすべての市町村の高齢者福祉行政は直ちに破綻してしまう。
 (2)公的介護保険法案が国会に提出されているのも、一般財源に頼る現在の方式ではどうしても財政的制約が大きくなる限界があるからであり、高齢者福祉が財政的制約を受けることは当然の前提となっている。
 (3)大阪市は「計画」策定にあたっては在宅ねたきり高齢者全員を対象とする「ねたきり高齢者実態調査」を行っており、「抽出調査すら行っていない」という原告の批判はあたらない。
 (4)高齢者のいる世帯の介護力の高・低の区分は決して個別の事情を無視していない。
 (5)「ホームヘルプサービスを利用できる日が週3日に限定されている」ことはない。それはモデルケースでありそれ以外のパターンを認めない趣旨ではない。
 (6)「計画」はホームヘルプサービスの利用者全員がショートステイを年間6週間利用することを前提にホームヘルプサービスの目標量を算定しているが、個々の利用者にホームヘルプサービスとショートステイの選択を認めない趣旨ではない。
 (7)対象者の42,1パーセントがホームヘルプサービスを利用するという、「必要度」は、今後ホームヘルプサービスに対する認知度が高まっていくことを十分考慮したうえで決定されたものである。
 (8)大阪市ホームヘルプ協会の非常勤ヘルパーの活動を常勤ヘルパーの人数に換算すると「71人」になる。
 (9)平成7年度末のホームヘルパー総数(常勤換算後)は1395人であり、年度目標数1333人を達成している。
 (10)したがって被告大阪市は適正な計画にしたがってホームヘルパーの増員を図っており裁量権の逸脱濫用はなく違法ではない。

 これに対し
原告側は、原告の介護実態調査記録と準備書面(3)を提出し、また、被告がいまだに明らかにしない派遣回数・派遣時間別の派遣実績等についてすべて明らかにするよう重ねて求めました。
 原告の準備書面(3)は、「第1 本件変更に至る経緯に関する被告の主張に対する反論」「第2 医療記録等にみる原告の要介護状態の推移」「第3 医療記録等にみる長男の身体状況の推移」「第4 ヘルパー巡回日誌にみる原告と長男の心身の状況の推移」の4つ部分からできています。

 「第1 本件変更に至る経緯に関する被告の主張に対する反論」では、
 (1)平成8年1月の派遣変更以前も必要に応じて排泄や衣類の着脱等の介護サービスを行っていたという被告の主張は誤りであること
 (2)訪問看護サービスは医療行為が中心で時間も短いために時折足浴・清拭・散歩・爪切りが行なわれていた程度であり、食事・排泄介助はまったく行なわれなかったこと
 (3)大阪市では集団的ケース検討が行なわれておらず、コーディネーターが独断で決定している。平成8年7月に原告が肺炎を起こし長期にわたり衰弱したことを生活保護ケースワーカーは9月になって訪問してようやく知ったことに示されるように、福祉事務所における関係者の情報交換はずさんであったこと
 (4)このようなずさんな体制のもとで、原告について「サービスの内容等について特段考慮すべき変化はみとめられ」ないとし、長男の健康状態についても「介護能力が急激に低下したことを認めるような事情もなく推移している」とする誤った評価がまかりとおっていたこと
 (5)コーディネーターは、長男による原告の介護が限界を超えていることを長男自身の訴えやヘルパー・保健所・医師会などからの情報によって十分認識していたにもかかわらずあえて無視し続け、さらに見るに見かねたヘルパーが調整に動いたのに対し「あまり動かない方がこのケースに関しては良いと思われる」として制止さえしたこと、などを述べました。

 「第2 医療記録等にみる原告の要介護状態の推移」「第3 医療記録等にみる5年10月の派遣再開決定以降、本件処分時及び平成8年4月1日の派遣回数変更時においても変わりなかった」との被告の主張が何らの根拠もない誤りであることを明らかにしました。
 「第4 ヘルパー巡回日誌にみる原告と長男の心身の状況の推移」では、平成5年4月から平成8年3月までの3年間のヘルパー巡回日誌にあらわれた、ヘルパーの目から見た、あるいは原告や長男からヘルパーに対する訴えとしての、原告の腰痛・痰の分泌・嚥下障害・発熱・下痢等と長男の介護疲れによる胃痛や腰痛などの痛々しい事実の記載を逐一取り上げて、このように被告はヘルパー巡回日誌による情報収集によってだけでも、十分に長男による原告の介護が限界を超えており、ホームヘルプサービスの派遣回数・派遣時間・身体介護サービスへの拡大が必要となっていることを認識していたにもかかわらず、何らの措置もとらず放置し続けたこと、このような放置の原因は原告のために正当な権利主張を行う長男に対する偏見(わがまま、あつかましい等)であり、偏見を生む背景には「福祉サービスは権利ではなく行政の裁量である」とする時代錯誤の恩恵的福祉観であることを指摘し批判しました。裁判長は、被告に対し、求釈明について再度検討するように求めました。

