筋力トレーニング


 僕は人間には何にも考えない瞬間を時々持つことが、すごく大事なのではないか
と思っている。こんなことを書くと、日本の未来はとか、人類の平和はとか、医学
の進歩はとかについて日夜考え続けている人には大変申し訳なく思ってしまうのだ
が、自分自身のことを振り返ると、仕事も含めてつい目の前の些細な出来事に対し
て、いろいろ考えてしまうことが多いのは否定できない事実である。この状態がえ
んえんと続くと、考えはメビウスの輪のようにひとつの所をぐるぐると回っている
のみで、出口の見えない思考の膠着状態が起こってしまう。そんなときには南の島
にでも行って、椰子の木陰でハンモックにでも寝そべり、貿易風に揺られて海を眺
めていれば、もしかしたらいいアイデアも生まれるのかもしれないが、残念ながら
現実はなかなかそういうわけにもいかない。

 ところが最近になって、身近なところにその解決方法があることに気づいた。以
前にも書いたが、実は僕はもう数年間トレーニングジムに通っている。そんななか
で以前から筋力トレーニングの後に、気持ちすっきり爽やかーというか、妙にリラッ
クスした感じを覚えていたのである。でもそれは筋肉を鍛えた肉体的な充実感から
きているものだと長い間解釈していたが、この頃どうもそれだけではないんじゃな
いかと思えてきている。というのはトレーニングジムの花形、エアロビクスで味わ
う肉体の爽快感とは異にする、精神的な解放感がそこには感じられるからなのであ
る。それはエアロビクスではインストラクターの指導のもと、参加者全員が同じ動
作をして一体となることで、喜びを共有する集団活動的側面が強いのに対して、筋
力トレーニングはあくまでも孤独な世界で展開される、きわめて個人的なものであ
るところに違いがあるのだろう。

 トレーニングマシーンに座り、姿勢を整え、鍛える筋肉に意識を集中させる。腹
式呼吸で鼻から息を大きく吸い込み、そしてゆっくりと吐きながら、バーをあらか
じめ目標としていた回数まで、いーち、にーい、さーんと数えながら動かす。やが
て筋肉がきしみ、汗が頬を伝い、心臓の拍動が意識され、血流が頭のてっぺんから
足のつま先まで駆けめぐってくる。しかしそれでも頭の中ではひたすら数をかぞえ
ている・・・。

 このように単純化された一連の動作を繰り返すうちに、集中力が高まってくるの
か、はたまた疲れて考えるのがどうでもよくなるのか、心の中に渦巻いていた雑念
はしだいにフェイドアウトされ、いわば思考の真空状態が訪れることがままあるの
である。これは大変不思議な体験で、そのようなときには周りの音や人の動作など
もあまり気にならなくなっている。これをもしかしたら低酸素状態の為せる技か、
はたまた脳循環血流減少のためか、なんて言うのは医者の野暮というものだろう。

 しかし動作を止めて息を整えて休んでいると、再びふつふつといろいろなとりと
めのない思いが泡のように湧き上がってくる。そしてトレーニング再開によりまた
次々と払拭されていく。こうしたことを繰り返していると、トレーニングの終了時
には筋肉はパンパンに張っているのに、心の中の凝りは逆に解きほぐされているの
がわかる。これまでの生活の色彩が、なんとはなしに変化したように感じられるこ
ともある。つまり筋力トレーニングはいわばワープロにおける全削除───日常の
もろもろの想念を含めて削除するからこそ新しいことも記録できる───と同じこ
とで、それはとりもなおさず僕にとってはある種の癒やしの所作になっているのだ
ろう。

 真剣にボディビルディングを行っている人にとっては、あるいはこのような密か
な愉しみ方は邪道なのかもしれない。シンプルにただバーを持ち上げ、筋肉の肥大
を目指せばいいのかもしれない。でもまあ他人に迷惑をかけているでもなし、何は
ともあれこだわることなく、しばらくはこんな思い入れでもってトレーニングして
いてもいいですよね。

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