在宅医療の経験:医療者として、介護者として
 
 <介護の事始め>
 母が上顎洞癌を患い肝転移も併発して、在宅で医療・介護を行うことになった。
今までも患者さんに在宅医療を行った経験はあったが、あくまでも医療者として
の立場からであった。
今回は同時に介護者としても臨むことになった。

 在宅医療を行うにあたり介護する側の頭に浮かぶのは、「住み慣れた我が家
で家族に見守られながら、最後の時を迎えさせてあげたい」というフレーズだ。
しかしこの理想とは裏腹に現実はそんなに甘いものではなく、在宅でターミナ
ルケアまでをトータルで行うには、人手の確保や急変時の対応、介護者の体力
の維持と精神的負担の軽減など、取り組まなければならないことが山ほどあっ
た。

 介護をするのは私と妻の二人きりなので、医院の仕事を普通に続けながら、
いかに母の在宅医療・介護を行っていくかが最大のテーマだった。
診療中はなかなか時間がとれず、頻回には母の具合を見に行くことはできない。
そうなると必然的に妻の時間がかなり拘束されてしまう。

掃除、洗濯、買物、食事の支度を始め、他の診療科への通院の付き添いも
必要だった。
そこで少しでも負担を減らすには、介護保険を利用して多職種の方々の手を
借りるしかなかった。

 高齢者の末期がんの場合、容体が急変しやすい一方で、介護保険サービス
を受けるための認定作業には時間がかかるので、早めの準備が不可欠だった。
実は母の介護に先立って、同じように癌を患っていた父の在宅介護を行おうと
したのだが、病状のあまりの急変さに介護手段が間に合わず、あっという間に
入院せざるをえない状態となった苦い経験があった。

そこでケアマネジャーや訪問看護師と相談し、今回は母がまだ自力で動けて
いるうちから、先を予測して介護サービスを導入していった。
起居動作の補助として貸与された電動ベッドやタッチアップを利用してもらい、
移動には歩行器を使って慣れてもらうことにした。

また、他人が家の中に入ってくるのに抵抗感をなくすために、介護士には週に
1回訪問してもらって家の掃除などをお願いし、看護師には入浴介助、ストレッ
チ指導、マッサージ、口腔ケア、褥瘡予防、精神的サポートなどを頼み、顔なじ
みになってもらった。
こうして手探りながら母の在宅医療が始まった。

 
<移動は車椅子>
 もちろん予想はしていた。
しかし転移性肝がんの進行につれ、肝機能が悪化して食欲も落ち、徐々に衰
えていく母の姿を見るのは、結構つらいものだった。
それでも家族として毎日の介護ルーチンを淡々とこなし、かつ医師として体調
の変化を観察しながら、内服薬の変更などの治療もしていかなければならな
い。

 母はしだいに足腰が弱ってきて転倒することが多くなり、傷を負って出血する
ことも何度か繰り返された。
そのたびに自分の医院から縫合セットを持っていき、創傷処理をした(自分が
外科系の医師でよかった)。

この時期は他にも予期せぬ症状が起こることが多く、鼻出血、下痢、便秘、
下血、発熱、頻尿などが次々と生じて、医学的処置や治療が必要とされた。
自分が医師だからこれらの急変にも何とか対応できたが、一般の人が介護し
ていたら看護師や医師の助けを、そのたびごとに借りければならないわけで、
それはさぞかし大変だろうと感じた。

入院していた父は感染を起こしてよく発熱したのだが、スタッフがすぐに駆けつ
けて検査や治療をしてもらえた。
それに比べて在宅医療ではどうしても治療開始までに時間がかかるので、
対応に限界があることは、やむを得ない一面なのだろう。

 やがて母は下の始末ができなくなり、尿とりパッドやおむつを使用するように
なった。
それでも母はトイレでの排尿排便にこだわり、車椅子に乗ってトイレに行くことを
望んだ。
そこで介護士を巡回型のサービスに変更し、時間をおいて1日に4回ほど訪問
してもらった。

日中は介護士に、夕方は看護師に、そして早朝と就寝前は私が車椅子でトイレ
に連れていくという分業体制にした。
しかし、母は排便後にウォシュレットでお尻洗うのも、上手にできなくなるほど
体力が低下していた。
仕方がないので便器に座ったまま、ペットボトルのお湯を用意してお尻を洗う
ことにした。

