4月。1998年度の幕開けである。「11年派遣登録者」になったことは、内々にみんなが知るところとなっている。97年度末(98年3月)に、98年度の学年所属や校務分掌の希望調査があったが、「学校長一任」で提出。備考欄に「99年度もいることを前提とした配置はご配慮ください」と記入した。結果的には2年の副担になった。昨年度の流れや、公務分掌上の関係から、学年の生指担当は降りられなかった。本当は子どもたちにも職員にも「影」を残さずに去りたかったというのが本音だった。でも、どこの職場でも、そんな余裕ないよね。
4月中旬、職員朝礼で「11年度・12年度在外教育施設派遣教員選考」の連絡を学校長がした。「希望者は申し出てください」を伝えるだけのはずだったのに、何の前触れもなく、「山本先生は既に11年派遣が決まっていますが」と公言してしまった。知らん顔したけれど、何人かの先生は、「言ってしまっていいの?」と、目で語っていた。学校長が公式の場で言ったんだから、「まっ、いいか!」と思うことにした。
在外教育施設派遣を目指し、さらにはインターネットをやっている人なら、「高知の和田先生」を知らない人はないだろう。私も選考のことを考え始める前に、友人がワシントンに行っていた関係もあって、何気なく「日本人学校」をキーワードにYahooで検索をかけて、見つけた。「見てるだけ」のつもりだったのに、まさか直接話をすることになろうとは……
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