千葉を去る日
  
 千葉に別れを告げた日は私にとって、今も懐かしさと寂しさの入り混じった特別の日として記憶されています。19歳で千葉大学に入学してから、医局の出張のため埼玉で1年、東京で半年間ほど過ごした以外は、千葉に20年間住んでいました。したがって、いかに生まれ故郷の高崎で新規開業するとはいえ、千葉を離れるにあたっては名状しがたい思いがありました。
  
 当時は稲毛の大規模集合住宅の10階に住んでいました。平成7年のことです。子供の転校の便宜を考え、新学期に合わせて引越しは3月にしました。前日のうちに荷作りを始めていたので、最終日の目覚めはたくさんのダンボールに囲まれた部屋の中でした。独身のときは宅急便を使って引っ越しができたほど身軽だったのに、結婚して二人の子供が生まれてからは、知らず知らずのうちに荷物も多くなっていたわけです。
  
 朝食をすませた後、荷物の最終整理をしていたところ、引越し業者のトラックが到着しました。大型トラックに荷物が次々と運び込まれ、昼過ぎには部屋はがらんとしてしまいました。3LDKの部屋は4人の家族にとって、日頃は少し手狭な感じがしていましたが、荷物がなくなってみると不思議なことに、逆にずいぶんと広いように思われました。この部屋もすでに人手に渡り、明日からは新しい住人が引っ越してくることになっています。

 その後、近所の奥さんも手伝ってくれて、部屋の掃除が終わったころには、夕闇も迫ってきていました。「さあ、そろそろ出発するぞ。先に車のところへ行っていなさい」と、家族を階下に降ろし、忘れ物がないか点検し、灯を消して、最後の見納めに部屋を振り返りました。誰もいない薄闇の部屋の空間は、ただ静けさだけに満たされていました。
  
 でもそこには家族の息遣いや温もりや喜怒哀楽の思いが、まだ残り香のように漂っているように私には感じられました。耳を澄ませば今までの日常の様々な音が聞こえ、目を閉じれば小さかった子供たちの姿が浮かんできます。このままそっと触れないで残しておけたら、どんなによいでしょうか。けれどもそれらはもう二度とは戻れない、遠く過ぎ去ってしまった日々なのです。「さあ、もう行こう」と、いま一度自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいて、部屋を後にしました。

 大方の荷物はすでに引っ越しトラックで運ばれてしまっていたので、我々は身の回りの物を詰め込んだバックだけを抱えて車に乗り込みました。当時はパジェロに乗っていたので、残りの荷物を積んでもスペースは十分でした。

 夕食をとるのは国道14号線沿いにあった和食のファミリーレストランにしました。家族でよく通っていた所で、高崎に移り住んだら二度と行けないと思って選んだのでした。でも実はこのレストランは全国チェーンで、高崎に来てみたら同じのを発見したのですが・・・(^_^;)

 何はともあれ、自分たちのお気に入りのメニューをしみじみと味わい、千葉での最後の夕食を終えました。レストランを出ると辺りはすっかり暗くなっていました。
  
 さて、高崎を目指すに当たり、京葉道路から首都高を抜けるのは混雑していると思われたので、東関東自動車道から湾岸線を行き、中央環状線から外環自動車道を通るルートを選びました。湾岸線を走っていると、幕張メッセ、ららぽーと、ディズニーランドなどのきらびやかなイルミネーションが、夢のように車窓を次々と流れていきます。いずれも何度も訪れて楽しいひと時を過ごした場所でした。

 やがて葛西ジャンクションから中央環状線に入ってからも、荒川に沿って江戸川区のマンション群の灯が輝いて、しばらくは都会らしい華やかな風景が持続していました。家族の会話もこの辺までは、まずまず弾んでいました。

 しかし小菅ジャンクションを過ぎると、周囲の灯は少なくなり、寂しい雰囲気が漂ってきました。そして東京外環自動車道から関越自動車道に入る頃には、あたりの景色はすっかり闇に包まれ、高速道の路面を照らす灯だけがぽつぽつと続くのみとなりました。

 まるでこのまま闇の中へ疾走していくような感じです────もう後へは引き返せない。千葉での自分の在り処はすでに失われてしまった。これからは都会を離れ、北関東の地方都市で暮らしていくのだ────しだいに一抹の寂しさがこみ上げてきました。ショパンの胸を打つピアノの旋律がBGMに流れてきそうなムードです(T_T)

 子供たちはいつの間にか寝てしまい、妻も同じ思いなのか無口になっていました。こんな気持ちになったのは、ずっと運転してきて疲れたからかもしれません。高坂サービスエリアが見えてきたので立ち寄ることにしました。
  
 でもまあ、結果としては、沈んだ気分は長くは続きませんでした。サービスエリアでジュースを飲んで、休憩をとったら何だかすっきりしてきました。立ち直りは素早い方なのです。引っ越し疲れに加え、今はまだ見えない新しい生活や、開業に対する不安なども重なって、センチメンタルになっていたようです。

 長く続いているように思えるこの暗闇も、明日に向かって一歩を踏み出せば、明るい光も見えてくるような気がしました。焦ることはない。淡々とその日にできることを着実にこなしていけば何とかなるだろう。はるか遠くに過ぎ去ってしまうように思えた千葉の思い出だって、この胸にしっかりと刻み込まれているのだから、決していつまでも色あせることはないはずです。

 さて、後は高崎まで1時間もかかりません。そこでは新しい生活が待っているのです。出発しようと子供の手を取り、休憩所を出て駐車場へと向かいました。見上げた空には星がやさしく瞬き、夜気にはかすかに春の気配が漂っていました。
  
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