  原告側は、最後に、検証の実施(裁判官が原告宅へ行き実情を見ること)を求めて次回までに裁判官に面会すること、次回弁論では証人の申請を行うことを述べて閉廷しました。
                                                       弁護士 阪田健夫

【傍聴記】

大阪府立大学大学院社会福祉研究科院生

 こんにちは。早速ですが、みなさん「社会福祉」という言葉を知っていますか。近頃では「社会福祉」という言葉はあちらこちらで言われていますが、それはホームヘルプや老人ホーム等の福祉サービスのことを指すのでしょうか、それとも国の生活保障の責任のことを指すのでしょうか。
 1996年12月24日、世間がクリスマス・イヴで浮かれているなか、ホームヘルパー派遣訴訟の第4回裁判が行われました。裁判とその後の報告集会には、今回も多くの参加者が集まり、裁判の様子を見守ると共にこの訴訟をめぐって様々な意見交換が行われました。
 参加者の顔ぶれは非常にバラエティーに富んでおり、障害を持ちヘルパーを利用している方、実際に障害者である妻の介護をする夫、近い将来介護者になるであろう職業を持つ50代の女性、パワーあふれる高齢者団体のメンバー、2年間待ってやっと仕事にありついたという某市の登録ホームヘルパー、保健福祉サービスの決定機関である福祉事務所職員、マスコミ関係者、大学教員、学生等、まるで社会の一部分をそのまま取り出してきたような多様さです。
 しかし、ここに集まった私たちには少なくとも二つの共通点があります。それは何でしょうか。一つは、動機は何であれ、「ホームヘルパー派遣訴訟」について関心があるということでしょう。もう一つは、この訴訟を通して福祉サービスの現状について、地方自治体のあり方について、生きる権利について、何かを考えているということでしょうか。
 今回の報告集会で田中弁護士団長が「人権を守ること。それは法廷のみでなく、そこにこの会の意味がある。」といった内容のことを言われました。この言葉に三つめの共通点があるような気がします。報告集会、「支える会」に集まった私たち自身に何かできることがあるのではないか、ということです。もちろん、実際の関わり方は多岐に渡るでしょうが、このような裁判を知り、支え、考える者として、少しでも社会へ呼びかけていくことが必要であり、可能であると思います。例えば、自分の周りの少しでも多くの人に、この訴訟について知らせることであっても、社会へ呼びかける小さな一歩であるでしょう。そうすることによって、私たちは「社会福祉」という言葉に意味を持たせることができるのではないでしょうか。制度や法律といったものが、私たちの生活を決めるのではなく、私たちが制度や法律を決めるのです。最後に、もう一度「社会福祉」という言葉に戻りますが、この訴訟と「支える会」、そしてそこから動き出した私たちの取り組みこそが、「社会福祉」を創っていくものであると期待したいし、そのものではないでしょうか。


【傍聴記】
仏教大学社会学部社会福祉学科二回生

 僕は、社会福祉学科に入学して二年になるが、あるきっかけで八ヶ月前から週に1回泊まりで障害者の介護を有償ボランティアという形で行っている。そういったこともあって、この訴訟の話を普段からお世話になっている先輩から聞いて大変興味を持ち、是非傍聴してみたいと思って行ったのがこの第四回公判である。
 裁判を傍聴するのは初めての経験で、少し緊張の面持ちであったのだが、開廷すると、原告がとても人間らしい生活をおくれていないことや、それに対する被告側の見解など、いろいろと考えさせられることがたくさんあった。やはり行政を相手にした訴訟ということもあって、矛盾や憤りを感じることが多々あった。閉廷後の弁護団の報告会では、いろんな人の話が聞け、福祉事務所の専門職性の問題や、福祉労働者の労働条件の問題など、この訴訟に関連した日本の福祉問題に対する率直な意見が飛び出し、誰しもそう思っているのだと思い、このままの福祉体制では、とても人間らしい生活の追求などできないことだと痛感した。しかし、何を言っても我々の国であるのだから、国民の手で、納得のいかないことには「声」をあげ、この日本を住みよい国にしていかねばならないと感じさせられた裁判であった。


【次回公判のお知らせ】
1997年2月26日(水)10:00〜
大阪地裁  202号法廷
公判終了後、弁護士会館にて集会開催

【編集員の近況】
K先生は、ビスマルクの呪縛がとけず。
A弁護士は、?????
S弁護士は、某編集員宅までFDを届ける勤勉さを見せる。
T弁護士へ、北欧の社会福祉視察の報告はどうなったのですか?
Mサンは、就職が決まりました。おめでとう。
Tサンは、先日ホームのおじいちゃんが亡くなってショックを受け、スキーで荒れる。、Hサンは、やっぱり貧乏だった。


このホームページは、脇田 滋が責任をもっています。E-mail:MAH01517@niftyserve.or.jp (なお、写真・資料などのバイナリーファイルはRB1S-WKT@asahi-net.or.jpへお願いします。)

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