中間テスト前の10月20日。ついに赴任地の内示が出た。夕方から学年親睦会が計画されていた。家に車を置きに帰るところだった。携帯電話に学校長から連絡が入った。「どこだと思う?」「さあ」「北京や。中国の北京。すぐに返事をせんとアカンけどどうする?」「よろしくお願いします。」
「面接や調査表で希望を言うとその場所には行かない」と聞いたことがあったが、なぜか面接で言った通りになった。「面接でのPR」通りとは言え、気持ちは複雑だった。中国からの帰国生徒が増えつつある大阪で教師を続けていく上では北京は絶好の場所だ。しかし、気持ちの中にヨーロッパや大洋州での生活に対するあこがれがあったのも事実だ。
すぐに妻の職場に電話して伝える。「そう、やっぱり中国になったの。」
帰宅してすぐに妻の両親に伝えた。「そうか、中国になったか。」
三重の父に電話。「北京か……寒そうだな……社会主義か……生活は厳しそうだな……嫁や子どもは大丈夫か……」
自分自身の頭の中でも「中国赴任」がグルグルしている。中国からの帰国生徒や彼女たちの自立支援に関わってくれた人たちの顔が浮かんでくる。あこがれや不安、様々な思いが渦を巻き、沈んでは浮かんでを繰り返している。何をどうしたと言うわけではないけれど、二日もすると、「そうだ!中国でよかったんだ。」と素直に受け入れられるようになった。
選考受験の面接や研修の場で、「物見遊山の気持ちでは困ります」とよく強調された。自分の中ではそんな気持ちはないつもりだったが、ホントのホントのところは、内示があってから試されると思う。
11月7日。アルマゲドン東が大阪派遣教員の飲み会を設定してくれた。みんなが自分の赴任地と気持ちを語った。笑いを交えながらの話だが、「任地はどこであれ、みんな心の中の様々な壁を乗り越えてきているんだ」と感じた。また、東・上代の「欧米を否定するわけではないけれど、生活の感覚は日本によく似たものがある。日本や欧米とは生活様式も価値観もまったく違うところで仕事をし、生活をしたいと思った。」との言葉には、大きな刺激を受けた。何度も海外旅行を経験している二人の話だけに、重みもあった。
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