看護師や介護士は慣れたものなのだろうが、こちらは医学部の実習でも経験
したことがなかったので上手にできず、最初のうちは便器周辺に水が飛び
散って悲惨な状態になった。
それでも何度か悪戦苦闘しているうちに、しだいに要領が分かってきて、
最後には自然に手が動いてうまく洗浄することができるようになった。

 多職種の人々の訪問が増えるにつれて、看護師の発案により共通理解の
ために連絡ノートを作成し、私、妻、看護師、介護士それぞれが母の容態を
その都度記録していくことにした。

多職種間の情報伝達手段としてSNSを利用することが推奨されていて、これは
これで大変優れていると思うが、誰にでもすぐに使いこなせるというわけには
いかない。

その点シンプルな連絡ノートは手軽で大いに役に立った。
通院は不可能となったので鼻や歯の具合が思わしくないときは、耳鼻科や
歯口科の医師に往診をしてもらって処置していただいた。

 癌の肝転移による肝性脳症のためなのか、あるいは認知症が現れてきた
のか、やがて母は自分の病状をあまり認識できなくなってきた。
末期癌であることも忘れてしまい、精神的に楽になったのかもしれないが、
却って食欲が出てきてよく食べるようになった。
物忘れも激しくなり、少し前にトイレに行ったばかりなのに、また行きたいと
何度も言うので、毎回応じるのが大変だった。

 しばらくはこの状態が続いていたが、やがて全身倦怠感が悪化し、とうとう便座
に座っても体をうまく支えられない日が訪れた。
こうして母の在宅医療も「寝たきり」という次のステージを迎えることになった。
 
 
<寝たきり>
 自力では動けなくなった母を介護するには、支えたり持ち上げたり引いたり
して、まずは体を動かさなくてはならない。
これが毎日続けば、当然介護者の肉体的負担は蓄積されていき、体の疲れや
痛みが徐々に現れてくる。
そのうえ在宅介護は自分の生活時間を拘束されるわけで、当然のことだが
精神的負担も大きくなる。

 ベッドも床ずれ防止のためにエアーマットレスの電動ベッドに切り替えた。
寝たきりとなった人を介護するのは大変で、車椅子で移動できていた時とは
また違った技術が必要になる。
下の世話もすべてベッド上で行わざるを得ないので、看護師に教えてもらって
ベッド上での陰洗という処置をやってみた。

まずは側臥位をとらせて紙おむつを下にひいたまま石鹸で陰部の汚れを落と
した後、ペットボトルに入れておいたお湯で洗い流す。
ベッドの上でお湯をかければ、敷布団を濡らしてしまうのではないかと心配した
が、日本の紙おむつは大変優秀で、水分をしっかり吸収して布団が濡れて
しまうことはなかった。

 またシャワー浴もできなくなったので、訪問入浴サービスを週に1回お願い
して、組み立て式のバスタブを部屋に持ち込んで、ベッドサイドで入浴して
もらった。
上下に動くハンモック状のネットがバスタブに張ってあり、まずはその上に
母を横たわらせる。
ハンモックを上げれば体を洗うことができ、下げればお湯につかることができる
という仕組みになっている。

訪問入浴サービスのスタッフの手際の良さも見事なもので、母はてきぱきと
髪の毛や体を洗ってもらった後に、のんびりと湯につかることができた。
体を清潔に保つことができたのは、尿路感染症などの予防に大いに役立った。

 しかし寝たきり状態になったということは、避けることのできない容体急変
という事態が、刻々と迫りつつあることでもあった。
 
 
<終末期>
 入院医療には迅速な対応や十分な設備などの良さがあり、父もその恩恵に
浴したわけだが、団体生活なので規則に縛られてしまうのは仕方がないことだ。

その点、在宅医療には自由という素晴らしい側面があった。
母は自分の好きな物を食べることができたし、かわいがっていた犬には自ら
餌をやることもできたし、ラジオも大きな音で好きな時間に聴けた。
私にとっても介護しながら一緒に過ごした時間は、大切な思い出になっている。

 母は体力が低下して寝返りも打てなくなり、食事も柔らかいものに限定されて
きた。
物忘れの症状も現れてきて、簡単な会話しかできなくなった。
声を出すのも体力を必要とするためか、しだいに口数も少なくなり声もかすれて
小さくなった。
相対的に私の話している時間の方が長くなり、母はほとんど相槌を打つだけに
なった。

