息子への手紙 

  君が生まれたときの話をしよう。あれは仕事に行く前のあわただしい朝
だった。まだ千葉にいたころのことだ。福島のおじいちゃんから電話があっ
た。今朝、男の子が生まれたと言った。夜中からお母さんはおなかがいた
くなって、おじいちゃんの車に乗って病院へいった。あまりいたかったので、
病院のかいだんもうまくのぼれなかった。そして入院してすぐに生まれた
ということだった。

 お父さんは君がぶじに生まれたということと、お母さんも元気でいるという
ことをきいてほっとした。お母さんが君を生むためにお兄さんをつれて実家
の福島へ帰ってから1ヶ月がすぎていた。お父さんひとりでくらすのはさみし
かったけれど、君が生まれたことで新しい家族がふえて、さらに楽しい家庭
ができるとうれしく思った。すぐにでも福島へかけつけたかったが、その日は
病院で夜とまる仕事があったので、1日会うのをがまんしなければならなかった。
とても忙しい病院で夜はほとんど眠れないくらい患者さんが訪れた。翌朝
ねむい目をこすりながら、車に乗って福島へ向かった。福島までは何度も
車で行ったことがあったが、このときほど道のりが遠く感じられたことはなかった。

 ようやくお母さんが入院している病院へ着き、お母さんのねている病室へ
向かった。じつを言うとお父さんはこのときかなりどきどきしていたのだ。
いったいどんな赤ちゃんなのだろう。早く見てみたい気持ちと、見るのが
こわいような気持ちがいりまじって、心の中でうずまいていたからだ。でも
午後の日差しがゆったりと差し込む暖かな部屋の中で、柔らかい寝息を
たてて気持ちよさそうに、お母さんのとなりでねている君を見たときは、
うれしさで仕事のつかれなどふっとんでしまった。

 お母さんはぶじに君を生んだことでほっとしていたようで、とてもいい顔を
していた。それは自分の命をかけて君を生んだお母さんの、心からの
みちたりた気持ちのあらわれなのだろう。そして君自身もとてもいい顔を
していた。考えてみれば君だってお母さんといっしょになって、がんばって
生まれてきたのだから思いは同じなのだろう。お父さんは千葉で医者の
仕事をしていたわけだが、その間にお母さんと君はふたりではじめて力を
合わせて出産という大きな仕事をなしとげたんだと思った。長く暗い産道を
必死の思いでくぐり抜けてきたんだものな。お疲れさまでした。

 君は気持ちよさそうにねていた。そのねがおをながめているうちに、ほんの
少し前まではお母さんのお腹の中でくらしていたのに、今はこうして我々と
同じ空気をすって、同じふとんにねているように、やがては家族の一員として
同じものと見たり聞いたり感じたりしながら、同じ時代をともに生きていくのだと
思った。生きていく上にはおもしいことばかりではなく、いろいろとつらいことや
苦しいこともあるだろう。でもそれらすべてが君の人生であり、生きているあかし
なのだということを、いずれは君も知ることがあるだろう。せっかく生まれてきた
のだからいろいろと世の中を体験して、いろいろな人とつきあい、この時代を
楽しんでいくという気持ちをいつまでも失わないで生きていってほしい。

 あどけない寝顔をみながら、君とすごすこれからの時間がいつまでもおたがいに
とって幸せなものであることを、あらためてお父さんは祈らずにはいられなかった。
家族の一員へようこそ。そしてこれからもよろしく。

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