犬とつれづれ散歩


 我が家の番犬は、散歩に連れて行ってほしい時だけ、特別にウルウルとした目になる。日本犬なので西洋犬に比べるとさして大きな目ではないのだが、茶褐色の瞳でジィ〜と見つめ続けられると、たとえ忙しい時でもちょっとだけ散歩に行くか、という気分になってしまう。

 クリニックの診療時間内は大人しくしていて、私の姿を見かけても一切散歩をねだることはないのだが、診療が終わった後や休診の日には、こちらを見つめてアイコンタクトを求め、プレッシャーをかけ始めるのである。

 TPOをわきまえていると言えばそのとおりだが、それにしても彼はどうやって診療中か否かを察知しているのだろう? 患者さんの往来、駐車場の車の有無、私の顔の表情などから、微妙にオン・オフを感じ取っているのか。でも往診へ出かけるときは、診療終了後でもなぜか散歩を要求しないし、いまだ謎である。
                 
 ところで今日は、初夏の日差しが明るく降り注ぐ5月の日曜日である。空気もすがすがしくて、散歩には絶好だ。月初ではないから、レセプトの点検やら、カルテの整理やらといった用事もない。そのうえ休日診療を求める電話もない。

 朝食を済ませて庭に出てみると、「ふふふ、本日は休診ですね、すべてお見通しですよ。さあ散歩です。何は無くとも散歩! 花も嵐も踏み越えて散歩に出かけましょう!!」といった感じで、しつこく例のウルウル光線を発射してくる。

 よしよし、そんなに待ち焦がれていたのなら、思いっきり遠出をしよう。日頃はあまり長い距離を歩いていないから、その罪滅ぼしだ。
                
 散歩に行ける気配を察して、嬉しさのあまりハアハアと息を荒らげ、反復横跳びを繰り返しているところに、さっそくリードを巻きつけ、クリニックを出て表通りを高崎駅方面に向かう。歩道が広くて気持ちが良い。

 犬はそこら中の匂いを嗅ぎ回り、電信柱におしっこを引っかけ、時々主人の様子をちらっと見ては、また進むといったことを繰り返している。こちらはのんびりとただ歩いているだけなのに、ずいぶんと忙しいことだ。

 たぶん、匂いからいろいろな情報を収集しているのだろう。お年頃の雌犬が通ったようだとか、近所のライバル犬が匂いつけをしたなとか、少し前によそ者が来たらしいとか。かの鼻先には人類が想像もできないような、匂いの織りなす曼陀羅世界が広がっているのに違いない。

 それにしても犬の喜びはシンプルでいい。我々もこんなふうに瞬間を思いっきり楽しむ術を身につけられれば、ストレスも容易に発散できるのではないか。
                  
 今日は運が良くて、信号にもほとんど引っ掛からない。田町や連雀町の交差点を過ぎ、シンフォニーロードを渡り、市役所前を横切って、高崎公園内へと歩を進める。池の噴水の飛沫が陽にきらめいている。お花見の季節を過ぎているので、園内は人も少なくてのんびりとした雰囲気だ。

 木漏れ日の揺れるベンチに腰掛け、風に吹かれながら、新緑の観音山と対峙して、しばしの休憩。手前には国道17号線を挟んで、烏川がゆったりと流れている。

 普段はここから引き返すのだが、遠出をするという本日の趣旨に従い、対岸に見える土手の方まで足を延ばすことにする。水を飲ませた後、頼政神社の横の坂を下り、信号が青になるのを待って、17号線をいそいそと横断し、新装なった聖石橋を渡る。

 橋の中央まで来たところで立ち止まって見下ろすと、川は水量豊かに流れ、水鳥が川面を低く飛び交っている。中州には緑の草が生い茂り、潅木は風に枝葉を踊らせている。目を川の上流へと移していくと、和田橋や川原の自動車教習所が臨まれ、はるか西には青くけぶった榛名山が優美なスカイラインを描いている。空はあくまでも高く広い。
                
 ふと高崎市美術館で開催された山口薫展で見た風景画が目に浮かぶ。それは榛名連峰をバックに、大地を銀色に光る一筋の川が流れている絵だった。

 『吾が愛する郷里、こうした題を出されたら、一巻の書物くらいはたちまち書いて終いそうだ。私は筆を慎みたい。郷土は熱く私を育む』と、山口は書き記している(生活美術 1942年)。

 離婚して失意に沈んでいた山口は、箕郷町に帰省しているうちに、再び制作に向かう気持ちを取り戻していったという。懐かしい故郷での、穏やかな暮らしに癒され、再生への力がチャージされたのだろうか。

 ちなみに自分も大学生や勤務医の時は、高崎を離れて暮らしていたのだが、久しぶりの帰省の途中に群馬の山々が見えてくると、何か特別な嬉しさを覚えたものだった。特に榛名山と烏川は、西上州人としての心の原風景なのかもしれない。

 こうして物思いに耽っていると犬が、まだですか、そろそろ出発しませんか、といった表情でこちらの顔色をうかがっているのに気づく。おお、そうか、待たせて悪かったな──────
                   
 対岸の土手の上を歩くときも、犬は相変わらず探索行動に夢中になっている。河川敷のグラウンドでサッカーをする少年たちの声が響く。散歩中の人とすれ違いざまに軽い挨拶をかわす。土手沿いの公園では家族づれが何組かバーベキューを楽しんでいて、するどい嗅覚がなくても香ばしい匂いが漂ってくるのが分かる。上空で鳥のさえずりが聞こえ、太陽は小道を眩く照らし、ときおり川風が吹き抜ける。祝福に満ちた犬とのつれづれ散歩はゆるやかに続いていく。

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