大学院時代

 大学卒業後は第一外科(現在の臓器制御外科学)に入局し、4年間を関連病院などで研修したのだが、その間に外科というものは病理と密接な関係があると痛感した。

 手術材料の病理診断は言うに及ばず、内視鏡などで採取された生検診断や、乳腺腫瘍やリンパ節転移などの術中迅速診断でも、病理医の協力が必要な場面を幾度も経験したからだ。

 病理医が顕微鏡で下す診断は、まさに天の声とも言うべき最終診断であり、駆け出しの医師だった当時の自分には、それがまるで水戸黄門で最後に登場する印籠みたいに感じられた。

 その後大学に戻ることになり、この「ひかえおろう!」の外科病理学を勉強する絶好の機会と思い、当時の教授のO先生に相談してみたところ、大学院に入学して病理教室へ出向することを打診された。

 こうして昭和60年春、第二病理学教室に席を置かせてもらい、当時教授だったK先生にお世話になることになった。
              
 再び学生生活をスタートするにあたって、学生証を受け取り、JRで学割を使え、映画館も学生料金で入れるということが分かったとき、嬉しいような、でも29歳の身としては気恥ずかしいような、複雑な気持ちになった。

 しかし現実問題としては、私は前年に結婚しており、入学後に妻が妊娠もしたため、そうそう学生気分に浸っているわけにはいかなかった。

 運良く奨学金を支給されることにはなったが、それだけでは生活が成り立つはずもなく、週に1回大学を休んで、第一外科の先輩の病院で丸1日働かせてもらった。

 一晩に救急車が何台も来るような忙しい病院で、肉体的には大変つらかったが、ふだんは基礎の勉強ばかりなので、臨床の息吹に触れて経験を積むには最適で、精神的には却ってリフレッシュできた。

                   
 入学してみて分かったのだが、基礎とはいっても病理専攻の人は少なくて、大学院生のほとんどは私と同様に病理を覚えて研究に生かそうと、様々な臨床科から派遣されてきている医師たちだった。

 第一病理と第二病理を合わせると、第一外科の2人の同級生の他、第一内科、第二内科、神経内科、整形外科、小児外科、肺外科などの出身者が名を連ねていた。

 第一病理と第二病理はフロアも同じばかりか、設備もほとんどを共有し、大学院生中心に合同で病理解剖当番を回していた。
 病理所見の検討も一緒に行ったし、また休憩室も共通だった。
 みんな年齢もほぼ30歳前後(今でいうアラサーですね)で、結婚や子育ての時期も重なっていたこともあり、興味や話題もよく合って、休憩室での雑談は大変楽しいものだった。
              
 また、アルバイト先では専門外の救急患者を診ることも多かったため、翌日に各科の医師に相談して、診断や治療に関して専門的アドバイスを直接もらえるという利点もあり、臨床の総合力も上げることができた。

 大学院1年目は病理解剖をマスターすることに主眼がおかれた。
 まず解剖時には肉眼所見をまとめ、取り出した臓器はホルマリンにつけておく。

 後日になって固定が完成すると、ひとつひとつの臓器の肉眼所見を改めて検討し直し、病変のある臓器は言うに及ばず、すべての臓器の顕微鏡用標本を作製しなければならなかった。

 大学院生はそれらを自分で作らなければならず、標本の切り出し、パラフィン包埋、台木付け、薄切り、スライドガラスへの貼り付け、染色、封入まで、すべて手作業で行っていた。

 おかげで1枚の標本が作製されるまでに、どんなに手間がかかっているか、病理技師の苦労がよく分かった。

 ピンク色と紫色に染め分けられたHE染色標本がやっと完成したときには、やけにいとおしく思えたものだった。

 しかしさらに難関なのが、病理組織診断だった。
             
 初めのうちは出来上がった標本を見ても、昔勉強したはずの組織学の知識はほとんど忘れていたために、正常と異常の区別さえ付かないお粗末な状況だった。

 しかたなく医学生の頃に使った組織学や病理学の教科書を最初から読み返した。

 どうしても分からないところは、教室の先生や上級生に教えてもらった。

 ようやく曲がりなりにも自分でまとめた病理レポートを、最終的に教授にみてもらい、顕微鏡を前にして更に指導を受けた。

 実はこの何度も直に教えてもらうということが、病理診断技術を磨くという点で、大変大事であることが後になって分かった。

 いくら本を読んで勉強しても、顕微鏡で直接見方を教えてもらわないと、実戦経験として身につかないのだ。

 このように師から弟子へ11で技を伝授していく病理診断というのは、外科技術の習得課程とよく似ているものだと思った。
              
 こうして大学院の1年目は、病理学の基礎力をつけることに終始した。自分の学位論文の研究を行うことなど、まだまだ考えも及ばなかった。


To be continued

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