食事の量も減ってきて、今まではスプーンやフォークを使い自力で何とか
食べていたが、介助なしでは口に運べなくなった。
そんな状態なので、入浴は体がつらかったら休んだらどうかと話したが、
入浴することは喜びにも通じるのか、母は訪問入浴の継続を希望した。

 だが、やがて食事もあまり咽を通らなくなり、ついにはストローで水を吸い
上げることもできなくなってきた。
最後の時の対応に関しては、母がまだしっかりしていた時にあらかじめ話し
合ってあり、本人の意思で延命治療はしないことになっていたため、点滴
などはあえて行わずに様子をみていた。

ある朝血圧が100を切ってきた時、そろそろ看取りの時が近づいてきたことを
予感したが、ここが肉親の情というものなのか、まだ何とか大丈夫なのでは
ないか、今の状態は落ちているがしばらくすれば少しは上向くのではないか、
などと思っていた(思いたかったのかもしれない)。

 しかし、巡回してきた訪問介護士は母の呼吸がいつもより荒くなったと告げに
来た。
しばらく母のそばで経過をみていたところ、血圧がさらに下がり意識が低下した
ため、事ここに至っていよいよ最後の時が来たのだと覚悟した。

そしてその数時間後、家族が見守る中で母は静かに息をひきとった。
もちろん悲しいことは悲しかったのだが、大変安らかな最後でもあったので、
在宅医療をやり遂げたのだという感慨もあった。
 
 
<在宅医療、医療者として、介護者として>
 もう一度時間をもとに戻して母の在宅医療を行うとしたら、もっと違うように
できたようにも、また同じことをするようにも思う。
あの時こうすればもっと違った結果になったかもしれないという後悔がある
一方、それでよかったのだと思う気持ちもあり、どうすれば最良だったかは
今でも良く分からない。

けれども、ただひとつだけ実感として言えることは、多職種の方々の力を
借りなければ納得のいく在宅医療は決してできなかったということだ。

 自分が医師として母に向き合うときは、全身状態はどうか、薬剤は何を
選ぶか、今後の治療計画をどうするか、などといった身体的側面に重きが
置かれがちだ。

一方、自分が介護者として母と接しているときは、楽にしているか、満足して
いるのか、落ち込んでいないかなどの精神的側面に自然に気持ちが向いて
いた。
介護からの視点のほうが、患者の精神状態を把握しやすいということだ。

ならば多職種の方々はそれぞれの分野のプロなので、お互いを尊重して、
皆で知恵を出し合い、患者ファーストで医療・介護を行っていけば、体と心の
両方からの総合的アプローチが可能となるのではないだろうか。
そのためにはお互いの意思の疎通は、必要不可欠な条件であると言える。

 一方家族の立場となって痛感したのは、介護をしている家族への心理的
サポートも同じように大事であるということだ。
肉親ということもあって、患者に感情移入してしまい、つらくなることもある。
そんな時に医療者や介護者が家族の話をよく聴いて、そのうえで適切な
言葉をかけることができれば、家族はまた元気になれると思う。

100%の力で介護してしまうと途中で燃え尽きてしまう恐れがある。
70%くらいの力で余力を持って介護に臨むようにして、後は他人の力を借りて、
時には息抜きをすることは悪いことではないということを、訪問した際に時々
話しておくのも大事である。

介護する家族が複数人いればよいが、一人で行うとなるとかなり厳しいものが
ある。
休養をこまめにとって、少しでもリフレッシュすることが、介護生活を乗り切る
うえで最も大切だ。
お世話にならなかったが、ショートステイやレスパイト入院も必要とあれば
利用するとよいのだろう。

 私の場合は癌患者の在宅医療だったが、認知症や慢性疾患のケースでは、
また違った形になるし、介護する家族構成などによっても変わってくる。
百人の在宅患者がいたら百通りの在宅医療がある。

しかし患者の喜ぶ顔を見るのが、医療者・介護者の最大の喜びでもあることは
共通していることだと思う。
この普遍的な目的に向かって、医療の視点だけでなく介護の視点も備えて、
家族や医師や多職種の人々が力を合わせて、在宅医療をひとつの共同体
として行っていく───これが私の体験に基づいた理想の在宅医療の姿と
考えている。

エッセイ集に