97年派遣選考(2)




 97年6月10日。近くの病院で予約して健康診断を受ける。通常であれば2万円のところを、大腸検査や胃検診(年齢によっては省くことができる)を除外してもらい、1万円で話をつける。少々コレステロール値は高かったものの、Aの判定をもらう。

 6月16日。府の選考合格者が集められ、文部省の選考に向けた提出書類の説明会が行われた。説明の内容は特別なものではなかった。同時に文部省に提出する「在外教育施設派遣教員選考調査表」のホンマもの(黄色の厚手)を渡され、健康診断の指示を受ける。翌日には健康診断の結果も提出しなければならない。市教委から事前に健康診断の連絡を受けていなかった方もいるようだった。

 8月27日。文部省選考面接に向けた研修会があり、再度、府の合格者が集められた。派遣経験者の話と面接に向けての注意事項と、この年に帰国された方の話が中心だった。

 8月28日。市教委の学務課長から呼び出しを受ける。9月に行われる文部省の面接選考についてのアドバイスだった。過去の面接資料を受け取る。見てみると、何と友人3人の報告が名前は消されているものの、そのまま使われている。過去の資料を受け取っていつも思うのは、「この問いに対して、どう答えたのだろう?」ということだ。「それは自分で考えなさい」ということなんでしょうね。

 9月24日。文部省の面接選考。会場に9時に集められ、その場で簡単な調査表と派遣地についての書類を記入させられる。ほとんど人が一任で出したようだ。面接時間は当日行ってみないと分からない。私は何と15時40分頃からだった。それまでの行動は自由ということだが、何をするにも落ち着かない。結局は昼食を兼ねて近くをブラブラして時間をつぶしていた。予定時間の1時間ほど前に控え室にもどると、すでに終了した人たちがしゃべっている。「外務省が危機管理について質問するから、こう答えたらいい」とか「日の丸・君が代についてはこう答えたらいい」とか、アドバイスをくれた。

 面接本番。予想通りの質問事項で、特に突っ込まれることもなく、淡々と終わってしまった。ただ、面接官が顔を見合わせながら頷きあったので、「悪い結果は出ないかな」の予感はあった。
 


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